第一章 #14 『彼岸』
「……キリナ! 良かった。君と話したかったんだ」
聖堂に響いたミナトの声に、キリナは静かに目を向けた。だが、その瞳にかつての柔らかさはない。
「……話す? 何を」
「なんで、そっちにいるんだ」
問いかけに、キリナは一瞬も迷わなかった。
「この方……フラン様は、私が奴隷として扱われていた時に救ってくれた恩人なのです」
「懐かしい話をするねぇ」
祭壇の前に立つフランが、肩を竦めて微笑む。
「うん。そうだとも。私がキリナの恩人だ。自分で言うのは厚かましいとも思うけれどね」
「そんなことありませんよ」
その返答はあまりに自然で、作られたものには見えなかった。
こいつが……恩人?
キリナを救ったのはクリスじゃなかったのか?
胸の内に湧いた違和感を押し込み、ミナトはキリナを見据える。
「キリナは、そいつがやろうとしていることに納得してるのか?」
「納得しています。賛成もしています」
その言葉にも、表情にも、迷いはない。
本気でそう思っているのだと、認めざるを得なかった。
「いや……もしかして操られて――」
「希望を壊すようで申し訳ないが」
フランが口を挟む。
「キリナには術による洗脳は使っていないよ」
ミナトの喉がひくりと鳴った。
じゃあ……本当に、キリナ自身の意思で……?
沈黙が走る
ミナトは唇を噛み、ゆっくりと息を吐いた。
言葉を探すように、一つ一つ絞り出しながら
「話は聞いてる。けど、そんなので知ったつもりになるのは違うと思ってる」
辛かったな、と言うのは簡単だ。
でも、それで分かった気になるのは違う。
本人が見た地獄は、本人にしか分からない。
「だから……俺はキリナを裏切り者だとか、最初から仲間じゃなかったとか、嘘つきだとか……そういうふうに決めつけるつもりはない。否定する気もない」
キリナの眉がわずかに動く。
「……なら、大人しく捕まって。生贄になって」
「でも」
ミナトは一歩、踏み出した。
「俺は、キリナを止めなきゃいけないと思ってる」
「……」
「クリスさんへの恩返しっていうのもある。けど、それと同じくらい――君に、少しでも明るい道を歩いてほしいんだ」
その瞬間、キリナの表情が激しく揺れた。
「明るい道……?」
低く漏れた声が、次の瞬間には怒気へ変わる。
「そんなものッ! とっくに失った! 物心ついた時にはもう、なかった!」
震える声が聖堂の空気を裂く。
「家族を失った! 父を! 母を! 妹を! みんな殺されたんだッ!」
ミナトは息を呑む。
キリナの叫びは、怒りというより、傷口そのものだった。
「そうですよ」
静かに、だがよく通る声でフランが続ける。
「彼女の明るい道……未来は、とうに過去の中で断たれている。権力に溺れた貴族と、差別に酔った愚か者たちの手によってね」
フランはミナトを見る。その眼差しには冷たい確信があった。
「それでも貴方は、彼女に明るい道を選べと言うのですか?」
ミナトは拳を握る。
自分の言葉が薄っぺらく聞こえることくらい、自分が一番分かっていた。
「俺は……大した人生経験なんて積んでない。中途半端な十五年だった」
喉が渇く。けれど、言葉を止めるわけにはいかなかった。
「親に感謝もできなくて、妹からも勝手に距離を置いた。拗らせて、逃げて……そういう臆病な人間だ」
自嘲気味に笑う。
「そんな俺が、君に復讐はやめろなんて言う資格はないと思ってる」
そこで一度、言葉を切る。
「けど……それでも、君がこの先で自分まで壊していくのは見たくない」
「…………っ」
「君から奪われたものは、きっと戻らない。失った時間も、家族も、笑っていられたはずの未来も……全部」
ミナトはまっすぐキリナを見つめた。
「だから尚更、これ以上君自身を失ってほしくないんだ」
綺麗事だという自覚はある。
分かったような口をきいているだけかもしれない。
