4-31 初恋
「はぁっ、はぁっ」
喉の痛みを感じながら、ジゼットはひとまず息をついた。
囮役を引き受けるために、走るのに荷物になるアサルトカービンはクリスに預かってもらった。テオを誘引すると言う仕事上全力疾走でもジョギングでもなかったが、それでも数百メートル走るのは子供にも疲れるものだ。彼はリリアやリュックのような何かは何も持っていない、ただの男の子だった。
あの兄弟はただの男の子ではない。それはジゼットもわかっていたが、同時に、二人の足はそう早くはないだろうなと言う確信めいたものはあった。キャンプ場での戦いの時も、リュックは恐ろしい力を持っているが、リリアの軽やかな速度についていけるわけではなかったことは覚えていた。テオも、銃に頼ったあたり身体能力に自信があるわけではないだろうとも推察できた。だからこうして囮役をしたのだ。あるいはもしも向こうの足が速かった時は、T字路を待たずにエリーが狙撃する予定だった。
ジゼットは走り続ける。彼とて旅をしてきた身だ。人間として体力そのものには不足ない程度のものはある。
後ろから、足音と金属音。
振り返ればその少年。テオがもう追いついてきたのだ。追いつかれはしないが、手を抜いて走れるわけでもなかった。
「死ねよ!」
ライトマシンガンを腰だめに構えたテオが、一度立ち止まって発砲する。腰だめ射撃がそう当たるはずもないが、ジゼットは銃声に追い立てられるようにしてまた足を速めた。テオは、射撃のたびに10キロのライトマシンガンを構えるなり止まるなりしなければならない。逃げるだけならむしろジゼットが有利。
クリス達が後ろの敵を片付けてから援護に来てもらえる手はずになっていた。要するに、逃げ続けるだけでジゼット達の勝ちになる。
そしてそのクリスの声が、耳にしたインカムから届いた。
「ジゼット、状況報告」
「まっすぐ走ってます、問題ないです」
「お~らい。一本右の通りから行くから、適当な所でこっちの街路入ってきて」
「はい」
向こうも終わったのだろう。
それはつまり、後ろにいたはずのリュックは死んでしまった、という事にもなるが。掃除屋になってから、始めての同年代の友達だったのに。だが今は悲しんでいられない。リリアの為にもそうだし、自分だってこんな所で死にたくはない。
疲れてきたが、作戦の折り返しは過ぎた。もう一度後ろを振り返ってテオとの距離を確認すると、ジゼットは次の曲がり角を右に曲がった。
‥‥‥早く終わらせたいと思うあまり、手近にあった道を選んで。
街路は非常に暗かった。先が見通しにくいな、とは思ったがそれでもこの道を選んでしまった以上今更後には戻れないので、ジゼットは何度も後ろを振り返りながら誘導を続ける。
そして、己の判断の間違いに気づいた。
行き止まりだ。
「しまっ‥‥‥」
地図など持っていなかったのだから、大きな通りまで待つべきだった。家々に囲まれた終点。どこか別の脇道に入れないかと視線を動かすが、よしんばあったとしてこの暗がりでは見つけられない。
振り返る。追いついてきたテオが、銃を構えながらやってきていた。ライトマシンガンなどと言うものを担いで同じ距離を走ったはずの年下の少年は、息を切らした様子も見せない。特筆して何が出来るわけでもないが、彼もまたその程度の事ならできる人間だった。
そんなテオは、ようやく見えた勝利のビジョンに、ようやく口元を歪ませる余裕が出来た。
「追いついた」
左右どちらかに逃げられるようにと構えながらも、ジゼットはテオが近づいてくるのを黙って見ているしかない。
テオの形相は、ひどく恐ろしい。およそ持ちうるすべての嫌悪と恨みと嫉妬を現したような、議論の余地など微塵も見えない眼光だった。そしてその少年は、響く低音でそれを口にする。
「お前のせいだ」
「‥‥‥」
「お前が余計なことを言ったせいで、お姉ちゃんと一緒にいられなくなった」
「本当のことを言っただけだよ」
「お父さんは悪いことはしてないし、僕達もなにもしてない!」
