水精姫と学園祭②
野外の賑やかな屋台通りから一転して校舎内へ足を踏み入れると、そこにはまた別の熱気が渦巻いていた。
石造りの広い廊下には色とりどりの装飾が施され、各教室からはクラブ活動の成果を誇示する呼び込みの声が響いている。
そして外の青空とは対照的に、窓には黒い布が張られて薄暗く演出された一角があった。
血を模した赤い塗料で、おどろおどろしく『ホラーハウス』と書かれた古びた木の看板。
入り口はボロボロの布で覆われており、中からはひんやりとした冷気が漏れ出している。
セリアが看板の文字を読んで引きつった声を上げた。
「ホラーハウス……?」
受付の机には黒いローブをすっぽりと被った生徒が座っていた。
「『降霊魔法研究会』のホラーハウスだよ~。本格的だよ~」
ローブの奥から聞こえる声は妙に間延びしていて不気味な雰囲気を醸し出している。
マリエルは興味を惹かれて入り口の奥の闇を覗き込んだ。
神人が君臨する神界では、幽霊や怨霊の概念が存在しない。
おそらく神人に幽霊の存在を伝えても「勘違いか見間違えだ」と断言するだろう。
ゆえに彼女にとって、幽霊という概念は知識として知っているだけで実体のないものだった。
「入ってみようか」
「ええー……私幽霊とか苦手なんだけどなあ」
マリエルの軽い提案にセリアは顔を青ざめさせて首を激しく横に振る。
屈強な魔獣を素手で投げ飛ばすほどの馬鹿力を持つ彼女だが、正体のわからない超常現象にはめっぽう弱いらしい。
「マリエルは幽霊大丈夫なのか」
「うーん、多分?」
ルカの質問にマリエルは首を傾げて曖昧な返事をする。
「幽霊見たことないからね。まあなんとかなるでしょ!」
「大抵の人間は見たことがないと思うが……」
ルカの正論をスルーしてマリエルはずんずんと中へ進もうとする。
セリアはマリエルの制服の袖をぎゅっと力強く握りしめた。
「いいけどマリエル、手を握っててね? 離しちゃダメだよ?」
中に入ると、魔法で人工的に作り出された冷気が漂い足元には霧が立ち込めていた。
どこからともなく水滴の落ちる音や、微かな女のすすり泣くような声が聞こえてくる。
通路は迷路のように入り組んでおり、時折壁から飛び出してくる血まみれの手や突然倒れてくる甲冑のギミックが仕掛けられていた。
その度にセリアは短い悲鳴を上げてマリエルの腕にしがみつく。
そして薄暗い通路の行き止まりに差し掛かった時。
空間の温度が急激に下がり、吐く息が白く染まる。
前方の空間がぐにゃりと歪み、青白い燐光を放つ半透明の姿が現れた。
それはボロボロの死装束を纏い髪を振り乱した女性。
足は無く宙に浮いている。
『おああ~……』
地の底から響くような呪怨に満ちた声が通路に響き渡った瞬間。
セリアが鼓膜が破れそうなほどの絶叫を上げて、マリエルに勢いよく抱きついた。
「ぎゃああああ!!」
「ひぎゃああああ!!」
その凄まじい衝撃と、目の前に現れた正真正銘の未知の存在にマリエルの冷静な思考回路も一瞬にして吹き飛ぶ。
なにあれ超怖い。
マリエルもまた恐怖のあまり、隣にいたルカの胸に力いっぱい飛び込み、その背中に腕を回してしがみついた。
狭い通路で二人の少女がパニックに陥っている中、ルカただ一人が全く動じることなく静かに立っていた。
彼は屋内に足を踏み入れた瞬間から、得意の『空間感知』の魔法を常に展開し、周囲の状況を把握していたのだ。
目の前の幽霊からは、一切の敵意や害意が感じられない。
安全が確認できている以上、彼に恐れる理由は微塵もない。
むしろルカは、自らの胸に顔を埋めて震えているマリエルの温かな体温と柔らかな感触を誰にも邪魔されることなく静かに堪能していた。
いつも強気で、少し理屈っぽい彼女が幽霊という未知の存在に怯えて自分にすがりついている。
その事実がたまらなく愛おしく、ルカの口元はどうしても緩んでしまうのだった。
恐怖の時間は永遠のように感じられたが、やがて前方に光が見え、三人は出口のカーテンを潜り抜けた。
マリエルとセリアは息も絶え絶えになりながら、明るい廊下の壁に背中を預けてへたり込む。
「幽霊超怖かった……」
「ああいうのは理屈じゃないんだよね……」
マリエルは荒い息を吐きながら胸を押さえ、セリアも涙目で頷きながら膝をガクガクと震わせている。
「しかしあれはどういうギミックだったんだ? 幻影じゃなさそうだったが」
受付の生徒はそんな三人に満足そうな笑顔を浮かべ、種明かしをした。
「おかえりなさい。中の幽霊は全部本物ですよ。『降霊魔法研究会』なので」
「えっ……」
マリエルとセリアは信じられない事実を突きつけられて絶句する。
本当に本物の幽霊?
