5-5 渦
噴水広場近くの、ひとつの酒場。
人間が何度も出入りして不審ない場所。
その奥には、あらかじめ防音処理がされた40人近くを収容できる部屋があつらえられていた。かつてはそこそこ裕福な人間が静かに酒と談笑を楽しむ為のいくつかの小部屋だったが、ある目的の為にある時期ある要請から実質買い取られ、貫通工事された。そこへ足を運んだ彼女は、そういう目的でやってきたわけだ。
中には既に、椅子を埋めるだけの人間が集まっている。場に煙草の煙はあっても、酒の臭いはない。だから彼女も、席についてから煙草に手を出す。いつもいる酒場でも、そして残念ながらここでも彼女は一輪の花だ。煙草に逃げたくもなる。
「お疲れ様です」
「お疲れ。何か進展あり?」
「いえ。こちらは何も。そちらの盗聴器は?」
「速攻回収されてやんの。だから私、あの人苦手なのよ。雌狐」
黒髪の女性斡旋屋の、あの余裕ぶっこいた笑みを思い浮かべながら彼女は舌打ちする。殆どの斡旋屋及びその職場には仕掛け終えているのに、あの店だけは一人で切り盛りしてるくせに足も付かない。リンクスを使って情報収集の仕事をしている彼女の班にとっては、面倒な相手だ。
ライターを取り出し、くわえ煙草に火をつける。そうこうしていると、隣席の、もう片方の男性にも暇潰しに声をかける。
「ただのどさ周りで楽じゃないですか。こっちなんて、観察対象が胸糞な終わり方っていうのは考えさせられますよ」
「あの兄弟ね。土壇場になって親心発動しちゃって買収がパーになった。拒否られた時点で殺処分決定だったけど、死体見つかったんだ。死因は?」
「薬ではなく、戦闘によるものと思われます。リュック・ラモレールは頭部を初めとした複数部に弾丸を。テオ・ラモレールは胸部を刺殺です」
「子供を刺すとは、どこで恨みを買ったのやら」
世界なんてそんなものかもしれない。特に感慨もなく、煙を吐く。
ふと思い出して、彼女は彼に尋ねる。
「中尉のお帰りは来週だっけ」
「そう聞いています」
「じゃ、今日の指揮はまだあの豚か」
「声が大きいです、伍長」
「本人いないから平気平気」
せせら笑う。極端に悪い人間というわけではなく、見た目が肥えているというわけでもなく。ただ金と名誉というものに少々貪欲で、太った分を回りに渡さないだけだ。ああいうのは途中までは上るが、いずれ誰かに美味しく頂かれるだろう。だから彼女は豚と評した。
今日の召集はその豚からのものだった。何かしら仕事が入るのは疑いない。果たして先にやってきた面々が時間潰しをしていると、件の人間がやってきた。彼女のいう豚こと、隊の副隊長を務める少尉だ。その部下である彼らそして彼女は、仕方なしに煙草を引っ込める。
挨拶も程ほどに、少尉は近場の人間に数枚の写真を渡して回すように伝えた。それは彼女の手元にも届く。いわゆる盗撮写真であるそれには、共通して一人の少年と一人の少女が写されていた。少年のほうは特筆するような特徴はないが、その代わりにと言うように娘は長い銀髪で黒のゴシックドレスとありありと目立っている。
まぁ、今更写真を見ずとも、彼女は二人を知っているが。
「リリア・トゥムルーシュ。推定14歳女性、第513擲弾兵連隊所属。同じ513でジゼット・ヴァネル、16歳男性。二人は北のエーヴェを発ってここウルティスまで来ている。どちらかあるいは両方に、薬の反応が出ている疑いだ。系統としては身体強化ではないかと見られている」
薬。
製作者達は自分の作った薬に文字と数字の羅列を与えているが、正式名称などない。何せ今もって「試用」中であり、過去にも複数の型番が使用されたのだ。白衣の悪魔どもが与えたご大層な羅列などに興味はない。
擲弾兵連隊の人間に食事として「試用」された薬は、不特定の人間の人体に様々な影響を与えた。
先ほどのラモレール兄弟もそうだ。リュック・ラモレールはわかりやすい筋力強化。弟のテオ・ラモレールは、物体越しでも人間がサーマルスコープがごとく見える透視。
薬の主たる目的である身体能力の向上が過剰に発現した者。そして超能力の類。すなわち物を浮かせる、物に阻まれても見通せる、未来予知を行う。人の中の何かを呼び覚ますことに成功した、と界隈では喜び湧いているそうだ。
そんなに探求したいなら自分の体でやれ、と言うのが彼女の意見だが、残念ながら彼らはある程度安定するまでは自分の体では試そうとしないらしい。他人を蹴落として自分はのし上がるの典型。明確に悪意があるだけ掃除屋よりもひどいと、吐き捨てる思いだ。
