第18話『開会式と空中島コース』
浮遊大陸アエテルス、その中心にそびえる中央島――《セレモニア・グリーン》。
眼下に広がるのは、限りなく白い雲海。夕陽を浴びて金色に染まる空の中、巨大な魔法ステージが空に浮かんでいた。周囲には無数の観客用飛行艇が円を描き、ゆっくりと旋回している。
開会式のファンファーレが鳴り響く。まず現れたのは、獣人族の代表チームだ。
先頭の虎獣人、グラードが歩みを止め、分厚い胸板を拳で叩く。
ドンッ――! その音に合わせて仲間たちが一斉に咆哮を上げる。
轟音のような雄叫びが会場を揺らし、観客席のガラス窓までも震わせた。
続いて、エルフ族の列が現れる。
リュミエールが細身の風笛を唇にあて、静かに息を吹き込む。透き通る旋律に合わせ、仲間のエルフたちが木精の鈴を鳴らす。
すると、島の花々が一斉に開き、香りを乗せた花弁が空へと舞い上がった。風はその花吹雪を渦に変え、観客の頭上を柔らかく撫でていく。
三番手はドワーフ族。
小柄なミーネ爺が肩に担いだ魔力ハンマーを構え、鐘へと振り下ろす。
ゴォォン……と低く響く音が広がるたび、会場全体を包む透明な結界が微かに光を帯び、安定していく。観客の間から感嘆の声が漏れる。
最後に姿を現したのは、魔族の一団。
ザラドを中心に、黒い霧をまとった影が静かに進む。その霧の中で、ひとつだけ――銀色に輝くゴルフボールが浮かんでいた。
声ひとつ発せず、ただ前を見据えるその姿に、会場の空気が一瞬、ひやりと引き締まる。
やがて、魔法ステージの中央にフィリップ王子が進み出た。
風に金のマントを揺らし、朗々とした声を放つ。
「――剣も矢もいらぬ! クラブひとつで誇りを示す者たちよ、今ここに、空の上の祭典を開幕する!」
その宣言が響き渡った瞬間、空中で無数の光花火が弾けた。
いよいよ、異種族混合ゴルフ大会の幕が上がる。
開会式の熱気をそのまま乗せて、いよいよ第1ラウンドが始まった。
舞台は、浮遊島群を縫うように設計された《空中島コース》。大小様々な島が鎖のように連なり、その間をロープブリッジや魔法の滑空路が結んでいる。
キャディーたちは飛行魔法で選手の横を滑るように移動し、小型飛行艇を操る者もいる。ホールインワン級のロングショットが放たれると、キャディーが空中でボールを追い、光の標識をつけて行方を知らせる――そんな、地上ゴルフでは絶対に見られない光景が広がっていた。
第一の難所は、《雲海越えパー5》。
地表が見えないほどの高度から、雲の切れ間へ向けて打ち込む。
打球が白い霧の中に消えると、観客席から一斉にどよめきが上がる。風の読みが一歩でも狂えば、球は無限の下へと落ちて二度と帰ってこない。
次のホールは《滝縁グリーン》。
カップのすぐ外は絶壁、その下を轟音と共に滝が落ちていく。
わずかにラインを外したパットが、音もなく滝下へ吸い込まれていく様子に、観客も思わず息を呑んだ。
さらに待ち受けるのは、《逆風ホール》。
島全体が上昇気流に包まれており、打ち出したボールが予想以上に浮き上がってしまう。力任せに打てば、まるで凧のように風に持ち上げられ、グリーンどころか隣の島へ行ってしまう危険すらあった。
――空の上のラウンドは、ひとつの油断も許さない。
それでも、選手たちの顔には恐怖よりも高揚が浮かんでいた。ここは地上では絶対に味わえない、異世界のゴルフ場なのだから。
コーデリアはティーグラウンドに立ち、深く息を吸い込んだ。
眼下にはどこまでも広がる雲海。見上げれば、別の島々が白い霧の合間に浮かび、遠くで観客席代わりの飛行艇がゆるやかに旋回している。
――落ちたら、もう帰ってこれない。
そんな事実を、頭ではなく肌で理解する瞬間だった。
「大丈夫……普通のティーショットと同じ。風を読んで、スイングするだけ」