「毎年人を驚かせるのが好きな善霊を召喚して使役してるんです。評判が良いんですよ、霊からも」
「道理で『空間感知』に反応しないわけだな。流石は降霊魔法研究会。本格的だ」
ルカは魔法技術の高さに納得して深く頷く。
セリアが顔を青ざめさせて拒絶の意思を示す。
「もう無理。もう絶対入れない」
「私も……」
マリエルもセリアに心からの同意を示した。
「あのクールな『水精姫』が幽霊苦手ってのは意外ですね!」
「全く同感だ。可愛いものだな」
受付の生徒が楽しそうに笑い、ルカが心からの同意を示す。
その甘い言葉に、マリエルの顔が恐怖の蒼白から一気に羞恥の赤へと染まり上がった。
ホラーハウスの恐怖と、ルカの甘い言葉による動揺を静めるため、三人は場所を移動して休息をとることにした。
辿り着いたのは『料理魔法研究会』が運営している校内学園カフェである。
教室を改装した店内は明るく清潔感があり、甘い焼き菓子の香りが漂っていた。
席に着いて温かい紅茶を一口飲み、マリエルはようやく落ち着きを取り戻す。
「はあ~怖かった」
「まだ言っているのか」
「だって本当に怖かったんだもん」
ルカが紅茶のカップを置きながら、微笑ましそうに言う。
「そこまで怖がってもらえたら降霊魔法研究会も喜ぶだろうな。……それにしても疑問なんだが」
店内を見渡すと、フリルがあしらわれた黒と白のメイドの扮装をした女子生徒たちが、忙しそうに給仕をして回っている。
その光景を見て、ルカが不思議そうに首を傾げた。
「何故メイドの扮装を……? 彼女たちは平民だろう?」
「そりゃメイドの扮装をして給仕してもらうことで貴族感が味わえるからですよ!」
ルカの素朴な疑問に、セリアは断言する。
非日常の体験を提供するのが学園祭の醍醐味であるからだ。
「そんなことで貴族感が味わえるのか……?」
「ルカ君は日常的にメイドがいるだろうからねえ」
マリエルの言う通り、名門魔法伯家の次期当主であるルカの周囲には常に優秀な使用人たちが控えている。
彼にとってメイドに傅かれることは日常茶飯事であり、そこに特別な感情や非日常感を見出すことはできないのだ。
「お待たせいたしました~」
可愛らしい声と共に、メイドの扮装をした生徒がトレーを持って三人のテーブルにやってきた。
「ショートケーキとクッキー、ドーナツでーす」
それぞれが注文した色鮮やかな菓子が、三人の前に配膳される。
「きたきた」
「では食べるか」
ルカがフォークを手に取ろうとした瞬間、メイド生徒が慌てて制止した。
「お待ちください。食べる前にやらねばならないことがあります」
「やらねばならないこと?」
セリアが不思議そうに聞き返すと、メイド生徒は真剣な顔で宣言した。
「『美味しくなる魔法』です」
「なにそれ」
マリエルが眉をひそめるが、メイド生徒は可愛らしい振り付けでポーズをとり始めた。
「美味しくな~れ♡ 美味しくな~れ♡ 萌え萌え」
両手を胸の前でリズミカルに動かし、最後の掛け声と共に手でハートの形を作る。
「キュン♡」
メイド生徒は満面の笑顔で決めポーズを披露した。
三人の間に言葉にできない沈黙が流れる。
「……え、やるの?」
「はい」
「……俺もか?」
「はい」
「マジか……」
マリエルはこれからやらされる羞恥の儀式を想像して頭を抱える。
逃げ場はないと悟った三人は、渋々ながら椅子に座ったままメイド生徒の動きを真似ることにした。
セリアが恥ずかしそうに小さな声で。
ルカは感情を殺した無表情で真面目に両手を動かす。
