95話 孤高のエース
華園は今まで、チームの中心として皆に慕われる雰囲気だった。
チームのエースとして闘志を前面に出すことはあっても、冷徹なものではなかった。
だが、点を取られたことに加え、友希の持つアビリティが華園を別の人間へ、いや、昔の華園へと戻らせた。
その姿はまるで、人間の皮を被った、感情のないロボットのようなものだ。
友希への初球は110km/h後半のストレート。
(雰囲気は変わったけど、球質は変わってない……)
友希が気付いたのだから、バッテリーを組んでいる胡蝶もその異変には当然気が付いた。
だが、胡蝶でさえ見たことがなかった。
感情が消え失せかけている華園の姿を。
初対面から数か月は野球であまり絡まなかったために、誰も、知らなかった。
(甘えては。いけない。マウンドの上では。戻らないと。あの頃の。自分に)
華園の頭でフラッシュバックが起こる。
あの中学の時の、怪我をした試合。
華園の瞳から、完全に感情の光が消えた。
その目を見たことがあるのは、今ネクストバッターズサークルに座っている真中だけ。
「野球マシーン、か……」
華園がセットアップから足を上げる。
足の遅い一ノ瀬がランナーとは言え、非常にゆったりとしたフォーム。
今日、初めて見せた投球モーションだが……。
「スライダー? いや、まさか……」
投げるわけがない。
その球が原因で怪我をして、1年ものブランクを経験したはずの華園が。
そもそもサインは胡蝶が出したのだ。
サイン違いで、あのスライダーを捕れるわけがない。
……だが。
打ちごろだと思った友希の手前で、それは直角に曲がった。
事実を言えば、直角のはずがない。
だがライズボールやジャイロボールと同様に、打者にそう感じ取らせるほどの鋭い変化をもって、友希のバットの先端に直撃した。
「痛っ!」
電流が走ったかのように友希の体に痺れが伝わる。
一瞬の硬直の後、友希は打球を目で追った。
……ファーストゴロ、併殺打コース。
そこから先は、まるで流れるようなプレーだった。
「……3‐6‐1、か。流石だな、河咲女子の安定した野手陣も、精密無比なピッチャーのエースカバーも」
友希の母親は複雑な表情で今のプレーを眺めていた。
ゲッツーでチェンジとして、攻撃に移る河咲女子のベンチにしても、妙な雰囲気が流れていた。
俯き右肘を押さえながら歩いて戻ってくる華園に、声をかけられない。
恋女房であるキャッチャーの胡蝶も、悲しげな表情を浮かべて防具を外している。
そんな折、空木がセンターから小走りで近づいてくる。
直後。
バチン、と乾いた音が響いた。
「ごめんなさい、せっかく優美先輩が出塁したのに、ゲッツーになっちゃって……」
「仕方ありませんわ。スライダーを投げるなど誰も想像しませんもの」
「すぐ走っとけば……」
ため息をつきながらベンチを出る友希と、一ノ瀬が先ほどの攻撃を振り返る。
「後悔ばかりしてはいけませんわ」
一ノ瀬は優しく友希の肩に手をかけようとしたが、それよりも先に他の手が友希の背中を強く叩いた。
「どんまぁい、優美だってあの打球なら、最初から全力疾走でも余裕でアウトだろうしさぁ」
二宮のその言葉を聞いて、今まで柔和だった一ノ瀬のこめかみに青筋が浮かぶ。
と同時に、一ノ瀬の拳が二宮の腹を抉る。
ぼごっ、という何とも痛々しい音とともに、二宮は呻き声をあげた。
「け、怪我人に何てことするのさぁ……」
「あら、お腹は怪我していないのですから、いいではありませんこと?」
結構本気でいったな、とみていた友希は作り笑顔を浮かべる。
「隠していたとは思いませんが、あのスライダーは厄介ですわね」
一ノ瀬につられて、友希と二宮も河咲女子のベンチに視線を向ける。
その瞬間だった、空木が華園の頬を思い切り引っ叩いたのは。
「お前、胡蝶のサインを無視しただろ」
「……センターから。よく、分かったね」
「もう一発殴られたいのか?」
「……ごめん。でも。あの打者は。……スライダーじゃないと抑えられないと思って」
「だったら! サインの確認だけでもすりゃあ良いだろうが! 試合はてめえ一人でやってるんじゃねえんだぞ」
6回の裏、投山は先頭の1番打者を内野ゴロに打ち取る。
「……次の回もそんな顔してやがったら、外野から殴りに行くからな」
そう言い残し、3番の空木はヘルメットを被り打席に入る準備を始める。
1死ランナー無し、投山が投じた3球目のストレート。
決して悪いコースではなかったが、打者が上手くすくい上げ外野の前にポトリと落ちた。
皆で立ち上がって盛り上がる河咲女子のベンチの中で、バッテリーの華園と胡蝶だけが腰かけていた。
「……ごめん、ね。蘭ちゃん」
「うん」
華園は下から覗き込むように胡蝶の顔を見る。
だが胡蝶は、試合の状況を凝視しながら言葉を続ける。
「投げられたのがスライダーだって分かった時、凄い悲しかった。サインを無視されたのがじゃないよ。百合ちゃんが怪我したら嫌だよ……」
「……私は。怖かった。あの打者に、打たれる気しか、しなかった。周りが、何も見えなくなってた」
「大丈夫だよ。百合ちゃんは一人じゃないよ、きっとすみれちゃんが打ってくれるから」
1死一塁。
バッターボックスには、河咲女子の中でも随一の打撃力を誇る空木が入る。




