水精姫と決勝①
魔法学園で開催される学園祭の目玉『闘技祭』のトーナメントも、ついに最後の頂点を決める戦いを残すのみとなっている。
大演習場の観客席は人で埋め尽くされ、今か今かと開戦の時を待ちわびていた。
一方、その熱狂から少し離れた講義棟の静かな廊下。
マリエルとルカは学園の係員に先導されて、決戦の舞台となる大演習場の控室へと向かって歩を進めていた。
「いよいよだな」
ルカが前を向きながら、静かな声で口を開く。
その声音には、気負いや過度な緊張はない。
自分自身の誇りを懸けて、目の前の少女に挑むという闘志が静かに燃えていた。
「うん」
マリエルも短く応える。
神界から堕とされ、復讐と生き残ることだけを考えていた彼女が、まさか下界の学園の行事で、これほどまでに心躍らせる戦いに臨むことになるとは。
人生とは、本当に予測のつかないものである。
そんな風に、二人が互いの覚悟を確かめ合っていた、その時。
「おーい! マリエルちゃん、ルカ坊っちゃん!」
背後から、よく通る太い声が廊下に響き渡った。
その声に聞き覚えのあった二人は、弾かれたように足を止めて振り返る。
「バーバラさん!」
マリエルがパッと顔を輝かせて声を上げた。
そこに立っていたのは煤けた革エプロン姿ではなく、少しだけよそ行きの服を着込んだ恰幅の良いドワーフの女性。
モーリスの街で鍛冶屋を営む、バーバラその人であった。
彼女は荷物を背負い、豪快な笑みを浮かべて二人の元へと歩み寄ってくる。
「学園祭に来られたんですね。遠いところから、ありがとうございます」
ルカも居住まいを正し、丁寧に頭を下げる。
「まあねえ。もう少し早く着きたかったんだけど、王都には久々に来たからすっかり道に迷っちまってさあ」
バーバラは頭を掻きながら、照れくさそうに笑う。
辺境の街から、わざわざ馬車を乗り継いで王都まで足を運んでくれたのだろう。
マリエルがバーバラの背負っている荷物に視線を落とし、期待を込めて尋ねる。
「王都に来たってことは……」
「ああ、できたよ。約束の品、『天声の雫』だ」
バーバラはそう言うと背負っていた荷物をそっと床に下ろし、厳重に巻かれていた布を解き始めた。
そして中から取り出した木箱の蓋を開ける。
そこに収められていたのは。
「これが……」
マリエルは息を呑んだ。
中心に淡く光る青い宝玉が据えられ、その周囲を何枚もの精巧な金属のリングが球状に囲っている、手のひらサイズのアーティファクト。
魔法研究所の地下で見た時は、外側のリングが何箇所もひび割れ、無残な断面を晒していた。
だが、今はどうだ。
割れていた箇所は見事に継ぎ合わされ、欠損していた部分も新しい金属で寸分違わず補填されている。
そして何よりリングの内側に刻まれていた、あの神界の技術による術式。
「凄いな。本当に修復されている……」
ルカが目を細め、その見事な仕上がりに感嘆の声を漏らす。
手作業での再現は不可能だと、研究所のバートン主任が匙を投げていた代物だ。
それを辺境の鍛冶師である彼女が、見事に蘇らせてみせたのだ。
「使ってみるかい? ちゃんと起動するかどうか、ここで確かめてもいいけど」
バーバラが箱の中から『天声の雫』を取り出し、マリエルへと差し出す。
これさえあれば神界に直接通信を繋ぎ、恩師であるフーラースの安否を確かめることができるかもしれない。
魔王の真実に迫る切り札だ。
マリエルは、その青く光る宝玉を見つめ。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「……いや、今はやめておきます」
「おや、そうかい? せっかく直したのに」
バーバラが不思議そうに眉を上げる。
「はい。これから『闘技祭』っていう学園のトーナメント戦に参加するんです。大事な試合の前に余計な情報を入れて、心を乱したくないので」
マリエルは隣に立つルカを見上げ、ルカもまたマリエルの視線を受け止め、力強く頷いた。
「ルカ君と私で、これから決勝戦をやるんです」
「俺とマリエルで頂点を決める戦いをね」
「へえ~! そいつは凄いじゃないか!」
バーバラは驚きと喜びに満ちた声を上げ、ポンと手を打った。