マリエルは顔を真っ赤にしながら消え入りそうな声でポーズを取る。
「美味しくな~れ」
「美味しくな~れ」
「萌え萌え」
「キュン♡」
三人とメイド生徒の声が重なり、最後の掛け声と共に手でハートの形を作る。
その瞬間。
三人とメイド生徒のハートを象った手から、眩い桃色の閃光が突如として迸ったのだ。
「え?」
桃色の閃光は空中で拡散し、目の前の菓子にキラキラと光る粉のように降り注いだ。
すると、ショートケーキのクリームはより艶やかに、ドーナツはふっくらと、クッキーは香ばしい匂いを強く放ち、見るからに美味しそうに変化したのだ。
「お、『美味しくなる魔法』!?」
「嘘でしょ。本当に美味しくなる魔法なの!?」
ただの言葉遊びのパフォーマンスだとばかり思っていた三人は驚愕し、メイド生徒は誇らしげに胸を張る。
「『美味しくなる魔法』だって言ったじゃないですか」
「本当にそうなるとは思わないだろうが!!」
ルカが珍しく声を荒らげてツッコミを入れた。
魔力と特定の音声、そして動作をトリガーにして物質の味覚成分を強制的に向上させる高度な付与魔法である。
どうして本気を出してしまったのか。
三人は半信半疑のまま、躊躇いながらフォークを手に取りお菓子を口へ運んだ。
マリエルはショートケーキの奥深い甘みに感嘆の声を漏らす。
「本当に美味しい……」
「意味の分からない魔法だ」
ルカもクッキーの味わいに驚きつつも、理解が追いつかずに唸る。
「でもあの魔法やるの恥ずかしいね……」
セリアは美味しさを堪能しつつも、先ほどの羞恥心を思い出して身震いした。
どうしてあんな恥ずかしい振り付けで発動するようにしてしまったのだろうか。
三人が魔法の効果について議論を交わしていると、少し離れた席から太く低い声が聞こえてきた。
「美味しくな~れ♡ 美味しくな~れ♡」
「あっちでもやって――」
マリエルはその声の方向に視線を向けるが、その言葉は途中で不自然に途切れた。
「萌え萌えキュン♡」
真紅の髪を無造作に束ねた男子生徒が、恥ずかしい振り付けと共に両手でハートを作り、呪文を唱えていた。
かつて五天星の第五位として君臨し、演習場でマリエルに敗北して停学処分を受けていた男。
ローランド・ベルディアその人である。
彼がハートを作った手からも桃色の閃光が迸り、目の前のタルトが明らかに美味しさと輝きを増した。
メイド生徒が笑顔で去っていく。
「ではごゆっくり~」
「よっしゃ食うか……」
ローランドはタルトにフォークを突き刺そうと顔を上げた。
その瞬間、ローランドの鋭い三白眼とマリエルたちの視線が空中でバッチリと交差した。
時が止まったかのような静寂が流れ、互いに何を言うべきか見つけられず、ただ硬直する。
ローランドはゆっくりとフォークを置き、ギリッと歯を食いしばって三人を凄まじい形相で睨みつけた。
「……何見てんだよ」
低く、地を這うような怒気に満ちた声が飛んでくる。
マリエルは、屈強な元五天星が一人でメイドカフェに来て『美味しくなる魔法』である萌え萌えキュンをやっていたというシュールすぎる事実に、どう反応していいかわからず、慌てて視線を逸らした。
「いや、うん……ごめん」
平謝りするマリエルに続いて、セリアとルカも見てはいけないものを見てしまったのだと察し、黙々と自分の目の前のお菓子に集中する。
気まずすぎる沈黙が漂う中、三人はお菓子を堪能するのであった――。
停学復帰してからおもしれー男になりつつあるローランド君。