それでも、他に言える言葉をミナトは持っていなかった。
「俺は、それ以上、君が歪んだ道を歩む必要はないんだ」
しばらくの沈黙のあと、キリナはゆっくりと目を伏せた。
「私は……今歩んでいるこの道が正しいと信じてる」
その声は、驚くほど静かだった。
「家族の仇を討てるなら。同族の恨みを晴らせるなら。それでいいと思ってる」
そして再びミナトを見る。その瞳にはもう迷いはない。
「だからミナト。お前がいくら言葉を並べても、無駄だ」
ミナトの胸が重く沈む。
「この国の人間を皆消し去り、失った家族と、同族の仲間たちを取り戻す」
「家族……仲間を、取り戻す……?」
「この計画は、この国の人間の魂を贄にして、これまで失ってきた獣人や亜人の魂を甦らせるものだ」
「そのための古代兵器も取り寄せてある。なにより――」
「うん。それ以上はいいよ」
フランが穏やかに遮る。
「キリナ。ミナトさんを拘束して、地下の儀式台まで連れて行きなさい。ひとりで厳しいなら、アレシアも手伝いなさい」
「御意」
キリナが一歩前に出る。
その後方、やや斜めに立っていたアレシアも静かに銃を構えた。
祭壇の前では、フランが魔法陣を展開すると地下への道が現れ、そこへ姿を消す。
「俺で何をするつもりかは分からないけど、大人しく捕まるつもりはないですよ」
ミナトは低く構え、視線を走らせた。
正面にキリナ。後方支援にアレシア。フランは奥で見ているだけ。
まずい。二対一で長くは持たない。
けれど、時間を稼げばクリスたちが来るはずだ。
魔法は使える。
あの時の魔法無効化は、おそらく神父――フラン側の何らかの術式によるものだ。
なら、今はまだ戦える。
ミナトは足元へ魔力を流し込み、素早く詠唱する。
――壮大なる大地よ。地の利を以て、我が盾となれ《サージ・ウォール》!
轟音と共に、キリナの前方へ土壁が競り上がる。
「ただ壁を作った程度で!」
「分かってるよ!」
狙いは防御ではない。視界を切ること。ほんの一瞬、その意識を逸らすことだ。
ミナトは壁の影へ飛び込みながら叫ぶ。
「アレシア! 頼む! 目を覚ましてくれ!」
同時に放った火球は、彼女自身ではなく足元の床を狙っていた。
――世の理は万象に。穿たれた恩寵に、明を与えん《アン・フレイヤ》!
火球が床へ激突し、爆ぜた炎と熱風が石床を舐める。
せめて一瞬でも動きを止められれば――そう思った、その時だった。
「無駄ですよ」
燃え広がるはずだった炎が、ふっと影に呑まれるように掻き消えた。
「なっ――!?」
次の瞬間、消えたはずの火球がミナトの真横に現れる。
「くっ……!」
避けきれない。
火球は左腕をかすめ、灼けるような痛みが走った。
思わず顔を歪めるミナトを見て、アレシアが静かに言う。
「陰魔法による座標転移です。直線的な魔法では、私には届きません」
「……なるほど。そういえばそんなのもありましたね…!」
痛みにこらえながら距離を取ろうとした瞬間――
「後ろ、がら空きですよ?」
ぞっとする声が背後から届く。
「!?」
反射的に振り向く。
だが、その隙をキリナが見逃すはずがなかった。
「こちらに背を向けていいのですか?」
「しまっ――」
乾いた銃声が、聖堂に響く。
放たれた弾丸はミナトの右太ももを正確に撃ち抜いた。
「がッ……!」
激痛が脚を貫き、身体が大きく揺らぐ。
踏ん張ろうとしても、力が入らない。
その一瞬の崩れへ、キリナが踏み込む。
速い。
気づいた時には懐へ潜り込まれていた。
「終わりだよ、ミナト」
首筋へ、寸分違わぬ一撃が叩き込まれる。
視界が大きく揺れた。
膝から崩れ落ちる。床の冷たさがやけにはっきりと伝わった。
やっぱり……厳しかった。
クリスさん……ルイ……すみません……。
遠のいていく意識の中、最後に見えたのは、無表情で自分を見下ろすキリナの姿だった。