「入り口の衛兵さんに五天星のマリエルちゃんがいるところって聞いて案内されてここまで来たけど。まさか、そんな大一番をやってたんだねえ。こりゃあ良い時に来たもんだ!」
バーバラは嬉しそうに笑い、『天声の雫』を再び丁寧に箱の中へと戻した。
「なら、こいつは私がもう少し預かっておこうかね。試合が終わってスッキリした気分で使うといいさ」
「ありがとうございます。……バーバラさん、展望室でぜひ見ていてください。セリアもそこにいるんで、何かわからないことや困ったことがあったら彼女に聞いてください」
マリエルがそう言うと、ルカが同行していた学園の係員に指示を出す。
「君、この方を展望室へ案内してくれ。控室までは俺たち二人で行くから」
「了解いたしました。では、お二人とも、ご武運を」
係員が恭しく一礼し、バーバラを促す。
「わかったよ。特等席で、あんたたちの晴れ姿をしっかり見せてもらうからね!」
バーバラは力強く頷き、そして二人の顔を交互に見つめて、にかっと笑った。
「二人とも、無茶すんじゃないよ! 終わったら美味い飯でも食いに行こう!」
「はい!」
「ありがとうございます」
バーバラの温かい激励に見送られ、マリエルとルカは再び控室へと歩き出した。
廊下を歩きながら、マリエルが小さく笑い声を漏らす。
「ふふ」
「どうした? マリエル。緊張してきたか?」
ルカが、気遣うように声をかける。
「ううん、違うよ。なんだか、絶対に負けられなくなったなって思って」
マリエルは、前を向いたまま、晴れやかな顔で言った。
自分の戦いをこうして応援し、見守ってくれる大切な人たちがいる。
その期待に応えるためにも、そして何より隣に立つこの少年に真摯に向き合うためにも全力を尽くさなければならない。
そんなマリエルにルカもまた微かに口角を上げ、静かな闘志を燃やす。
「ふ……。俺も君に負ける気はないぞ」
「望むところだよ」
二人は互いに軽口を叩きあいながら、足早に戦いの舞台へと向かっていくのだった。
◆◆◆◆
大演習場の熱気は、すでに頂点に達していた。
すり鉢状の観客席を埋め尽くす何千人もの観客たちが、今か今かと決勝戦の開始を待ちわび、地鳴りのような歓声を上げている。
『さあ、皆様! 大変長らくお待たせいたしました! いよいよ、『闘技祭』のトップを決める決勝戦が始まります!』
上空の実況席から広報部長ロッタの張り裂けんばかりの声が、会場全体に響き渡った。
『過酷なトーナメントを勝ち抜いて見事、決勝に駒を進めたのは、なんとどちらも五天星! それに加えて双方が一学年という、闘技祭の長い歴史の中でも稀に見る異例の展開となっております!』
『しかも、片方は五位だものねえ~。トーナメントの進行上に、本来なら格上であるはずの序列二位や四位の先輩たちがいたのに、それを差し置いての一年同士の決勝戦。これは本当に凄いわよねえ~。これで序列が変わらないのがもったいないわあ~』
解説のイヴェッタが、キセルを揺らしながら面白がるかのように解説を加える。
『それでは、両選手の入場です!!』
ロッタの声が一段と高くなる。
『まずは、Aブロックから勝ち上がってきたこの男! 圧倒的な闇と空間の魔法で、対戦相手をことごとく無力化してきた、五天星の序列三位! 『闇の貴公子』ルカ・レグナス!!』
大演習場の西側ゲートが開き、銀糸の刺繍が施された制服を隙なく着こなしたルカが、静かな足取りでフィールドへと姿を現した。
その瞬間。
「キャアアアアアッ! ルカ様ァァァ!!」
「こっち向いてー!!」
観客席のあちこちから、ファンである女子生徒たちの鼓膜を破るような黄色い声援が一斉に沸き上がった。
端正な顔立ちと近寄りがたいクールな雰囲気。
それが彼女たちの心を掴んで離さないのだろう。
『対するは、Dブロックからの勝ち上がり! 初級魔法の常識を覆す、変幻自在の水流操作! 五天星の序列五位、『水精姫』マリエル!!』
東側のゲートから、マリエルがゆっくりとフィールドへと進み出る。
「ウオオオオオオッ! マリエルちゃぁぁぁん!!」
「水精姫バンザーイ!!」
マリエルが姿を現すと同時に今度は野太い男子生徒たちのコールが、地鳴りのように響き渡った。
