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4-23 幸せになる為には




 出かける準備だけは終えておいて、しばらく、エリーは銃を見つめていた。

 布の上に置かれた、ローズのスナイパーライフル。

 この銃のメンテナンスは、一度もしたことがない。銃の表面すらきちんと拭いたことはなく、砂埃にまみれた状態で放置されたそれは到底状態がいいとは言いがたい。防錆剤の効果はとうに切れており、使用後そのままの状態で放置されている内部は恐らく、表面以上の状態であろうことは疑いない。もしかしたらまだ正しく発砲することは出来るかもしれないが、到底精度は期待できないだろう。ここまで来ればこの品は最早銃ではなく、銃の姿をした塊に過ぎない。

 無論、彼女にとってそれが銃と言う存在である必要はないが。

 昔も、エリーは何度か手入れしようかと考えたことはあった。それでもいざやろうとすると、手が伸びないのだ。初めは、そのままの姿で残していたくて。やがて触れる事が恐れ多くなり、恐怖になった。リゼの言う、怖いのかと言う問いは正しいのかもしれないと、エリーは思う。

 そんなライフルを、見つめる。手袋と手持ちのガンオイルは脇に置いてみたが、やはり触る気にはなれない。

 別に、当時そのままの姿である必要はない。銃がそこにあればいい。だから拭きあげるくらいは構わないはずなのに。リゼとの話で、ガンスミスあたりにメンテナンスを依頼することになるだろう。そのくらい問題ないはずなのに。だが正直、それで手元を離れることになるほうが嫌だった。手元から離れるのが嫌。リゼの言葉ならと渋々承諾したに過ぎない。

 何度目かもわからないが手袋に手を伸ばして、やめる。

 手が、震える。

 する必要はない。どうせ後で誰かがやってくれる。

 でもそれこそが不満で。

 どうしようもない、感情。




 ドアノブが回される音。




 そういえば、リゼとクリスが部屋を離れた後に施錠をしていなかったななどとぼんやりと考えて、音のした戸口を見る。

 もう迎えに来たのだろうか。そう思っていたエリーの目に飛び込んできたのは、その予想とはまったく別の、黒いゴシックドレスを身につけた小さな少女だった。


「あ、起きてる~」


 少女、リリアは挨拶もすっ飛ばしてそう述べると、なんら遠慮なくエリーの部屋へと入っていった。彼女に遠慮などというものが脳内辞書にあるのなら、ドアノブを捻る前にまず扉をノックしている。そう。少女はレアの店の居心地悪さから、居心地のよさそうな場所あるいは人と考えて、エリーに会う事にしたのだ。

 エリーも驚きだ。まず彼女がここに来るのが初である。アパートと部屋番号も教えていたわけではなく、ある日のエリーの帰宅の際に彼女が勝手についてきただけである。それはそれで教えている範疇になるのかもしれないが。

 驚いたが、それだけだ。何の目的できたのだろうとエリーは思うが、彼女の事だから目的はないのかもしれないとも思った。


「おはよう」

「おはよ」


 エリーに語られて遅めの朝の挨拶をしたリリアは、珍しそうにしげしげと部屋を眺め回した。

 しばらく探索して、自分の気に入るようなものが猫のお面―――たまにエリーが最低限個人を隠すために着用している安物のお面―――くらいであることに唇を尖らせて、そしてフローリングに座っているエリーに改めて向く。少女の視線は、その膝元にあるスナイパーライフルにも注がれた。


「それ、新しく買ったの?」

「前から」

「ふぅん。なんか、汚れてるね。お掃除?」

「‥‥‥別に」


 その銃の価値を知らない少女は眺めて、そして今度は銃を踏まないように迂回しながらエリーの傍らにやってくると、腰を下ろしてエリーに体を預けた。撫でて、といわんばかりに頭を出してくるので、エリーはなんとなく頭に手を置いてなでてやる。リリアは心地よさそうに身を揺らす。

 しばしそうして。


「ねぇエリー」

「何」

「友達に何かをするのってダメなの?」


 何の話だろうとエリーは数瞬考えて、彼女の友達の兄弟の話だと思い至った。


「アナベルだっけ、あの人が言ってたわ。もうリュック達と関わらないようにって」


 それは恐らく正しいことだ。実際にしてリリアに何が出来るというのだろう。クラバニが彼らと事を構える気でいる以上、子供達も恐らくただでは済まない。利益と悪意の間には、救済の言葉はない。友達であるはずなのに対話も通じない。だからこれ以上関わっても彼らが死ぬ、彼らが誰かを殺すというその未来は変えようがないし、リリアは関わろうとする分だけそれをより近くで見ることになるだけ。何にもならない。


「近くに行ったらダメなの?」

「‥‥‥」

「友達になったと思ったのに」


 リリアは唇を尖らせる。


「私、自分と同じくらいの年の子と会ったことって少ないの。ガッコーとか行ったことないし。擲弾兵連隊で見かけて話しかけても、銃を握って泣いてたり、すぐ怒ったり。ジゼットは違うのよ。楽しくお話できたわ。リュック達もそう。だから、もっと楽しく出来ると思ったのに」

