5-4 意思の狭間
この日のジゼットとリリアの二人は、外出せずにゆったりとした午前を送っていた。
外へ行こうと連れ出すのは、リリアの役目だ。元来アウトドア気質の彼女は、ウルティスに来た頃は町には似つかわしくないゴシックドレスを着て探索するのが日課であった。そうではなくレアの店に入り浸るようになったのはいつごろからか。しかし今日の彼女はどちらも選択せず、昨日の帰りに書店で買ってきた本を、ベッドに寝転がりながらずっと眺めていた。
行く前に本の中身を覚えてしまおう。そんな理由。学のなかったリリアは、それまでのわずかな識字とジゼットの手助けがないと、レシピ本もろくに読み解けない。時間がかかるのはもちろんの事、リリアにとって読書とは苦痛を伴う作業だ。
それでも、数少ない覚えている歌を鼻で歌いながら、上機嫌に。
「うれしそうだね、リリア」
「もちろんよ」
リリアは笑う。曇りない笑顔だ。
「私の料理、おいしいって言って食べてくれた。えへへ」
本を抱きしめると、ベッドの上でごろごろと転がり始める。
リリアにとっては久しぶりの感覚だった。自分のしたことが、誰かに喜んでもらえること。
山師のおじさんが手をつける前にと洗濯や料理をして、相応に喜ばれたことはあった。おじさんがリリアを自分の娘と呼ぶことはなく、リリアがおじさんのことをお父さんと呼ぶこともないが、意識下には近しいものがある。それはもう殆ど家族に対するものだった。だからリリアにとっては初めてのことだったのだ。他人の為に手料理を振舞うこと、そしてその感想をもらえること。
こんなに幸福な気持ちになること。
料理には自信がある。自分で美味しいものを食べたいからと磨いてきた腕は確かなものだ。それならば今日の夕食も、美味しいものを作ってエリー達を驚かせて、そして一杯誉めてもらおう。そんな打算にも似た気持ちで、こうして料理本を見て勉強をしているのだった。
彼女は再度本を広げる。
「私、この町に来てよかったわ」
これまで町を渡り歩いてきて、初めての感想。リリアの感想には、ジゼットも概ね異議はない。
町そのものは、住むには誉められたものではない。しかしそうではなくて。
掃除屋は、生きるに困った人間が辿り着いた地の底だ。人の命を食い物に、自分が生きる。他人を蹴落として自分が這い上がる。仕事ひとつ受けるのも、後からのこのこ来た掃除屋が半額寄越せなどとのたまい、現金で報酬を得た後に数名がかりで囲んで奪いに来て、簡単な仕事と言われては大人数の敵に出くわす。それでなくとも、世間を知らない子供だと侮られて、法外な運賃や宿代を請求されたこともある。二人の旅は、そういうものと隣りあわせだった。常に悪意を警戒して、生きる。あるいはいい人間に当たったこともあるかもしれないが、それと知る前に次の町へ移動して。
エリーやクリスのような人間は、本当に珍しいのだ。
組んだばかりなのに様子のおかしくなったリリアを見捨てずに一緒に連れて帰り、危険な前衛を受けつつ他人には危険を渡さず、責任まで被ってくれるクリス。リリアの異能性を見た後でも普通に接して、本来無関係のはずなのに手伝いをしてくれて、怪我の手当てをも我が事のようにしてくれるエリー。
こんなこと、普通の掃除屋はしてくれない。みんな、邪魔だ気味が悪い足手まといだと離れていく。みんな、自分が生きるのに必死だから。
彼女達に会えたのは幸運だし、そんな二人と関わってリリアがこのような表情を見せてくれるのはジゼットもうれしかった。あの二人がリリアを変えてくれたという感謝。他方、自分は彼女に対して何もできなかったな、という無力はあったが。
それでもジゼットは笑って。
客室据え置きの電話が鳴った。
ジゼットが受け取ると、それは受付からだった。エリーという方から自分達宛てに電話だという事で、あのエリーさんが電話などどうしたのだろうと思いながらもジゼットは受けた。
声は間違いなくエリーのものだった。ハンナの帰宅をを待って電話をしたエリーは彼女らしい短い文言で挨拶を済ませると、すぐに用件に入った。
そして、リンクスのほうでジゼットの捜索依頼が来ているという話を聞いて。
ジゼットは久しぶりに。
悪意に対抗する、硬い表情を作った。
「確かに僕の両親は生きています。捜索願が出ているのかもしれません。エリーさん、僕のこと、その人に話しましたか?」
「話してない。家には帰らないの?」
「はい。僕は」
いくらも前から胸に決めていたこと。
「リリアと一緒にいます」
「そう」
ならば深くは尋ねるまいと、エリーはそう決めた。何にせよ彼らの問題だ。
当人が拒否するなら、ハンナに連絡する手はなしだ。エリーとしては話はそれで終わりだったのだが、ジゼットが問題にするのはその先にこそあった。だから続ける。
「でも、どうしてでしょう」
「何が」
