水精姫と予選②
マリエルが氷漬けになった生徒たちを残して闘技場を降りるのとほぼ同時に、隣の第十ブロックからもどよめきと歓声が沸き上がった。
「ルカ君のところかな」
マリエルが自分のブロックから少し視線をずらして様子を見る。
そこは五天星の第三位『闇の貴公子』ルカ・レグナスが配置された第十ブロックの闘技場だ。
だが、そこには奇妙な光景が広がっていた。
石造りの広い闘技場の上にはルカしかいなかったのだ。
他の参加者の姿は一人残らず、どこにも見当たらない。
(……? 他の参加者は……?)
マリエルが不思議そうに首を傾げた。
逃げ出したにしては早すぎるし、全員が同時に場外へ吹き飛ばされたような魔法の痕跡もない。
まるで最初から彼一人しか闘技場に上がっていなかったかのような、不自然な静けさ。
『こ、これはどうしたことかァ! 水精姫の瞬殺劇に目を奪われている間に、第十ブロックの参加者が突如として全員消えたァ――!?』
実況のロッタが拡声魔道具を握りしめ、パニック気味に叫ぶ。
『なんだか、一人残らず影に飲み込まれたように見えたけどぉ~? あれなに~? 新しい闇属性魔法かしら~?』
解説のイヴェッタがキセルを揺らしながら、面白そうに目を細める。
闘技場の中央で、ルカは乱れた制服の袖を軽く払いながら、呆然としている審判に向かって静かに問いかけた。
「審判。他の参加者は全員いなくなった。俺の勝ちで問題はないか?」
「しょ、勝者! ルカ・レグナス!」
審判は慌てて勝ち名乗りを上げた後、周囲を見回して恐る恐る尋ねる。
「それで、えーと……他の生徒は、どこへ……?」
「今出す」
ルカが虚空に向かって右手をかざす。
すると、闘技場の場外の空中に真っ黒な闇の渦がぽっかりと出現し、そこから第十ブロックの生徒たちが十数名、次々と泥を吐き出すようにドサドサと降ってきた。
「……? 何がどうなったんだ?」
「え? 俺たち、今どこにいた……?」
「もう終わってる……?」
突如として暗闇に閉じ込められ、気がつけば場外に放り出されていた生徒たちは、自分がどうやって負けたのかも理解できずに地面に座り込んで混乱している。
闘技場を降りてくるルカに、マリエルは感心したように話しかけた。
「……闇属性の収納魔法?」
「ああ。彼ら自身の足元の影を媒体にして、収納空間への強制転移を発動させた。……ただ道具を片付ける収納魔法と思えば、思ったより攻防一体の魔法だな、これは。敵を傷つけずに無力化できるし、正直物凄く便利だ」
ルカは自身の魔法の成果に満足げな表情を浮かべる。
図書館でマリエルが口にした『闇は内側』という概念から彼が独自に発展させた、対象を問わない強制収納術式。
「収納魔法を広範囲の攻撃や制圧に使う発想が、そもそも普通は無いと思うんだけど……」
マリエルが少しだけ引いたような声で指摘する。
神界の理論を下界の技術で再現するだけでも驚異的なのに、それを対人戦の最適解として組み込んでしまう彼の応用力は、やはり底知れない。
『と、とんでもなァ――い!! 闇の貴公子と水精姫、どちらも他の生徒を一切寄せ付けず、文字通りの圧勝! 次元の違う強さです!』
ロッタの実況が再び会場を熱狂の渦に巻き込む。
『ちょっと前まで、普通に影を刃にして具現化して戦ってたのに、最近なんだか戦い方がテクニカルになったわねぇ~。彼女ができたからかしら? 愛の力ってやつ~?』
イヴェッタが、からかうような甘い声で解説席からルカをいじる。
その言葉が会場中に響き渡り、観客席からどっと冷やかしの笑いが起きた。
ルカは拡声魔道具もないのに真っ直ぐに実況席を見上げ、真顔で堂々と肯定する。
「はい」
「はいじゃないんだけど」
マリエルは横からすかさずツッコミを入れ、顔を林檎のように赤らめた。
何千という観客の前で、なんて恥ずかしいことを公言しているのだ、この男は。
『第十と第十一が異常な瞬殺劇でしたが、他のブロックも熾烈な戦いが続いています! 予選はまだまだこれからですよー!』
ロッタがロッタが進行を軌道修正し、他の闘技場へと観客の意識を向ける。
「マリエル、予選通過の手続きも終わったことだし、ちょっと他のブロックを見物するか?」
「いいね、行こう」
ルカが自然な動作でマリエルの手を取り、マリエルもその手に大人しく引かれ、審判や警備の邪魔にならないように観客席の後方通路へと移動する。
『おっと、闇の貴公子と水精姫が仲良く手を繋いで観戦するようです。余裕の予選突破、微笑ましいですねー!』
『……くっそ、上手く捕まえたわね水精姫。機会を見つけて、あのイケメン誑かそうと思ってたのにィ……』
『すみません、今の部分カットで』
ロッタが慌ててイヴェッタのマイクを遠ざける音が響く。