そこで、ミナトの意識は闇に沈んだ。
――――
「………ッ」
頭がぼーっとする。冷たい感覚。動けない。鎖で繋がれている事が分かる
「二度目ですね。気を失いこうして拘束されるのは。」
「俺で…何を……」
「貴方は無色の魔力を持っている。その魔力の可能性を知りたい。研究したいのです。だから根こそぎ頂いた後、古代魔法の依代として使い。この王国を沈めるだけですよ」
「本命は……そっちか?」
「まぁ、本命といえば本命ですが少し違いますね。貴方がこの国に現れるまで目的はこの国を落とすことだけでしたから」
「なるほど、悪運を引いたってわけか…」
「そうですよ。なので大人しく諦めてください。クリス殿率いるアテナ騎士団でしたら今各地区の紅蓮教団に暴れてもらっているのでそちらに手を焼いてすぐには来れないでしょうし。もう万事休すというやつですよ」
「通りで遅いわけだ…」
まさか、外も連携して行動を起こしていたとは。いや、おそらく俺が捕まった時点でこうすることは決まっていて――
「それにしても、キリナいい仕事をしたものです。これで貴方の家族も仲間も帰って来ますよ」
「有り難き言葉です」
「じゃ、始めようか」
「や……めろ!」
フランは俺の制止など最初から聞く気もないように、淡々と新たな魔法陣を展開した。
宙に描かれたそれは、紫黒い光を帯びながら幾重にも重なり、まるで生き物のように脈打っている。
――天に命ずる。夜を陰として、魂の穢れを浮き出せ。
――地に命ずる。朝を陽として、肉体のその形を鎮めたまえ。
(なんだ……これは……?)
次の瞬間、胸元に灼けつくような熱が走った。
「――ッ!?」
見れば、いつの間にか胸の上に紋様が浮かび上がっている。
複雑に絡み合った魔法陣が、皮膚の内側に無理やり刻み込まれるように明滅していた。
熱い。
いや、熱いなんてものじゃない。
胸の中心に真っ赤に焼けた鉄を押し当てられているような、耐え難い灼熱。
それが心臓を炙り、血管を逆流し、全身へと広がっていく。
「あ……ぁ、が……ッ」
息が吸えない。
喉まで焼ける。肺の奥にまで火が入り込んできたみたいに、呼吸をしようとするたび激痛が走る。
視界がぐらりと揺れ、焦点が定まらない。
それでも、目の前の光景だけは嫌になるほどはっきり見えた。
キリナは無表情のまま、微動だにしない。
アレシアもまた、操られた人形のようにそこに立ち尽くしている。
誰も動かない。
誰も止めない。
ただ沈黙だけが、この場を支配していた。
その静けさが、痛みを余計に際立たせる。
「――――贄の魂を供物とし。我に同等の力を与えたまえ!」
フランの詠唱が、冷たく響く。
次の瞬間。
ドスッ――
「……は?」
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
胸元に浮かんでいた魔法陣、その中心に、黒ずんだ鉄杭が深々と突き立っていた。
一本。
ドスッ。
二本。
ドスッ。
三本。
ドスッ。
四本。
「が……はっ……!」
遅れて、理解と激痛がまとめて押し寄せてくる。
口の中に鉄の味が広がった。
ごぼり、と溢れた血が唇を伝い、顎先からぽたぽたと床に落ちていく。
喉は焼けるように熱いままだ。
なのに、胸から下の感覚だけが、じわじわと薄れていく。
熱い。痛い。苦しい。
(あぁ……)
視界の端が暗く染まっていく。
耳鳴りがひどい。遠くで何か声がしている気もするのに、もう上手く聞き取れない。
(俺……ここで、死ぬのか……)
その実感だけが、妙にはっきりしていた。
結局、変われなかった。
何かを掴めた気になって、誰かを守れる気になって、それでも最後はこのざまだ。
中途半端なまま、何一つ成し遂げられないまま、終わる。
(父さん……母さん……奏……)
脳裏に浮かぶのは、あまりにも穏やかな顔ばかりだった。
