4-22 サバイバーズギルト
エリーのさっぱりした部屋と違い、クリスのそれはあまり誉められたものではない。
服が脱ぎ散らかされていることはないが、布団は乱れっぱなし。その上には抱き枕代わりのぬいぐるみが二つあるが、散々に使われたそれはややくたびれている。そしてなにより、部屋中に銃及び銃雑誌が散乱している。散乱と言ってもある程度陳列してはあるのだが、狭いアパート部屋に対しては少々量が多いので、どうしても床を埋めてしまう結果になる。
部屋のことはリゼも知っている。多少連絡を取り合う関係上お邪魔したことはあるので、あぁまた物が増えているなと、リゼとしてはその程度の感想だ。
それに、今は別のことがある。
部屋の扉を閉める。
そして。
クリスは、思う様にクローゼットを蹴りつけた。
大きな騒音が響いて、静まる。
そんな彼女に、リゼが掛ける言葉は一つだった。
「よく堪えたわね」
エリーとの会話の間、何度も粗く息を吸う声やただならない気配を発してきたクリスの肩に手を置く。
特にローズのことを悪く言ったあたりでは、どれほど彼女が吠えようと思ったか。エリーが彼女のことをそんな風に語ることが信じられなかったし、許せなかった。あの時の真実ならクリスもリゼもその場にいて、目にしたのだ。苦しそうに小さく身じろぎしながら、何も語れずにエリーを見つめながら息を引き取っていったこと。そんな彼女が、潰された喉でエリーに恨み節を残して死んだなど。いつの間にかエリーの中で捏造されているそれに憤るなと言うのは、中々に難しい。
そして同時に、クリスは無性に泣きたくなった。
エリーが苦しんでいる理由が他の誰でもなく、一番近くにいた自分が原因だという事がわかってしまったから。自分を守る為に今まで黙って付いて来たのだとわかったから。だから苛立つのだ。気づかなかったこと、エリーの辛い使命感に甘えていたこと。
「ごめんねぇ、リゼ」
精一杯に軽薄を装って、クリスは弱く笑う。
無理に作った笑顔も、すぐに消える。
「ローズが恨んでるだなんてどういうことよ。あんなに、仲良かったじゃん。どうしちゃったのよ、エリー」
「だからこそ、なんでしょうね」
失った痛み。
クリスはベッドに腰を下ろす。そしてぬいぐるみを抱きかかえて、それに顔をうずめた。
「エリーさ、私が掃除屋やるってなった時、無条件で付いてきてくれたんだ。それがさ、うれしくてさ。やっぱり一人って寂しいし、怖いし、一緒にいてくれるならって」
「ローズのようにクリスに死なれたくないために、自分も銃を持った。そういうことなんでしょうね」
「馬鹿だねぇあいつ。こんなダメ人間放っておけばいいのに。私となんて、上司と部下以上友達未満だったじゃんか」
仲の良い順の序列を作るのであればクリスの言は間違いでもないが、正しくもない。少なくともクリスは、エリーが銃を持って傍にいるほどの価値があるのだ。
それで銃を持ち人を撃ち、その度にローズのことを思い出し、苦しむ。
リゼがローズの銃を手入れしようと言ったのは、少しでもそういうものを彼女の身の回りから引き剥がしたいからだった。連想させるものによって記憶は色褪せることなく呼び覚まされる。エリーにとっては、数年前のローズの出来事もつい昨日の話になる。
そして繰り返し見るうちに、捻じ曲がる。
「少しだけね、勉強してきたの」
「何を?」
「戦災を受けた人たちの、心の傷というもの」
PTSD、と言う言葉がある。軍隊においては、戦争時そして戦後に問題になることだ。
戦争と言うものは命の極限状態が連続する。極度の緊張状態の中で経験したこと、自身の命が脅かされる恐怖が、味方を救えなかったりした無力が、殺人を犯した罪念が心に刻まれる。そしてその傍らにあった砲声、銃声などを聞くことで何度も何度も、その時のことが呼び起こされる。それら刺激さえ必要なく、夢で呼び起こした記憶で、パニックを起こす。
エリーもまた、広義にはPTSDが疑われる。しかし彼女は通常の意味で使われるそれとは、やや向きが異なる。
サバイバーズギルト。
「どうして自分が生き残ってしまったのだろう、どうして助けられなかったのだろうと、自分を責めてしまう」
「どうしても何も、どうしようもないじゃん。エリーが悪いわけじゃない」
「えぇ。それでも、思ってしまうのよ。系列の教会で預かる子供達にも似たような子が何人かいて、少し話題になっているのだけど」
リゼは伝えた。不眠になって攻撃的になり、逆に感情の起伏が減って塞ぎこみ関わりを絶とうとする。事故の記憶がなかったり、事故の夢を繰り返し見たり、些細なことで思い出しパニックを起こしたり。何の問題なく平然としているかと思えば、思考の基点が歪んだ自己犠牲と使命感であったり。反応は一定ではなく、だからこそ対応に困っていると。
それで済めばまだ「良い方」であることを知っていたリゼは、しかしそこまでは口にしない。何でもない普段の生活ですら弦線に触れてパニックを起こし、自傷行動を行い、苦痛から逃れる為に酒や薬物に溺れ、常に自責して心が壊れ、その終末点として重犯罪を起こす。あるいは自らを絶つ。それらを考えれば、生命活動として生きて必要分の日常生活ができている彼女はまだ軽症なのかもしれない。確実に生活に支障が出ていて、その人の性格すら捻じ曲げていると言うのに「軽症」とは何の冗談か。