『気を取り直して! 第三ブロックは文字通り嵐が吹き荒れています! 誰も近づけません!』
マリエルとルカが第三ブロックの闘技場を見下ろすと、そこには凄まじい光景が広がっていた。
闘技場の中央に巨大な竜巻が発生しており、その周囲を無数の小さな竜巻が衛星のように高速で旋回しているのだ。
他の生徒たちが魔法を放とうにも強烈な暴風に阻まれて詠唱すらままならず、近づこうとした者は小さな竜巻に巻き込まれて次々と場外へと吹き飛ばされていく。
マリエルが目を凝らして暴風の中を探す。
「なにあれ? リーズリットさんはどこ?」
「中央の、一番大きな竜巻の中だろう」
ルカが風の動きを読み取って答える。
「自分を大きな竜巻の『目』に置いて守りつつ、周囲を旋回する小さな竜巻で敵を吹き飛ばしているんだ。近接も遠距離も封じる、リーズリット嬢お得意の絶対防壁戦法だな」
「流石に『旋風姫』と呼ばれるだけはある……」
「今頃、竜巻の中で高笑いしているだろうな……。風の轟音に阻まれて聞こえないが、彼女の性格からして間違いない」
ルカが少し呆れたように言う。
あれだけの規模の竜巻を長時間維持し、さらに複数の竜巻を精密に制御するのは並大抵の魔力ではない。
流石に五天星の第四位の座を預かるだけのことはある。
そして視線を移した第五ブロックでは、さらに異様な光景が展開されていた。
「ほらほら、皆もっと頑張りなー。そんなんじゃ僕には届かないよ?」
「こんなの、どうしろっていうんだよ!」
「ふざけんな! 降りてきて戦え!」
「嫌に決まってるじゃん?」
闘技場のブロック内を土魔法で生成された屈強な岩のゴーレムたちが何体も徘徊し、逃げ惑う生徒たちを次々と掴んでは場外に放り投げている。
対するアランはゴーレムたちの頭上、空中に浮かんだ巨大な岩場の上で胡座をかき、のんびりと下にいる生徒たちを笑って眺めているのだ。
「あれは、いったいどうなってるの」
「アラン自身は重力の力場を土魔法で変質させた岩場で浮遊しつつ、下でゴーレムをけしかけているようだな。あれは対人戦でやられると凄く嫌だぞ」
ルカが魔術師の視点から、その戦法のいやらしさを解説する。
「術者を狙って魔法を放とうとすると、どうしても空中に視線を向けざるを得ない。だが、そうして隙を見せた瞬間に地上のゴーレムが突っ込んでくると逃げ切れない。かといって地上のゴーレムを倒すことに集中しても、空中の術者が健在な限り、何度でも新しいゴーレムが補充される。空中の岩場を直接壊すのが手っ取り早いが、当然あの岩場は生半可な魔法では砕けないように硬度を極限まで上げているだろうな」
「なるほど……。流石は序列二位。結構やるね」
マリエルがアランの戦術眼と魔力制御の高さを素直に評価する。
彼が本気を出せば、これほどまでに隙のない戦いができるのだ。
そんな五天星たちの圧倒的な戦いぶりを感心して眺めていた、その時。
ロッタの実況が、驚きを含んだ声で会場に響いた。
『おっとー!? ここで予想外のダークホースの登場です! 第十五ブロックで、強豪相手に一歩も引かずに健闘している少女がおります!』
『あらやだ、あの子って水精姫と仲の良い子じゃない~? やっぱり類は友を呼ぶのかしら~? 平民なのに優秀だわあ~』
ロッタの実況にイヴェッタが興味深そうな声で続く。
「セリアだ!」
マリエルとルカは顔を見合わせ、急いで第十五ブロックの闘技場が見える位置へと移動した。
第十五ブロックの闘技場の上では、セリアが自身の魔法特性である『身体能力強化』を全開にして、複数の生徒たちと激しい乱戦を繰り広げていた。
彼女は相手の放つ火球や水弾を、強化された脚力による紙一重のステップで躱し、懐に潜り込んでは強力な掌底や回し蹴りで、次々と生徒たちを場外へと弾き飛ばしていく。
相手の魔法の軌道を読み切り、最小限の動きで回避して最短距離で打撃を叩き込む。
それは王城騎士団の猛者たちから教わった実戦的な近接戦闘術だ。
魔術師同士の戦いにおいて、ここまで肉弾戦に特化した戦い方は異端であり、だからこそ相手の魔法使いは対処しきれずに翻弄されている。
そして、セリアがまた一人、大柄な男子生徒の腹部に強烈な膝蹴りを叩き込んで場外へ落とした、その直後。
セリアの背後から、大気を焦がすような強烈な熱波を伴った炎の槍が飛来した。
「ッ!」
セリアは背後の殺気に反応し、瞬時に身体を捻ってその炎の槍を避ける。
炎は彼女の頬をかすめ、闘技場の石の床を黒く焦がした。
彼女はそのままバックステップを踏み、大きく距離を取って攻撃の主を睨みつける。
「この魔法は……」
セリアの視線の先。
闘技場の反対側で、赤熱する魔石を嵌め込んだ杖を構えている男がいた。
