48話 夢から醒めて、現実へ
女子の先輩とプロ野球を観戦しに行った小鳥遊は最寄りの駅で降り、空を見上げて呟く。
「雨降りそうですね」
「ほんと、ドームで良かったー」
「先輩、傘持ってきました?」
「あ、忘れちゃった!」
談笑しながら、ドームの中に入る。
内野席で、みんなダイナソーズのユニフォームを着て応援する予定だ。
「そう言えば僕、中学に入ってから生で見るの初めてです」
「そうなんだ、まあ小学校に比べると色々と忙しいからね」
どきどき、わくわくしながら試合が始まるのを待つ。
いつか、プロの選手になるんだと、引っ越しをする前に友希と何度も言い合った。
だけど。
それは夢だったのだ。
いずれ醒めてしまう、夢。
いつも、テレビで見ていたはずなのに。
生で見ると、こんなにも違う。
バッティングセンターでプロと同じ球速を打ったことはある。
その時はただ速いだけだった。タイミングを合わせれば打てない球じゃなかった。
でも、実際のプロの投球とは違う。
速い、ではなく。打てない、と実感した。
それは、男子中学野球部を初めて見た時と、同じような衝撃だった。
これがプロか、と。これが野球でご飯を食べていく人たちなのか、と。
嫌でも……思い知らされた。
「いやー負けちゃったね。まさか、あそこで逆転ホームラン打たれるとはねー」
「……そう、ですね」
「みずきって、意外と落ち込むタイプなんだね」
「え? ああ、それはまぁ……」
試合が終わり、ドームを出ると雨が降り始めていた。
雨空を見上げて、先程の試合を思い出す。
……僕じゃあ、プロにはなれないな。
今まで心の支えになっていた何かが、折れた気がした。
プロ野球選手たちが、目標からただの尊敬の対象へと変わった。
先輩と別れ、重い足取りで家路につく。
すると、すでに弟は家に帰ってきていた。
「おかえり姉さん。試合、残念だったね」
「……うん。ちょっと雨に濡れちゃったから、お風呂入って来るね」
シャワーを浴びながら、小鳥遊は昼の事を思い出す。
―――姉さんは、自慢の姉だから。
弟に、申し訳なく思う。
こんな姉を、僕を、自慢しないで。
風呂から上がって目を淀ませながら髪を乾かしていると、1枚の写真が視界に入った。
額縁に入れて、机の真ん中に飾ってある大事な写真。
「……友希ちゃん」
まだ幼い、小鳥遊と友希のツーショットの写真。
2人ともグローブをはめていて、少しだけ土で顔が汚れているけれど、心底楽しそうに笑顔を浮かべている2人の写真。
いま友達が多いのは、野球をやっていたからかもしれない。
そもそも、前の学校でも友達が多かったのは、友希のおかげかもしれない。
そんな友希と、約束を交わした。
いつかプロ野球選手になる、と。
でもそれを、破ってしまうのだろう。
「友希ちゃん……」
自然と、小鳥遊の目から涙が流れた。
中学に入って、性別の壁を感じた。
今日の試合で、才能の壁を感じた。
人生の中で、今後ほかにも、色々な壁を感じるのだろう。
年齢、人種、出自。
でもそんなものは、実力主義の世界ではなんの言い訳にもならない。
だからこそ、努力で差を埋めなければならないのに、こんなにも簡単に折れてしまった。
どうして。
……ふと目を開けると、そこは暗黒の海だった。
真っ暗闇のはずなのに、小鳥遊の目には友希だけが鮮明に映っている。
「友希ちゃん、待って」
泳いで友希を追いかけると、友希はそこから逃げていく。
泳ぐスピードは小鳥遊の方が速いはずなのに、差は広がっていくばかりだ。
「待って。お願いだから、待って!」
次第に足が動かなくなっていく。
追いつくどころか、小鳥遊は溺れていく。
それでも、友希は振り返らずに遠くへ行ってしまう。
「友希ちゃん!」
―――勢いよく飛び起きると、そこは保健室のベッドの上だった。
「びっくりした! 驚かせないでよ」
傍には、ユニフォーム姿の友希が椅子に座っている。
「友希、ちゃん? 僕は一体……」
「私とぶつかって意識を失くしてたんだよ。病院に連れてこうか迷ったんだけど、手足は動いてるし、寝言も呟いてたから安静にしとけば大丈夫かなって」
「え、ああ……」
そこで小鳥遊は思い出す。友希を怒らせて喧嘩の途中だったことを。
「友希ちゃん、その……昨日はごめんね」
「……ま、いいよ」
小鳥遊は項垂れていた頭を上げる。
「ほんとに?」
「うん。みずきってさ、寝てる姿は女の子らしくて可愛いよね」
友希はそう言うと、スマホの画面を小鳥遊に見せつけた。
「こ、これって……!」
画面には、小鳥遊の寝ている姿が映っている。
悪夢を見ていたせいか、悶えている表情が妙に色っぽい。
「け、消してよ」
「やーだよ」
顔を赤らめる小鳥遊だったが、自分が口火を切ったせいか、それ以上は反論できない。
友希の顔を直視できないので目線を逸らすと、すでに窓の外は日が暮れかけていた。
「……ねぇ、友希ちゃん」
「なに?」
「プロ野球選手になろうっていう約束をしたの、憶えてるかな」
「もちろん、憶えているよ」
友希は即答する。
友希は事実、憶えていたし、小鳥遊もそれを嘘だとは思わなかった。
「そっか。じゃあ」
一緒にまたプロ野球選手を目指そう。
などと、そんな甘い話ではないことは痛いほどわかっている。
「勝負だね。僕と友希ちゃん、あと雨音ちゃんも」
「……そうだね。私も、負けないよ」
一度諦めた夢を、現実にするために、小鳥遊は友希と一緒にグラウンドへ戻る。
すると、監督が真剣な面持ちで小鳥遊の顔を覗き込んだ。
「責任者としては病院に行かせるべきだと思ったんですがー、元気そうで安心しましたー」
「あはは。すいません、心配おかけして」
「しかもー、昨日より精悍な顔つきしてますねー。なにか心境の変化でもありましたかー?」
小鳥遊は一度目を瞑り、深呼吸してから答える。
「はい。僕はハマスタともう一つ、プロ野球選手を目指しますから」
その言葉に、他のナインは感嘆の声を上げる。
監督も最初は驚きを見せたが、柔和な表情へと戻る。
何を隠そう、監督も同じ夢を持っていた。一度諦めて、それきりの夢。
「……。簡単なものではありませんけどねー。でも、私が諦めた夢、小鳥遊さんは叶えて下さいねー」
俊足巧打の内野手。監督と小鳥遊のプレースタイルは似ている。
監督が道半ばで歩むのを諦めた道を進む。
茨の道だという事は小鳥遊も分かっている。
「はい、必ず」
それでも、もう決意は揺るがさない。
野球を始めたのなら必ず一度は思い描き、ほとんどの人が諦めてしまう夢。
夢を夢で終わらせない。
例え、友人を蹴落としてでも。
小鳥遊の目には、燃え上がる情熱が確かに宿っていた。