クリスはもしかしてと思った。エリーは寝すぎる程寝ている眠り姫なんかではなく、夜にまったく眠れないから昼間に寝ているのではないかと。ほんの数時間だけ。過覚醒も、症状のひとつだ。
「エリーは、赦して欲しいのかもしれないわね」
「何を?」
「ローズのことを含めた、今エリーが罪と感じているすべてを」
ローズが死んだのは自分のせい、クリスがピンチになったら自分のせい。リリアとジゼットも、何か起これば自分のせい。彼女の意思がそこに介在できるかを問わず、エリーの中では、何も許されない。
「赦してあげるよ、私が赦してあげるよ! あいつは何にも悪くない!」
「エリーを赦してあげられるのは、エリーだけよ。私達は、それまで寄り添ってあげることしか出来ない」
顔を上げて訴えるクリスに、リゼの言葉はどこまでも辛い。
何も出来ない。何もしてはいけない、が正しいのかもしれない。自己防衛を働かせるほどの緊張の中、無理矢理押し付けては彼女は耐えられない。出来るのはただじっと、傷が癒えるまで守ること。化膿してひどくなるかもしれない、一生かかっても治らないかもしれない、その前に本人が疲れきって終わらせてしまうかもしれない、見えない傷を。
クリスはしばし黙した。そして考え付いたことを、口にした。
「私がさ、こんなクソ仕事やめたら。エリーも付いて来てやめるかな」
「そうかもしれないわね」
「そしたらよくなるかな。前から口数少ないけどさ、あんな置物みたいな顔じゃなくて普通にしてくれるかな」
「可能性だけね」
「そっか」
でもそれは、クリスには出来ない。
「そりゃ、やめたほうがいいのはわかるよ。でもさ、わかんないんだよね。私。未来の展望とか何とか、さっぱりでさ。明日は何をしようかとか、来年自分は何してるんだろうって、さっぱりで怖くなる。レアから依頼が飛べば貯金と相談してやっておくかって、それだけ。掃除屋をやめたらどうするかって、真っ白になる。だから、エリーだけやめて欲しい」
「私としては、あなたも心配。思考が破滅的だもの」
「申し訳ないね」
ごろんと、ぬいぐるみを抱いたままクリスはベッドに横になる。
自分の未来が見えないのだ。だから続けている。少なくとも今日生きるために必要なものは手に入るから。ここできっぱりとやめる、と言えないから自分はダメ人間なのだとクリスは唇を噛む。彼女だって好き好んでここまで沼に嵌ったわけではない。クリスだって、どうしていいかわからないのだから。それについてはリゼも何も言わない。責めるなどとんでもないことだ。
できるのは、現状の上での対策を出すこと。
「エリーがゆっくりとできるようにしましょう。外に連れ出したりもいいと聞いたけど、無理強いはしないように。もちろんあなたも、自分が疲れないように。ローズの銃のことはお願いしてもいいかしら」
「オーバーホール突っ込んどけばいいんでしょ、了解了解」
「それと。エリーの傍にいてあげてね」
「いいの? あいつがあんなになってるの、私のせいだよ」
「あなたが隣にいるからこの程度で済んでいる、と私は考えるのだけどね」
家族を失って、友達を失って、故郷を失って。無くし続けるエリーの傍にまだいるのが自分達。それはひとつの依存の形なのだろうとリゼは考える。良いか悪いかは論議に値しないが、クリスの傍にいる、クリスを助けるということが彼女の行動原理なら、クリスはただそこにいるだけでエリーを救っている事にもなる。
「それは吝かじゃないけども」
クリスは渋い顔。了承があるならいいが、やはり負い目はある。まぁ適当に軽薄に笑っておいて、いつも通りにしておけばいいのだろう。掃除屋稼業についても、リリアの件もあるので急いでやるつもりはクリスには毛頭なかった。
いっそこれは契機なのかもしれない。現在の資金でどれほど生活できるかは不明だが、当座分くらいは稼いで手元にあるので掃除屋をぱぱっとやめてしまう。その後は知らない。自分は適当に生きて適当に野垂れ死ぬだけだし、ともクリスは考えたが進んで生きる気はないが進んで死ぬ気もなく、やはり資金源たる掃除屋仕事は捨てがたい。やめるにしてもそのあたりの生活組み立てを、アナベルにでも聞いたほうがいいのかもしれないな、ともクリスは考えた。
これまでだったらその対処だけでよかっただろうが。
あとはそう、子供二人の件だ。
エリーは先の襲撃の件で、クリスの指示なくリリアと行動することを選んだ。ジゼットに対しても、取り乱して止血に入る。あの子供らと会ってまだ数ヶ月程度だが、エリーにとっては二人も「守りたい人」に入っているのだろうなとクリスは思った。山荘の件で強情に随行したのも、銃撃戦と言う最悪の事態が起きても守れるようにということなら。だとしたら、たかだか成り行きで組んだにすぎないガキ共なのに、とんだお人よしだと思う。ともあれ、子供二人の動向も考えておかないといけなくなる。
それにしてもだ。
「すごいよ、リゼは」
自分だったら吠えて掴みかかって終わりだろう。それはよくないとリゼに釘を刺されたので今回我慢して推移を見守ったわけであるが、クリスはリゼに頭が上がらない。いつだって頼れる年長者で、指標。三人の中で唯一普通の人間をやっているのも彼女なのだから。
リゼは微笑む。微笑んで、握り拳を作っていた右手のひらを開いてクリスに見せた。
「そう見える?」
「‥‥‥やっぱすごいよ」
爪で皮膚をで押し破り、赤く出血の跡を残すそれを見て、クリスは嘆息した。




