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4-19 幸せの定義




 レアの店は、少なくともジゼットが知る限りでエリーとクリス以外の来客があった事はない。

 レアは斡旋屋共同体リンクスと繋がってはいるが、リンクスの掃除屋がここを訪問してきたことも見たことがない。彼女はお抱えの掃除屋がいると語るが、本当に他のお抱え掃除屋がいるのか疑問にも思うくらいだ。だからこの店は、いつも店主のレアと、当たり前に通うエリーとクリスがいて、それ以外にはいない。

 ジゼットにとって、現在住まいにしているホテルを除けば、レアの店とは何も考えずのんびりと過ごせて、特に警戒の必要もなく食事にありつける。仕事をする場所でもあるが、ここはそれなりに平穏な空間だ。騒がしいわけでもなく、かといってテレビかラジオを小音量で流すのでまったくの静寂でもない。何なら、レアが話相手にもなってくれる。酒臭くもタバコ臭くも汗臭くもない、かといってハーブやらで騒がしい臭いでもない。ジゼットは、この店の空気は嫌いではなかった。

 だから、仕事の受注予定がなくてもこうして来るのだ。

 ジゼットは周囲を見る。

 いつもの二人、エリーとクリスの姿は、今はここにはない。少し、残念にも思う。


「今日は来ないって言っていたわ。早くても昼以降って」


 尋ねるジゼットに、レアがクリスからの通達をそう教えた。


「そうなんですか」

「報告連絡だけは真面目ね、あの子は。犬時代の名残かしら。思考停止でずぼらな態度を取ることさえなければ、誠実な子なのだけど」


 ジゼットは同意する。こういう仕事で、こういう事情だ。皆どこか疲れて擦れて、やり場のない怒りと無力感で人格も歪んでいく。彼女は自分はダメ人間だとか言うが、そしてエリーは一切自分を語らないが、ジゼットの経験上、掃除屋になってからああもいい人に会うのは初めてだった。普通だったら子供の自分達の面倒なんて見ないし、リリアを見て距離を置く。

 だから隣のリリアもつまらなそうにしている。特別自覚しているわけではないが、良くしてくれる人と言う意識はあるのだ。ここに来れば彼女達がいるのが普通だから、いないことが不服。

 その代わりと言ってはなんだが、今日は珍しくも別の来客がいた。眼帯の、女性。彼女はカウンター席で紅茶を飲んでいる。


「アナベルさんは、どうしてこちらに?」

「この前の仕事の都合で、この町に宿を取ったんですよ。話したらクリスさんに誘われまして、もう少し遊んでいきなよと」


 彼女の住まいはもっと海寄りの町。山でのギャング襲撃のために、知り合いとはるばる公共機関を乗り継いでやってきたという。ウルティスにだって、バス路線くらいは通っている。

 こういう仕事に足を突っ込んでいる人間だ。アナベルとて決して裕福と言うわけでもないが、多少遊ぶくらいの余裕は持ってある。それに件の襲撃報酬が来るので、その一部を折角再会したお友達との付き合い料として使うのはアナベルとしても吝かではない。

 それに。


「続けて襲撃の依頼が来たので」

「アナベルさんは参加するんですか?」

「とりあえず、そのつもりです。今回も複数での仕事だそうでして」

「エリー達にも依頼が来ているわ」


 述べて、肩をすくめて見せるのはレア。


「あの子達も随分気に入られたものね。クラバニからお誘いも入っているのよ、うちに入らないか聞いてみてくれって」

「お二人は、何と?」

「伝えていないから答えようがないわね」


 もっとも、あの二人ならばギャングへの加入など了承するとも思えない。それはこの場にいる四人とも一致した意見だった。


「誘いが来るのもさすがです。クリスさんは、状況判断がすごいです。エリーさんも何かすごいんですよね?」

「さて、どうかしらね」


 クリスの本能に頼った判断力は確かに結果を残しており、またエリーの射撃の腕前は、掃除屋稼業としてはむしろ過剰技能であったが、レアはそう嘯く。

 一方でジゼットは口を噤んだ。考えているのは、アナベルが受けたという新たな依頼。アナベルの語る襲撃依頼とは、そういうことなのだ。殺害リストからあの兄弟達が外れたとも考えにくい。

 どうしようもない。彼らは父親を信奉しているようだし、あんな出来事の後では話など通じないだろう。本音は仲直りしたいし、説得したい。でもどうしようもないのだ。あとはもう、すべて傍観するしかない。それで例えどんな事が起きようと。


「ジゼット。ラモレール兄弟について、少しだけ情報が入ったわ」


 レアが口を開く。


「時期は不明だけれど、彼らは以前から、恐喝の手伝いをしていたみたいね。暴行や発砲もあったらしいわ。主に、兄のほうが」


 それが、彼ら兄弟の言う仕事だったのだ。レアは語らなかったが、それによる犠牲者も既に出ていた。

 元から対話の余地などなかった。そんな、遅すぎる情報。

 少年は息をつく。


「幸せの定義を知っていますか、ジゼット君」


 不意に、アナベルはそう語りかけた。彼女はなぜか、明らかな年下相手でも丁寧な言葉をやめない。

 ジゼットは質問に疑問も持ったが、まずは答えることだとしばし悩み。


「難しいですね」

「簡単ですよ。不幸を知らなければ幸福なんです」


 ジゼットは、黙する。


「誰もが嫌だと思うことでも、その人が嫌と感じなければ不幸ではないんです。誰もがいい事だと思うことでも、その人が嫌と感じれば不幸なんです。だから彼らは、不幸ではありません。それが今の社会に受け入れられるものかは、また別ですが」

「正すべきでは、ないんでしょうか」


 間違っていることは間違いだと、教えて正す。

 自分の意見は調子のいい話だな、とジゼットは思った。隣にいる少女一人の手からナイフをもぎ取ることも出来ないでいるのに。こういうのが偽善、と言うものなんだろうなと。

 アナベルはティーカップを置く。


「もちろん、正すべきでしょうね。今の社会常識にとってそれは悪いことですよと。違法、道徳。でもそれは、ジゼット君が負う責任ではありません。大人が、彼らの両親が、するべきことですから」

「そうかもしれないですけど」

「もう一度言いますよ、お二人にはあらゆる責任はありません。正せなかったと落ち込むことも、正せなかったことに負い目を持つことも必要ありません。彼らの教育の事も、彼らの今後の事も、すべて大人の領分です。他所の家の、他所の子の話です。お二人はこれ以上干渉しなくていいです」

「でも」

「‥‥‥もう、難しい話をしないでよ」


 それまでじっとテレビを見ていたリリアが、頬を膨らませて席を立つ。

 どうしようもない、どうにもできないからこその憤り。怒りではなく、周りへの不満となって、そのつまらない世界から逃げる為に。


「リリア、どこに行くの」

「遊びに。また戻ってくるわ」


 話の内容が気に入らなかった。それがわかっていたのと、戻ってくる意思はあるようなのでと、ジゼットは「いってらっしゃい」と述べるに留めて少女を見送った。きっと、町のどこかをふらつく気なのだろうと。

 でも、この町には彼女を笑顔にさせてくれるようなものはない。不満顔のまま帰ってくるんだろうなと、ジゼットは思った。



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