「よォ、平民女。まさか同じブロックとはなァ。ツイてるぜ」
『おおっと! ここで動いたのは、水精姫の前任にして元五天星の五位! 『炎帝』ローランド氏です!』
『あらあ~。あの女の子、ついてないわね~。いくら身体を強化しても、あの火力をまともに食らえばひとたまりもないわよ。顔を焼かれる前にさっさと降参した方がいいんじゃないかしら~?』
「だとよ。俺も同感だぜ。さっさと降りろよ、クソ雑魚平民女」
ローランドは杖を肩に担ぎ、下卑た笑みを浮かべてセリアを挑発する。
彼の目にはセリアなど取るに足らない障害物としか映っていない。
しかしセリアは彼の挑発に動揺を一切見せず、不敵に笑って見せた。
「降参? まさか。せっかくの晴れ舞台でそんなつまんないことするわけないでしょ」
セリアは初めて両足を前後に開き、身体を半身にして重心を落とす独特の構えを見せる。
それは、魔法学園では誰も教えない武術の構え。
「面白ェ、あの演習場での無様な姿の焼き直しにしてやるぜ! 消し炭になれ!」
ローランドが杖を高く掲げ、膨大な魔力を炎へと変換していく。
先ほどセリアを襲ったものより、さらに巨大で高密度な炎の槍が形作られようとしている。
あれを喰らえば保護魔法のダメージを超過して戦闘不能扱いは間違いない。
観客席から見守るマリエルは隣のルカの手をきゅっと握り返し、小さく呟いた。
「いけ、セリア」
ローランドは致命的な勘違いをしている。
彼は、目の前のセリアという少女を侮っていた。
魔術師としての素質や出力できる魔力の絶対量は、確かにローランドの方が格上だ。
以前の演習場で、彼女がローランドの炎の前に手も足も出なかったのは事実。
だが、セリアは彼が修道院で説法を聞いてくすぶっている停学期間中に、彼の予測を二つ上回っていた。
ひとつは血の滲むような努力量。
自分には身体を強化することしかできないからと、その一点に絞って徹底的に鍛錬し、人体構造を学び、魔力操作の練度を可能な限り引き上げた。
そしてもうひとつ。
セリアは魔術師にとって最も不要で、そして彼女の戦闘スタイルにとって最も必要な才能を天賦の才として持っていたのだ。
ローランドの杖の先端で炎の槍が完成し、彼女に向けて射出されようとした、まさにその瞬間。
ダンッ!!
セリアの姿が、かき消えた。
いや、消えたのではない。
極限まで強化された脚力と王城騎士団で学んだ特殊な歩法によって、爆発的な推進力を生み出し、ローランドの懐へと一瞬で肉薄したのだ。
「なっ……」
ローランドが驚愕に目を見開く。
炎の槍を放つよりも速い、人間離れした速度。
セリアはローランドの視界の死角に潜り込むようにして踏み込み、下から突き上げるような掌底で、彼が杖を持っている右腕を正確に弾き飛ばした。
物理的な衝撃によってローランドの腕が跳ね上がり、杖の照準が上空へと逸らされる。
放たれた炎の槍は、虚しく空の彼方へと飛んでいった。
最大火力の魔法を無力化された、致命的な隙。
そして、その無防備な腹部へと向けて、セリアは深く沈み込んだ体勢から右の拳を限界まで引き絞る。
そう、彼女は――。
「『崩震拳』!!」
セリアの踏み込んだ石の床が凄まじい踏み込みによって放射状に砕け散る。
大地から伝わる運動エネルギーを、脚、腰、肩、そして拳へと魔力と共に螺旋状に伝達し、一点に集約して放つ必殺の一撃が、ローランドの腹部に深々とめり込んだ。
「ごはぁッ……!?」
ローランドの口から、胃液と悲鳴が混じったような声が漏れる。
魔法の障壁ごと肉体を貫く、物理的な破壊力。
ローランドの身体が、くの字に折れ曲がり、そのまま砲弾のように宙を舞った。
彼は闘技場の端を越えて防護結界に激突し、そのまま白目を剥いて場外へと転がり落ちた。
ピクリとも動かず、気絶している。
保護魔法のダメージ制限を超過して戦闘不能になったようだ。
闘技場が水を打ったように静まり返る。
誰もがその一撃の威力と、元五天星が平民の少女の打撃で沈んだという事実に言葉を失っていた。
やがて我に返った審判が、震える手で旗を振り下ろす。
「だ、第十五ブロック、他の参加者全滅により……勝者、セリア!」
その宣告が響き渡ると同時、大演習場は今日一番の割れんばかりの大歓声と拍手に包まれた。
『す、すげえええええええ!! まさかの大金星!! 平民の少女が元五天星を身体能力強化を使った拳で打ち倒しましたァァァ!!』
ロッタの実況が興奮で絶叫に変わる。
闘技場の上でセリアは乱れた息を整えながら、客席にいるマリエルとルカを見つけ、満面の笑顔でVサインを掲げてみせた。
そう、彼女は。
類稀なる『武才』の持ち主であった――。
審判はみんな別の人です。