そんな詮無い話はいい。
「娘のほうが怪しい」
「と言うと?」
「娘のほうが腰にナイフを何本も持っている。そして見つかる死体は刃物と思われるものが多い」
確かに写真の娘の腰ベルトには、短いナイフを差している様子がある。
「これを確保する」
やっぱりか、と彼女は思った。
彼女達の仕事は、薬の反応が出ていると思われる人物を監察してある程度の確証、つまり複数の確かな目撃証言や、実際自身らが確かめた上で「捕縛」に移る。彼ら部隊のやっていることは、つまりは一般人を非合法に捕らえて、やはり非合法に「処分」なりすることでなる。世間にそう広まっていいものではない。そして、この少年少女については状況証拠程度のもので、これまでの行動に照らせば「観察続行」に分類される状況であった。レアの店に入って盗聴器を仕掛けたのも、この少年少女が店に出入りしていると言う話があったから観察のためにと言うのもあるのだ。
それでもこうして動くことになったのは、確かに「捕縛」リストに載ろうかというラモレール兄弟の喪失という結末もあるが。私欲のためであることは察せられるというもの。上司のいない今のうちに点数を稼ぎたい、稼いだ点数は自分の指揮によるものだからと独り占め、という魂胆が隠れもせずに堂々と。限りなく黒だが仮に少年少女が白だとして、情報の錯綜と部下の先行と言う理由で片すであろうことは目に見えていた。割を食うのは、いつも地位の低い人間だ。
内心呆れ、そして餌にされた娘達に同情するうちにも話は進む。
「シトラ通りのハイバールホテル、611号室。警察を装い連行する。2班が確保、3班は出入り口で待機、1班はバックアップだ」
「了解」
一班あたり4名。呼ばれなかった班は仕事のある人間は継続、ない人間は待機だ。彼女は待機の人間だった。
手口は単純にしてマニュアル化されている。子供二人を、偽の警察証で適当に言いくるめて連れて帰るだけだ。一度確保してどこへなりぶち込んでしまえば、後はどうにでもできる。やることはたいした事ではない。必要かわからない情報を追加で共有した後、彼女達は仕事の為に席を立ち。
例のホテルの監視をしている班から、連絡が入った。
少年のほうが一人、ホテルを出たとのことだった。
「4班は少年の尾行」
その指示で、彼女は嘆息した。折角お仕事の中で楽が出来ると思ったのにと内心ぼやいて、この豚野郎、とやはり内心で八つ当たりに罵ってもおいた。
□
ホテルで待機するその3日間は、リリアとジゼットにとっては長く感じるものだった。
リリアはもちろんだ。アウトドア系の彼女にとっては、じっとするという行為そのものが不快である。それでも、レアの店に行ってエリー達に料理を振舞うという目的を達せられなくても彼女がそうしているのはひとえにジゼットへの信頼からくるものが大きい。変な人がリリアを探している、という嘘でもないが本当とも言いがたい内容でのジゼットの説得で我慢していた。
一方でジゼットにとってもだ。彼自身は室内は嫌というわけではないが、恐れて逃げてきた悪意が近づいているという話を聞いて、ストレス下に置かれていた。いつどれだけの規模のどれだけ重大な危険が来るのか、まったくわからないのだ。この町で彼が信じているのはリリア、エリー、クリスの三名。いや、自分達の情報をリンクスに流していない様子のレアも含めるならば四名か。いずれも、身近にはいない。そしてそれ以外の人間は、潜在的敵対者。
敵がわからない恐怖。一度こうなるとホテル前で談笑をしている老夫婦にさえ気を払ってしまう。どこから見られているかわからないのだからカーテンだって開けたくはない。
しかしじっとしてばかりも居られない。
この町を出るか。
出るとすればレアから紹介状が貰えるかとか、荷物の準備とか、どのルートを移動するとか。必要なことはいくつかあるが、そんなことは最早些細なことだ。リリアが、ようやく意識して親しみを持つようになったエリーやクリス達とお別れになることを、許容してくれるかなのだ。
船の時には、仲良くなったおじさんが目の前で殺された。つい先ごろには、仲良くなったラモレール兄弟とも永遠に離別した。そこに加えてエリー達にさよならを言えるか。リリアは我が強い。嫌だと思ったら許容しない娘だ。そして仮にそれらをクリアしたとして。
今後は?