それがテオの認識だった。
いや、ここまでくれば、ジゼットにとって彼の認識などどうでもいい。
すべては自分の目的の為。その為だったら、友達になれたかもしれない目の前の彼を害する事だってできる。ジゼットもまた、覚悟をしてきた人間だ。
その覚悟を。言の葉にする。
「リリアは、もしかしたら変われるかもしれないんだ」
目に付いたら殺し、邪魔なら壊し、そうして血染めで手に入れた洋服と銃を愛して。力を使って暴れ、それで何か高揚感に浸り。やがてその為に武器を手にして掃除屋としての仕事を受けているようになった。
そんな彼女が、今まで何も感じることのなかった殺人に悩み、人の死に悩み始めた。それまでのリリアにはありえないことだった。何がきっかけかはジゼットにはわからないが、それはこの町に着てからの変化。
普通の女の子に。
あの時ガラスのように崩れた、自分の信じた女の子に。
リリアは確かに残忍なことを平気でできる人間だ。狂ってる、壊れてる、人として間違っている。皆はそう言ってリリアを指差すだろう。それは正しい認識だろう。でも、悪じゃない。悪意を押し付けてきたわけではない。これまでやってきたことは悪だったかもしれないが、これからはそうじゃないかもしれない。
だが兄弟の歩む道は違う。親の言う事は間違っていないと善悪の区別なく、自分が楽しむ為なら間違っていないと善悪の区別ない。きっとリリアがそのまま人として壊れたら、この兄弟のようになったのだろう。
彼らは考えることを放棄した人間だ。もしかしたら未来では変わるかもしれない。でもその時間はない。今この時に更生の余地がない彼らは今現在において悪であり、これからも同じく悪として壊し続けるだろう。彼ら兄弟は、もう一人のリリアの体現だった。そんな人と関わらせるなんて。それではリリアが、化物に戻ってしまう。
だから。
「僕はリリアが好きだ」
言葉で、テオは鬼のごとき形相になる。それでも。だからこそ。
「リリアは、渡さない」
「黙れよっ!」
テオがライトマシンガンを構える、弾丸を吐き出した。
家の玄関口の出っ張り。使える遮蔽として目をつけておいた小さな隙間を目指してジゼットは走り、そこへ体を隠した。すぐに5.56ミリ弾の雨がやってきたが、やはり腰撃ちが精確に飛ぶわけがなく、ばら撒かれたうちのいくつかの有効弾も、そこそこの厚みのレンガブロックは何とか防いでくれている。だが向こうは軽機関銃。ベルト給弾が後何十発残っているかわからない。ジゼットの見た感じでは予備弾倉も抱えていた。何度も叩きつけられれば、いくら小口径高速弾といえどレンガ程度は食い千切る。
ジゼットは懐に手を伸ばした。クリスから貰った、装弾数5発の回転式拳銃がそこにある。携行用のため銃身が短くされており射撃精度は到底期待できないが、ライトマシンガンの長いリロードタイムで狙って撃つことはできる。
自分がテオを殺したと知ったらリリアは悲しんで、自分を責めるかもしれない。嫌われて離れてしまうかもしれない。それでもジゼットには覚悟があった。行動は人間社会として決して良い事ではないけれど、それを背負う覚悟があった。
射撃は続く。タップ撃ちの教義くらいはあったようで断続的だ。だがなお腰だめ射撃で狙いも反動も制御しきれないテオは、乱雑にばら撒いていく。跳弾がジゼットの足を掠めたが、痛みを堪えて隠れ続ける。少しでも身を出せば射抜かれる。
後どれくらいの残弾があるのか。ジゼットは堪えて待ち。
「テオ!」
女の子の、ジゼットにとって聞き慣れたリリアの声だった。上からだ。
そう、上だった。
クリスの言いつけ通り待つのは居てもたってもいられず、ジゼットを探す為に上からの捜索を決めたリリアは、屋根から屋根へと飛び移りながらここまで追いかけ、そして銃声によって突き止めたのだ。
テオもまた射撃をやめる。その彼の元まで、少女はゴシックドレスを躍らせながら降りてきた。ジゼットとテオの間に。
派手な登場とは裏腹に。