「残念、だね」

「ねぇ教えてよエリー。こういう時、どうしたらいいの? エリーってこういうの経験とかないの?」


 友達が死ぬ時に、死にそうな時に、どうしたらいいのか。

 そんなもの、エリーのほうが知りたいくらいだった。

 しかしほんの少しだけだが、リリアよりは経験している。それを語ってやることしか、できることは思いつかない。


「前。少し話す人がいた」

「エリーが?」

「ん」

「エリーの友達?」

「‥‥‥さぁ」

「教会の人の時もそう言ってたよね、エリー。変なの。それで、その人とはどうしたの?」

「撃たれて死んだ。苦しんで、私を恨んで死んでいった」


 リリアが顔を上げる。彼女が顔を向けてくるのでエリーも見下ろした。少女は、すごくきょとんとしている顔だった。


「何で? エリーが悪いの? どうして恨むの?」

「私が、もっときちんとすればよかった」


 訴えに、リリアは本当にわからないという顔をする。

 簡単な話だ。できることをしなかった。怠慢をしたから。そのことを彼女は怒っている。

 しかし少女は。


「やっぱりわからないわ」


 開いたエリーの左腕を抱きながら、リリアは不満げだ。


「エリーはどうしてその人と一緒にいたの?」

「仕事だから」

「撃つ場所なんて自由でしょ。一緒にいたいからいたんじゃないの? 私は、ジゼットとはそうよ」


 それとも命令だったの、と質問を付け足して、リリアはごろんと横になってエリーの膝を枕代わりに寝転がり見上げる。

 命令。

 命令では、なかった。あの日は、いや、あの日も。いつもそうだったから、いつも通り。

 仲がよかった。

 違う。

 エリーは頭を横に振る。ローズはそんな事は思っていない。たまたま同じ射撃班になって、たまたま使う武器の嗜好が似通っていて、年上の責任で仕方なく自分の面倒を見ていただけだ。


「兎に角。エリーは何もしなかったのね」

「ん」

「やっぱり、そうしたほうがいいの? 友達なのに何もしないほうがいいの?」


 リリアが悲しそうに語る。

 それがいい。リリアに出来ることなどもう何もない。彼女は個人として並外れて強いが、世界を変えられるような権力ではない。世界に対してはただただ無力なのだ。船の件でのおじさんのように、目の前で死を見せ付けられるだけ。近づいて傷つくくらいなら。


「目、閉じて。耳、塞いで。そしたら、今より不幸にはならない」


 幸福を知らなければ不幸も知らずに済む。現状から何も見聞きしなければ、それ以上感情が揺れることはない。

 でも。そうであるべきだったとはエリーは思わない。それは幸せとも言えない。何かできるのなら、何か出来たのなら、するべきだったとは思う。あるいはそれで、今よりも良くなっていたのかもしれないのだから。もちろん、今よりもより悪くなった可能性だってあるが。その、良い方を掴み取る為の手段を、知らない。


「不幸にならない方法はわかったわ。じゃあ、幸せになる方法はないの?」

「それは」

「私は幸せになりたいの。楽しいことをして、きれいな洋服を着て、好きなことをしたいの。友達とも一緒に遊びたいの。なのに、友達に何かしたいって思ってもしちゃだめなの?」


 幸せになりたい。

 難しい話だ。誰もがやりたいことをやれるわけではない。望むことがすべてできるわけではない。やって必ず結果が出るわけではない。妥協や挫折や失敗は、世の常だ。人間は、未来が見えるわけではないのだから。

 それでも少女は、妥協を知らず、挫折を知らず、失敗を恐れない少女は、知らないからこそ幸福を望む。

 もし。

 恐らく、兄弟の件で状況が好転することはないだろう。それは、結果は変わらないということだ。

 だが、もしも、だ。

 もし満足するだけ手を尽くしたとしたら、そうしたらどうなるのだろう。少しは、よくなるのだろうか。少しは、幸せなのだろうか。少しは、気分が楽になるのだろうか。

 少しは。彼女も、満足してくれたのだろうか。

 ぼんやりと、エリーは考える。やめろこの子が不幸になるだけだという自分と、そこまで手を尽くさせてあげたいという自分と。

 手を尽くしてあげたかったという自分と。

 悩んだ。悩んで。

 この子は強い。自分よりも強い。心も体も強いこの子なら。

 身勝手な希望と、期待だけれど。


「して、いいと思う。会いたいなら、会えばいい。話したいなら、話せばいい‥‥‥と、思う」

「そうよね、していいのよね!」


 エリーの言葉はひどく弱弱しいものだったが、承認欲求が満たされた少女は起き上がって、エリーに抱きつく。

 これでよかったのだろうか。エリーは悩む。自分の言葉がさらにこの子を不幸にしはしないだろうか。クリスもアナベルも関わらせないようにする意向のようだし、同調しておくべきではなかっただろうか。不安と言うよりも恐怖に近い感情。

 だから、感情に突き動かされるように。

 口にしたのなら、せめて行動も伴わせたいとエリーは思った。


「リリア」

「なぁに?」

「手伝うことあるなら、手伝う。それと。その。辛くなったら、言って」


 後半はリゼの真似事であったが。

 リリアは初めぽかんとして、そして次に大きく笑顔を作り、頷いた。









 満足げに出て行く少女を見送り、エリーは改めて床に眼を落とす。

 あるのはローズのライフルだ。見向きもしていないことが丸わかりの、汚れたライフル。

 彼女は、自分のことを友達などと思ってはいないだろう。

 リリアのように、喧嘩になった兄弟を今でも友達だとはっきり言って。一緒に居たいと言って。そのために何かしたいと言って。あの姿は羨ましいと、エリーは思う。あんなにはっきりと言えるのはすごいと思う。

 自分には、真似できない。

 でも。

 オイルを染み込ませた布を手に取る。

 自分も、本当は友達だと言いたい。一緒に居たかったと言いたい。手を尽くしたと言いたい。


「触って、いい?」


 呟く。

 誰も答えない。


「触る、よ」


 そっと銃に、触れる。

 手の震えは、少しだけ収まっていた。




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