47話 夢の中で
水分補給を十分にとっていたとはいえ、真夏の炎天下の中、右に左に休みなくボールが飛んでは追いかけて、ユニフォームが真っ黒になるまで滑り込んでキャッチした。
そんな状況で、周りに比べて声が小さかったのかもしれない。
そもそも音に集中していなかったのかもしれない。
それは、友希も小鳥遊も同様だった。
気付いた時には、小鳥遊の目の前に友希の左肩があった。
急いで顔を背けて目に直撃することだけは回避したが、友希と比べて体格が小さい小鳥遊は後ろに倒れ込んで気を失った。
薄れゆく意識の中で、小鳥遊の周りに皆が集まってくるのが分かる。
友希の様なシルエットをした人が覗き込んでいるのを、小鳥遊の目に映った。
『大丈夫だから。頭も打ってないし、昨日寝付けなかっただけだから』
そんな言葉を絞り出そうとした小鳥遊だったが、それは誰の耳にも届かなかった。
―――それは、小鳥遊が神奈川から愛知に引っ越した時の記憶。
車のリアガラスから後方を見ると、友希が大きく手を振っているのが見えた。
……親の転勤だから仕方が無い。
そう思えるほど大人ではなく、小鳥遊は泣きじゃくりながら手を振りかえした。
こんなにも親に『嫌だ』と駄々を捏ねたのは、後にも先にもこの1回だけだった。
愛知に着いて、家は以前よりも大きくなり、弟とは別の部屋となった。築年数も少なく、過ごしやすくなったはずなのに、何かが足りない。
知らない街、知らない学校、知らないクラスメイト。
小鳥遊は最初、1人でいることが多かった。
無視されているわけではないが、休み時間は各々仲のいい友達と遊んでいる。
小鳥遊は、その輪の中に単身で飛び込んでいく勇気はなかった。
事務的な会話だけしか発せず、毎日が過ぎていく。
転校して1ヶ月ほど経った頃、教室の掲示板に貼られていた1枚のチラシが小鳥遊の目に映った。
『少年・少女野球チーム 部員募集中!』
親が作ったものだろうか、完成度が高いレイアウトのチラシには、そんな文字の他に野球のユニフォームを着た小学生が20人ほど映っていた。
中にはクラスメイトもいれば、女子の部員も5人いる。
小鳥遊は周囲の様子を窺うように、左右に首を振った。
誰も、小鳥遊に注意を向けていない。
メモに野球チームの連絡先を書き記して、誰にも見つからないように急いでポケットに仕舞い込んだ。
「お母さん、野球チームに入りたいんだけど」
家に帰ってから母親に話すと、すぐに快諾してくれた。
そして野球チームの連絡先に電話を掛けると歓迎してくれる様子で、土日に参加することになった。
「小鳥遊みずきです。よろしくお願いします」
小鳥遊が頭を下げると、拍手が沸き起こる。
監督も、20余人の部員も、その保護者も。全員が笑顔で受け入れてくれた。
「小鳥遊は神奈川出身なんよな? 俺も2年前まで他の県にいたけえ」
「そうなんだ。もしかして広島?」
「惜しいな、岡山じゃ」
今まで一度も話を交わさなかったクラスメイトと、すぐに打ち解けることが出来た。
「みずきちゃんと結構家が近いね。今度、私の家に遊びに来なよ」
「いいんですか? 遊びに行きます」
女子の先輩も優しい人ばかりで、野球の練習がない日も遊ぶことが多くなった。
……そこから。
野球チームに関わらず、友達はみるみると増えていった。
成長期を早く迎えたためか、足の速さや肩の強さは男子にも負けず、5年生になったころには主力選手となっていた。
「中学になっても野球やろうな!」
「ふふっ。そうだね」
男子にそう言われ、小鳥遊もその気でいた。
気にも留めなかった。
同級生の男子に、身長が追いつかれつつあったのを。
運動能力も、徐々に近づかれてきたのも。
そして、中学校に入学した。
野球部を見学した小鳥遊は、一目で悟った。
僕には無理だ、と。
身長はここ1年で1㎝ほどしか伸びていない。
しかし、野球部のレギュラー格は、小鳥遊の身長より少なく見積もっても10㎝以上の開きがあった。
なにより、女子の部員はいなかった。
あんなに上手かった女子の先輩が、誰一人として入部していない。
足はまだしも、自信があった肩の強さは及びそうにない。なによりスイングスピードが、桁違いだった。
結局、小学校の野球チームで先輩だった女子の紹介で、女子専門の中学野球チームに入った。
仕方のないことだ。そう心で決めつけて。
そして、中学2年の春。
「姉さん、今日どこか行くの?」
とある休日の昼、リビングで弟が声をかけてきた。
1つ下の弟が、学生服に身を纏いながら机の向かいに座る。
「うん、今日は女子プロ野球の試合を見に行こうと思ってね。聖こそ、日曜なのに学生服なんて、部活でも入ったの?」
初めて見る人は、必ず双子かと勘違いしてしまうほどに瓜二つな弟は、元気そうに答えた。
「そう、演劇部に入ったんだ。まだ3日目だけど。こ、今度、姉さんも見に来て欲しいな」
最初の勢いはどこへやら、弟は恥ずかしそうに顔を赤らめながら言う。
「もちろん。でもそんなんじゃ、主役にはなれないよ?」
「う……。な、なるよ。姉さんみたいに」
「? 僕?」
「うん。姉さんは、自慢の姉だから」
またしても頬を染めながら言った弟に、姉のみずきは意表を突かれたように目を丸くした。
「……ふふっ、ありがとう。あ、そろそろ時間だ、じゃあ行ってくるよ」
そう言って小鳥遊は、名古屋のドーム球場へと向かった。
この日が、小鳥遊にとって中学で1番の衝撃を受けた日となった。




