85話 背水の陣
「……演技か」
熊捕は相手バッテリーの様子を見て、そう決定づけた。
しかし演技とは判断したが、その理由が分からない。
わざとノーアウトのランナーを出して、河咲女子にメリットがあるとは思えない。
熊捕が打席に入り、ピッチャーの華園は軽く牽制球を放つ。
ピッチャーとはいえ、投山の足は速い方だ。
二宮や小鳥遊の陰に隠れているとはいえ、単純な脚力で言えば相模南で3番目に位置する。
だから熊捕もその牽制球に疑問を抱くことはなかった。
だが、それも最初の2、3回まで。
ピッチャーの華園から。キャッチャーの胡蝶から。
何度も牽制球を放たれては塁に頭から戻る投山は、肩で息をし始めていた。
「ばか! お主はピッチャーなんじゃから、リードくらい余裕を持たんか!」
投山はいつもの元気も消え、軽く手を上げて返事をする。
しかし、投山のリードは大きいどころかむしろ小さい方だった。
嫌になるほど上手く、逆を突く華園の牽制が、投山の体力よりもむしろ精神を削り取っていく。
「……わざと塁に出した理由はこれか」
背水の陣を敷いて投山の体力を削る。
これは、華園だからこそ出来る芸当だろう。
(じゃが、わしらが点を取れば向こうが足を掬われる方になろうが。せめてわしで二塁まで送りゃあ、敦子さんで2死三塁まで持っていける。そうすりゃあ内野安打でも1点じゃ)
熊捕は2ボール2ストライクまで耐球を決め込み、予想を立てる。
二塁まではランナーをやりたくない。だが投山は回が終わるまでランナーとして出しておきたい。
そんなバッテリーの意図が感じ取れる。
ジャイロボールは詰まりやすい反面、バントのように進塁打になりやすい。
最も打ちにくい伸びるライズボールを決め球にも持ってくるだろう。
……だが、熊捕の予想は見事に外れた。
「チェンジアップ!?」
熊捕は体勢を崩されながらも、球を思い切り叩きつける。
打球はサード方向、進塁打には問題ない当たり。
―――ピッチャーが、華園でなければ。
球が遅い分守備に割く時間が増えたのか、華園は颯爽とマウンドを降りて打球を処理する。
セカンドでアウト1つ取られる。
そんな予感が頭を過ったが、華園はちらりとランナーの投山を肩越しに確認しただけで、すぐさまファーストへ送球した。
「……妙だねぇ」
「そうですね」
二宮と友希もその違和感に気が付いた。
「確かに際どいタイミングでしたけど、ゲッツーは取れなくてもセカンドでアウトは取れると思いました」
「冒険するならアウト1つ確実に、ってことなのかなぁ」
首をかしげる二宮のもとに、アウトになった熊捕が戻ってくる。
「あれは桜の体力を削る腹積もりじゃ」
「だからあんな執拗に牽制を……。でも、それって点を取られない前提だよね」
「そうじゃな」
次のバッターは9番の左門。
監督からは、送りバントのサインが送られる。
1球を見送って、2球目。
「上手い!」
左門は注文通りにサードへ取らせるバントを決める。
こうも簡単に決められるとは思わなかったのか、華園の顔が少しだけ濁った。
「流石です敦子先輩! なんのボールでした?」
「ライズボールやったわ。まあバントの構えしたからその球が来るって思っとったんやけど。……なんか、違和感があったんよね」
「違和感ですか?」
「うん。……ここまで出かかっとるんやけど。とりあえず、三塁コーチャーに行ってくるわ」
左門は喉に手を当てて少しだけ微笑むと、華園の観察をするためにコーチャーボックスへと向かう。
そして、場面は2アウト3塁で小鳥遊を迎える。
(1回戦、華園さん相手のヒットは5本だったっけ。そのうちの3本がポテンヒット。ライズボールも、振り切れば内野の頭を超えるはず)
取り合えず1球目を見送る。
初球はジャイロボールだった。
不思議に思い、守備位置を確認してみると。
いつもより、ショートが前に来ている。
小鳥遊の足が速く、内野安打だけは打たれてはいけない。
そんなことは河咲女子も十分理解している。
ジャイロボールで詰まれば、三遊間に飛びやすく、内野安打になりやすいが、ショートを前進させることでそれを防いでいる。
2球目、ジャイロボールに山を張っていたが、華園が球を投じた瞬間、ショートが定位置に戻った。
「インハイ……!」
ライズボール。
まるで浮き上がるように、小鳥遊の胸元を抉る。
小鳥遊はファールで逃れるも、2ストライクと追い込まれる。
(今のショートの動き。逆に言えば守備体系で球種を読めるけど……。それを逆手に取ってくるかな、このバッテリーは)
ちらっとキャッチャーの胡蝶を見ると、胡蝶はニコッと笑ってマスクをかぶり直す。
(まいったな……。紅葉ちゃんもそうだけど、全く読める気がしない。こうなったら守備位置で判断するしかないけど)
3球目、チェンジアップが大きく外れ、胡蝶が体で止める。
小鳥遊がさりげなく守備位置を確認すると、1球目と同様にじりじりとショートが前に詰めている。
(決めた。緩急を使った次の球、ジャイロボールで間違いない)
4球目。
……それは、この試合。
いや、1回戦も併せて。
初めて投じられた球だった。