少女の瞳は、揺れている。
「テオ、やめて」
「お姉ちゃん」
テオには迷いはなかった。目の前の人はジゼットを選んだのだ、選ばれたのは自分ではなかった。
でもさすがに、躊躇いなくリリアを傷つけるほどではない。彼の目的はあくまで邪魔なジゼットの殺害であり、究極的にはリリアを手に入れることだ。そしてそのジゼットがいなくなれば、リリアも手元に戻ってきてくれると信じて疑っていなかった。何の根拠もなく、そう信じていた。
だから銃口は、ジゼットへ。
「やめて!」
リリアはテオに飛びついた。そしてライトマシンガンのハンドガードを握り押しのけた。直後放たれた弾丸が、適当な壁に叩きつけられる。
勢いのままに、リリアはテオを押し倒す。そしてその胸にすがって、もう一度お願いを口にする。
「やめてよ、テオ」
「どいてお姉ちゃん」
「お願い、やめて」
問答の間に、ジゼットがリボルバーを構えながら二人に近づいていく。彼を害するのは自分の役目だからと。誤射しないように、確実に当てるように。
テオの腕が動いた。もちろん降参する為ではなく、彼の目的を果たす為に。ライトマシンガンの自由を奪われながらも、なんとか銃口をジゼットに向けようとしていた。
どうしてお話してくれないのか。どうしてお願いを聞いてくれないのか。
リリアはその最後の手段として、空いた手で腰からスローイングナイフを抜き取った。彼を害する為ではなく、自分の目的を果たす為に。圧倒的な力を見せて降参させれば、話を聞いてくれる。そう信じて、テオにも良く見えるように眼前に掲げて見せた。
テオが抵抗の中苦心して照準するよりも、ナイフが閃くほうが早い。わかりきったこと。
「降参して、お願いだからぁ」
「お姉ちゃん、邪魔だよ‥‥‥!」
「お願いっ!」
嘆願する。ナイフと言う暴力を掲げて。
しかし彼は、やはり変わらない人間。
「あいつは、あいつだけは」
テオがぐっとグリップを握る。
「絶対に殺すんだっ!」
それはリュックにも似た腕力。リリアの拘束をも跳ね除けて、銃口がジゼットに向いた。ジゼットが驚くが、彼には避けられない。
彼の指が、トリガーに。
もう止まらない。
ジゼットが、殺される。殺されない為には。
方法は、後ひとつだけ。リリアはそれを知っている。
テオの指先が動くまでの時間。悩む時間など、ない。
「やめてぇっ!」
あらん限りの力をかけて、ライトマシンガンを押し込んで、その瞬間だけ時間を稼ぐ。凶弾はまたしてもジゼットを外れた。
そして。
ナイフを彼の胸に寄せて。
身に染み付いたその技術で。
刃を突きたてた。
あまりにも正確に、心臓を。
時が、止まる。
テオが、小さく咳き込む。
咳には、肺に入った血が少し混じっていて。それで、リリアは自分が何をしてしまったのかを理解した。
ナイフを持つ手は、震えている。
何を言うべきかもわからず、何をするべきかもわからず。リリアはただ、自分がしてしまったことを示すナイフを見つめる。
「お姉ちゃん」
呼びかけに、少女は視線を上げる。
口の端から血を流すテオは、じっと正面にいるリリアを見つめていた。リリアもまた、彼のことを見つめ返していた。
テオは、穏やかな表情で。リリアは、泣きそうな顔で。
二人だけの時間。
「僕・・‥‥」
小さく咳き込みながら、かすれる声で。
リリアは顔を近づけた。もっとよく見ようと。もっとちゃんと聞こうと。
「お姉ちゃんのこと、好きだよ」
小さく掠れて、それでも穏やかな。
友達として自分に笑いかけてくれた、その声で。
だから。
「私も、好きよ」
それはきっと、同じ意味ではないけれど。
テオからの答えは、なかった。
口元も、表情も、銃にかけられた指も、何にも力はなく。空を仰ぐ瞳は、もう少女を見てはいなかった。
それを理解して、リリアはそっと、彼の体の上から身をどかした。そしてふらつく少女の肩を、後ろからやってきたジゼットがそっと抱きとめた。
「・・‥‥」
何も言わない少女を、ジゼットはただ抱きしめる。