普段の無表情と食堂で見せる無防備な笑顔のギャップにやられた隠れファンたちが、ここぞとばかりに熱狂しているのだ。
『双方ともに物凄い数のファンがついていて凄いですねえ! 聞くところによると、どちらも学園非公式のファンクラブができるほどの人気だとか!』
ロッタが、その異様な盛り上がりぶりを実況する。
『闇の貴公子の方は異性の女子生徒ばかりだけどぉ~。水精姫の方は男子生徒だけじゃなくて女子生徒のファンも結構いるらしいわねえ~。『小さくて可愛いのに、戦うと無敵でかっこいい』ですって~』
イヴェッタが学園のゴシップ情報を惜しげもなく披露する。
『なるほど! クールでミステリアスな女性の実力者ってのが皆さんの心の琴線に響いているんですかね!』
闘技場の中央へと歩みを進めながら、マリエルはその実況のやり取りを聞いて、思わず顔を引きつらせた。
「……私のファンクラブなんてあったんだ……」
そんなものが存在しているとは、夢にも思わなかった。
いったいいつの間にできたのだろう。
本人も知らないファンクラブができているとかちょっと怖い。
「五天星という目立つ地位で長く活躍していれば、勝手にできるものだ」
闘技場の中央で対峙したルカが事もなげに答える。
彼はそういう周囲の熱狂には慣れっこらしい。
「ちなみに俺も君のファンクラブに入っている」
「何してんの」
マリエルは真顔でとんでもないことを言い出すルカに思わずツッコミを入れた。
五天星の序列三位が、同じ五天星のファンクラブに加入しているなど、どんな冗談だ。
「俺の憧れだからな。後援会に名を連ねるのは当然だろう。だが……」
ルカは涼しい顔で恥ずかしげもなくそう言い放ち、そして。
手にした杖を構え、その漆黒の瞳に鋭い剣のような闘志を宿した。
ロッタの緊張感に満ちた声が響く。
『さあ、両選手が中央で対峙しました! 学園祭の頂点を決める、決勝戦! まもなく開始します! レディ……』
「手加減は無しだ、マリエル」
「当然」
ルカが静かに覚悟を込めて告げ、マリエルもまた彼の思いに応える。
『ファイッ!』
イヴェッタの掛け声と共に。
カァン! という開始の鐘の音が、大演習場に鳴り響いた。
その瞬間。
マリエルの足元の影がまるで生き物のように急速に広がり、真っ黒な闇の渦へと変貌した。
ルカが開始の合図と同時に闇の収納魔法を展開し、マリエルを強制的に自らの闇の中へと引きずり込もうとしたのだ。
予選の第十ブロックで見せた、あの恐るべき瞬殺戦法。
マリエルの足元が崩れ、彼女の小柄な身体が抗う間もなくドロリとした闇の中へと沈み始める、その刹那。
「アクアボール」
マリエルの口から短く、静かな詠唱が紡がれた。
彼女の身体をすっぽりと包み込むサイズの巨大な水球が出現する。
そして重力に従って闇に飲み込まれる寸前。
マリエルは自分を包み込んだ水球を身体ごと操作し、強引に闇の引力から逃れて上空へと飛翔したのだ。
「流石だな」
ルカが空中に浮かび上がったマリエルの水球を見上げて、感嘆の声を漏らす。
並の魔術師なら足場を消された時点でパニックになり、そのまま闇に飲まれて終わっていただろう。
「だが、まだだ」
ルカが右手を軽く振るう。
すると、マリエルのいる水球の周囲の空中に、いくつもの黒い闇の渦――収納空間の出口がぽっかりと浮き上がった。
そして、その闇の奥底から無数の漆黒の『影の槍』が、全方位からマリエルの水球を串刺しにしようと射出される。
(収納空間の中の影を、遠隔で操作して武器として射出してきたか)
マリエルは水球の中から冷静にルカの魔法構造を分析する。
空間を繋ぐだけでなく、その内部の事象すらも自在に操り、外界へ向けての攻撃手段とする。
実にテクニカルで、隙のない多重攻撃だ。
だが。
マリエルの水球に到達した無数の影の槍は、水球の表面に触れた瞬間、硬質な音を立てて全て弾き返されてしまった。
水風船に針を刺そうとして逆に針の方が折れ曲がってしまったかのような、異様な光景。
「水球の表層を、高密度の魔力で薄くコーティングしてるんだ。生半可な物理干渉や魔力密度の低い魔法じゃ通らないよ」