「捜索願が出るかもしれないのはわかります。でも、エーヴェとウルティスは国の北端と南端と言って差し支えないです。どうしてここにまでリンクス依頼が。普通、北方で探すものじゃないでしょうか」
「リンクスは、あちこちと繋がってるから」
「そうですけど」
「何か、気がかり?」
すぐに納得しないことを疑問に思ったエリーが尋ねる。
ジゼットはしばし考えた。そして傍にリリアがいるのは良くないと考えて、折り返し電話するということでエリーの携帯番号を聞いて一度通話を切る。そして少し出かけてくるとリリアに言付けて、受付の公衆電話を借りにジゼットは移動した。
すぐに掛けなおして、ジゼットは話を続けた。
「エリーさん。クリスさんもいますか?」
「ん」
「ほいほい?」
エリーが携帯電話をスピーカーモードにして、クリスも会話に参加できるようにした。ジゼットの声がレアの店内に響くが、ハンナは既に帰宅しており、帰ってきたレアも裏に引っ込んでいるので気にしないことにした。
「お二人の事を信じて話すことです。僕が、リリアと一緒に北を脱げ出した理由」
ハウンド除隊後、親元に戻らずリリアと一緒に過ごし、そしてまた二人旅を続けているその行動力と意味。エリー達は聞かなかったし、ジゼットも話さなかった。
初め彼らは、暖かい所を求めて旅の途中と言っていたと思うがと、エリー達は思い出しながらジゼットの言葉を待った。
「戦争が終わって除隊する時、ある噂が流れたんです。エリーさんはサイコキネシスって知ってますか?」
「知らない」
「物に手を触れないで、浮かせたりする超能力です。それを手品でやる子が、僕の連隊にいました」
「それが」
「その子が除隊手続き前に、姿を消しました。軍服を着た人に連れられて行ったと、きっと超能力の調査に捕まったんだって噂になりました。本当かどうかはわからないけど」
そこまでだったらジゼットは無視していたかもしれない。
「そして僕達も除隊手続きに入ろうとした所で、軍の人がリリアを探しに来たんです。お話があるから居場所を知らないかと。その時は、嘘をついて別の方向を探しに行ってもらって。僕は超能力を否定できません。リリアがいるから。だから噂がもし本当だとしたら、リリアも危ないと、そう思って僕は。連れて逃げたんです。近い噂をいくつか耳にして怖くなったので、とりあえずエーヴェを離れようと。それが、旅のきっかけです」
リリアの力は、常人からは考えられない動きだ。それはもはや様々な形でエリー達も遭遇している。それにしてもテレビの中だけの存在の超能力と同列にするのは悩むが、ジゼットが警戒するのもまた納得は出来た。
「それとジゼットの捜索願に何か関係が」
「それは、本当に僕の両親が出した捜索願ですか。こんな遠くにまで。リリアは捨て子です。役所に届け出ているかもわからない。探している身寄りないリリアを捕まえる為に、僕を捜索している振りをしているんじゃないですか。僕はリリアを守りたい。僕やリリアを目指して捜索している人とは、関わりあいたくありません」
堅いジゼットの言葉に、エリーとクリスは顔を見合わせていた。
「突拍子もない、心配しすぎだよ‥‥‥と言いたいけど」
クリスには、すべてを笑い飛ばせない。
リリアの異能性、レアから聞いた御伽噺、ジゼットが怯えている事実。そしてなにより。
「生きるにはそれくらいが丁度いい。心配なら、町を出るってのはありだと思うよ」
「出る、ですか」
「ウルティスなんて道すがら寄っただけでしょ。資金もあるはずだし、嫁と逃避行続けちゃえば?」
「そう‥‥‥ですね」
それは正しい判断だと、ジゼットも思う。リリアは兎に角悪目立ちしすぎるし、この話をジゼットは彼女にしていないので、リリア自身はジゼットに誘われて旅をしていると言う認識以上のものはない。ジゼットは噂を信じて動いてはいるが、確証がないので語れない。そしてそんなリリアに、ウルティスを早く出ようと告げたら。
今の彼女は、どう答えるか。
ジゼットだって同じ気持ちなのだ。ぬるま湯に浸かっていたい。
「検討しておきます」そして「連絡ありがとうございます」と告げて話を切ると、ジゼットは受話器を置いた。何もいきなり決めることもない、数日自分の中でも模索してからリリアに告げても遅くはないだろうと。ホテル自体はリンクスと繋がっているわけではなく、ここから出なければ見つかるリスクは減るし、食事も食べられる。生活には支障ない。彼女達に料理を振舞えないと、リリアは不貞腐れるかもしれないが。身の安全には代えられない。
でも、いずれ進退を決めなければならないだろう。そう遠くないうちに。
ジゼットは憂鬱な気持ちを引きずりながら、客室へと戻っていった。そして彼の帰宅を待っていた彼女に、普段通り笑顔を向けてみせる。
一方で、ジゼットが逃避行を渋る理由が自分達にあるとは露知らず、エリーとクリスは首を捻っていた。