帰りたかった。
もう一度、ちゃんと会いたかった。
せめて幸せに暮らしていてくれと、願うことしかできない自分が情けない。
(舞……)
引きこもり気味だった俺を、呆れながらも気にかけてくれた幼なじみの舞
最後に思い出すのがそんな何気ない日常だなんて、本当に未練がましい。
舞のやつ…あの後、トラックに巻き込まれてなんかいないといいけど…
いや、きっと大丈夫だろう…そう信じよう…
(クリスさん……ルイ……ヴェル爺……)
世話になった人たちの顔が、次々と浮かんでは消えていく。
恩も返せなかった。
何も返せないまま、終わるのか。
悔しさすら、もう上手く形にならない。
「ご……め……」
掠れた声は、自分でも驚くほど弱かった。
瞼が重い。
意識が、深い深い水の底へ沈んでいく。
寒い。
暗い。
苦しい。
それでも最後に胸に残ったのは、死への恐怖よりも――
何も成せなかった自分への、どうしようもない悔しさだった。
「死にましたね。制裁の剣四本分ですか。なかなか上出来な供物だったみたいですよ。」
「あの、制裁の剣というのは?」
キリナがフランに問いかける。
「制裁の剣。その効力はあらゆる魔法。魔術。加護。権能。といったものを無効化した上でその者の魂の価値を測り同等の分の剣を落とし殺すというもの。剣無しでその者が死ねば価値はなし。そうですね…おおよそ100人。制裁の剣一本分の価値は人間の魂100人分です。」
「つまり、あの男には400人分の人間の価値があったと」
「そうなりますね。ただ今の彼でこの価値なら成長後はさぞ凄い者になっていのでしょう。可哀想に」
「彼は平和の礎になったのですよね。なら憐れむ必要はないでしょう」
「キリナ。君は非道だねぇ。まぁいい計画を続けよう。」
「はい」
――――――――――――――――――――――
「ここは……?」
暗い。
ただひたすらに、暗い。
肉体の感覚はなかった。手足があるのか、立っているのか、横たわっているのかさえ分からない。
あるのは、ぼんやりとした意識だけ。
夢の中にいるような、曖昧な感覚だった。
「……そうか」
死ぬ直前のことを思い出す
「俺、死んだんだな……」
計画は止められなかった。
恩も返せなかった。
キリナの心も救えず、家にも帰れなかった。
何一つ、届かなかった。
「俺みたいな中途半端者には……贅沢すぎる選択だったのかもな」
劣等感と罪悪感。
目の前のことから逃げ続けてきた人間が、いきなり全部を背負って、全部を成し遂げられるはずもなかったのだ。
「これから……どうしようかな……」
誰に向けるでもない呟きは、暗闇に溶けて消える――はずだった。
「君は、まだ助かるよ」
「――!?」
不意に、中性的な声が響いた。
近いようで遠い。
耳元で囁かれたようでもあり、世界そのものが喋ったようでもある、不思議な声だった。
「誰だ?」
辺りを見回す。
だが、何も見えない。どこまでいっても暗闇しかない。
「暗いままじゃ分からないよね。ごめん」
次の瞬間、視界が反転した。
闇が裏返るように、一面の白が広がっていく。
果てのない真白の空間。その中心に、一人だけ人影が立っていた。
くせのある白髪。そこから跳ねた、青みがかったくせっ毛
顔立ちも背丈も幼い。だが、その佇まいには年齢という概念そのものが意味を失うような、不思議な静けさがあった。
身に纏うのは古代ローマを思わせる衣服。
右手には一冊の本。
そして何より、微笑んでいるはずなのに、その瞳だけは底知れないほど深かった。
「貴方は……」
問いかけると、その人は少しだけ首を傾げて、にっこりと笑った。
「初めまして、でいいのかな」
穏やかな声だった。
「僕には明確な名前がない。けれど、君たち人間が呼ぶ名を借りるのなら――」
一拍。
「『創造神』。それが、今の僕の名だ」