どうやって生きる?
今までは掃除屋として人の命を吸って生きてきた。少なくとも金と言う通貨の有用な稼ぎ口。ラモレール兄弟の一件以降仕事はまたしていないのだが、今ようやく普通の女の子に戻りつつある彼女にこれまで通りの生活を求めるのか。それはジゼットが許せなかった。どうかこのまま、手元のお金を元手に何か普通に生きられないかとさえ思う。思うが、それまでの生き方を変えるのは苦労が伴う。子供が出来る仕事などたかが知れている。決まらぬうちに資産をすり潰してしまうかも知れないとも思う。
ジゼットは悩んでいた。自分の将来の相談など、一体誰に出来ようか。誰にも相談できず、一人で考えていたが、答えは出なかった。
彼宛に電話がかかってきたのは、そんな4日目の朝だった。
客室電話で受け取る。相手は知らない男性だった。だから警戒して、ジゼットも従前の態度になって応対する。
「何か用かな」
「611号室の子供に渡すものがある。今から言う場所に、男一人で取りに来い」
「物をやり取りする予定はないよ。誰から」
「俺も金を貰って言付けてるだけだ。お前がいらないってならそれまでだろ」
「‥‥‥住所、聞くよ」
行くとは決めていないが、聞いて損はない。ジゼットは住所をメモに控えて、それで電話は切れた。受話器を置くなり「どうしたの」と尋ねてくるリリアに、何もないよと笑顔を作って告げながら。
誰からだ。何の品をだ。なぜ自分一人で。どんな目的で。そもそも話は本当なのか。
ジゼットは、本当にただの子供だった。自衛すらおぼつかないのだから警戒だってする。自衛の為にリリアを連れて行く、という手はない。今のリリアには、スローイングナイフ一本とて持たせたくはない。その為にこの電話の内容を無視するという手も十分にあった。
だが。
「リリア、少し出かけてくるね」
「どこに? 私も行くわ」
「ホニの町に行ったでしょ? その時宿に忘れ物してたのを、マイヤーさんが届けてくれるって。取りに行くだけだから僕だけでいいよ」
即興の嘘になお食い下がろうとするリリアを、勤めてやんわりと押し止める。
クリスから貰ったA9-ONEアサルトカービンを初めとした銃に関する一式をリュックサックにつめて、懐には同じく貰ったエスコーター5連発リボルバーを入れて。彼の唯一の力だ。
何かの罠だったらその時だ。
自分はいい。だがリリアの為に保険はかける。
「リリア、知らない人が入ってきても付いていったらダメだよ」
「わかってるわ」
「すぐに帰れると思うけど、僕が帰ってくるまで待っててね。それと、もしかしたらエリーさん達が来るかもしれないけど、その時は遊んでていいよ」
「エリー達が来るの?」
「うん」
それに、リリアはにこりと深く笑った。それならばいいと諦めたのだ。
嘘だったが、真実にする。後で電話を借りて、エリーの携帯に連絡を入れるつもりだった。唯一すがれる人達に、事情一切を話して。
夕刻までに自分が帰らなかったら、問題が起きたということでレアにリリアをどこぞに逃がしてもらうようにも伝えて。
そしてジゼットは、立ち上がる。