自分に言い聞かせ、クラブを構える。
だが、バックスイングの途中――
ゴォッという低い唸り声のような風音が、背後から襲いかかった。
観客艇が島のすぐ横を通過した影響で、突風がティーエリアを舐める。
クラブはわずかに軌道を狂わせ、インパクトの瞬間、球は予想より高く、右へと逸れた。
「……っ!」
白球はギリギリの弾道で隣の島の縁に向かう。
次の瞬間――
コンッと乾いた音を立てて岩肌にバウンド。
そのまま斜面を転がり、奇跡的にフェアウェイの端にとどまった。
観客席からはどよめきと安堵の拍手。
コーデリアは胸の奥で冷たい汗を感じながら、息を吐いた。
今のは……あと数センチで落ちてた。
白球が斜面を転がり落ちかけた、その瞬間だった。
背後で、すっと空気の流れが変わる。
視界の端で、ザラドが左手をわずかに掲げていた。
指先から放たれたかのように、目には見えぬ風が球を包み込み――ふわりと押し戻す。
次の瞬間、ボールはフェアウェイ中央に吸い込まれるように着地し、コロコロと転がって完璧な位置で止まった。
「……!」
コーデリアは一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
だが、視線を向けると、ザラドは黒いマントの影からこちらをちらりと見て、軽く顎を引くだけ。言葉はない。
心の中で、コーデリアはそっと呟いた。
――ありがとう。
風のざわめきの中、ふたりの間に、まだ小さくても確かな信頼の芽が息づき始めていた。
空中島コースの中盤、観客用飛行艇の上からも拍手と歓声が絶えなかった。
まずはグラード。虎獣人特有のしなやかな筋肉が、しなるようにクラブを振り抜く。
――ドンッ!
炸裂音のようなインパクトとともに、白球は一直線に雲海を突き抜け、二百ヤードをゆうに超えて舞い上がる。
観客席からは「おおおおおっ!」と地鳴りのような歓声。グラードは牙を見せ、腕を組んで満足げにうなずいた。
続いてミーネ爺。小柄な体をゆったり構え、クラブを振り下ろす軌道は刃物職人のように正確だ。
「……ここは、半歩右じゃの」
芝目を読み、風向きを読み、迷いなく打ち出した球は、ピンそば数十センチにピタリと止まる。観客のどよめきに、爺は鼻を鳴らすだけ。
リュミエールは両目を閉じ、頬を撫でる風の感触に耳を傾けていた。
「……北東の風、三つ数える間に変わる」
その声は歌うように柔らかく、チーム全員に届く。彼の助言に従えば、驚くほど狙い通りの軌道が描ける。
コーデリアもまた、その声に背中を押されるように、次の一打を振り抜いた。
観客席の熱気と、島を渡る風の冷たさ――異種族混合チームは、それぞれの得意を存分に発揮し、空の戦いを進めていく。
夕刻、空中島コースの最終ホール手前。
西の空に傾いた太陽が、雲海を黄金色に染め上げる中――コーデリアは静かにティーに立った。
深呼吸。胸の奥まで澄んだ空気を吸い込み、クラブを握る手に力がこもる。
「……いくよ」
スイングは、迷いのない弧を描いた。
――カンッ。
乾いた快音と共に放たれた白球は、夕陽を背に光の矢となって飛び立つ。
黄金と紅が混ざる空を裂き、雲と空の境界線を一直線に貫いていく。
観客用飛行艇のデッキから歓声が沸き起こる。風笛の音色、獣人の雄叫び、ドワーフの鐘鳴りが混ざり合い、ひとつの大きなうねりとなった。
グラードが拳を突き上げ、ミーネ爺は満足げにうなずき、リュミエールは微笑みながら拍手を送る。
そしてザラドは、ただ静かに彼女の背中を見つめていた。
(……空でも、風は同じだ)
胸の奥に芽生えた確信が、コーデリアの口元に小さな笑みを作らせる。
こうして第1ラウンド前半戦は幕を閉じた。
だが、この後――各チームの思惑が、水面下で静かに動き始めることを、まだ誰も知らない。