マリエルが水球の中からルカに向かって声を張る。
水の表面張力を魔力で極限まで高め、鋼鉄以上の硬度を持たせた防壁。
中級クラスの攻撃魔法程度なら傷一つ付けることはできない。
「なるほど。相変わらずの手腕だな」
ルカが悔しがる様子もなく冷静に分析する。
ふと、彼は自分の周囲の空気に微かな違和感を覚えた。
いつの間にかルカの周囲に、マリエルが生成したソフトボール大の水球がいくつもフワフワと浮かんでいたのだ。
「お返しだ」
マリエルの指先が動いた瞬間。
ルカの周囲に浮かんでいた水球が、一瞬にして超高温に熱せられ、白い水蒸気となって爆発的に膨張した。
ルカの視界が濃密な白い霧によって奪われる。
さらに高熱の蒸気が肌を焼き、呼吸を困難にさせる。
そして、その水蒸気の目くらましに紛れて。
マリエルは上空の水球の中から、質量を変化させて岩石のように重くした氷の球を、目にも止まらぬ速度でルカのいた場所へと次々に撃ち込んだ。
氷の弾丸が闘技場の石の床を穿ち、凄まじい破壊音と粉塵を巻き起こす。
数秒の激しい爆撃の後。
マリエルが魔力操作を解き、周囲の水蒸気を再び水球へと戻して霧散させる。
土煙が晴れた闘技場の上には無数のクレーターが穿たれていたが。
そこにルカの姿はなかった。
「!」
マリエルが、背後に強烈な魔力の気配を感じて振り返る。
彼女の背後の空中に黒い闇の渦が浮かび上がっており、そこからルカが音もなく姿を現したのだ。
闇の収納術を利用した空間移動。
視界を奪われた瞬間に彼は自身の足元の影を通じて、上空のマリエルの背後へと跳躍していたのである。
「こっちもお返しだ」
ルカの手には闇の魔力を極限まで圧縮し、強固に凝固させた漆黒の剣が握られていた。
彼は空間から飛び出す勢いそのままに、マリエルを包み込んでいる水球ごと彼女を一刀両断せんと鋭く剣を振り下ろした。
漆黒の剣が、マリエルの強固な水球をいとも容易く切り裂く。
魔力コーティングごと空間そのものを切断するような、ルカの闇魔法。
だが。
マリエルは水球が叩き斬られる直前。
重力に従って水球の下部からズルリと抜け出し、自由落下を開始していた。
そして、そのまま地面に激突する前に、眼下に素早く生成した別の水球をクッション代わりにして自分を受け止め、再びふわりと空中に浮上して距離を取った。
「はあ……」
マリエルとルカは互いに距離を空けて、再び闘技場の上で対峙する。
数瞬の間に交わされた、常軌を逸した高度な魔法の応酬。
「……収納術で空間移動できるんなら、わざわざ新しく空間移動術を作る必要はいらないんじゃない?」
マリエルが少し息を弾ませながら、ルカの魔法運用について指摘する。
あの転移速度と精度があれば立派な実戦レベルだろう。
「そうでもない」
ルカも静かに呼吸を整えながら答える。
「収納術の応用だと移動中は周囲が全く見えないからな。それに自分が一度収納した場所か、事前に目視して闇を配置した場所にしか出口が作れない。汎用性に欠けるし応用が利きにくいんだよ」
ルカは自身の魔法の欠点を隠すことなく分析する。
「君こそ、ずっとその密閉された水球の中にいるのに窒息する様子が無いな」
水の中にいれば当然息はできないはずだ。
だがマリエルは水球の中に籠もったままでも平然と会話をしている。
「私の作った水球だよ? 内部の情報を編集して呼吸可能にするくらいはできるよ」
マリエルが事もなげに言ってのける。
水を構成する要素に干渉し、人間が生存可能な環境を魔法で創り出しているのだ。
「なるほど、窒息を狙った持久戦は無駄か。相変わらず凄まじいことを軽くやってのけるな、君は」
ルカが心底感心したように、小さく笑みをこぼす。
二人のあまりにも次元が違いすぎる、そして高度に洗練された魔法の攻防と会話劇。
観客席はその戦いのレベルに息を呑み。
そして次いで、地鳴りのような割れんばかりの大歓声が、大演習場を揺るがすようにして沸き上がるのであった――。
魔力が高いから強い。
強い魔法を使うから強い。
そういう戦いは書くの楽ですが、あんまり好きじゃないので技量戦にしてます。
そのせいで、どう戦わせるか大変になってる気もしますけどね。




