4-6 青い空
空はきれいだと、少女は思う。
どこまでも明るい水色で、どこまでも高くて。昔は、狩猟帰りに空を見上げながら帰るのが好きだった。照らされる雪山も、夕日で赤く染まる姿も、きれいだと思った。
だから空を、見上げる。
街で見上げる空は狭く感じる。人工物が視界の端にチラついて。それが手入れされた家ならまだいいのだが、錆の入った倉庫や、崩れたレンガや、立ち込める黒煙が入り込んでくると、嫌な気分になる。なので、今見上げている空は、リリアにとってはそんなに面白くはなかった。
その当時はなんとも思っていなかったが、山師のおじさんの家から離れてこうして考えると、自分はあの山が好きだったのかもしれないと少女は思った。ひらひらの服で皆の視線を奪うのは好きだが、それとは違う好き。冬の寒さだけは考え物だったけど。
視界の端の建物が、流れていく。
「前見ないと危ないよ」
忠告されて、リリアは視線を水平に戻した。
自分の隣には、先日知り合った兄弟二人がいる。
「大丈夫よ」
たとえ何かに足を取られても、こけずに姿勢を持ち直す自信がある。リリアがにっこりと笑うと、兄のリュックはやれやれというように、弟のテオは気恥ずかしそうにした。
今日は、ラモレール兄弟と約束したお出かけの日。幸いにも天気に恵まれ、予定通りの決行となった。
そして、ジゼットも隣にいる。楽しんでいってらっしゃいと渋る彼を、リリアが引っ張って連れて来たのだ。なので男の子三人女の子一人の、花より男子状態だ。
少女が前を向いて歩いてくれるようになったので、リュックはジゼットとの会話を再開した。
「それで、四人で旅行してるのか」
「そうだね」
ジゼットが頷く。実際にはリリアとジゼットによる二人旅なのだが、対外的にそれはどうなのかということで、ジゼットとリリアは兄妹で、その上でエリーとクリス「お姉ちゃん達」と旅行をしているという事に名前を借用し微細改変して伝える。嘘をつく分にもつかれる分にも、たいした問題ではない。
「旅行って大変じゃないのか」
「最初はね。危なくなさそうな場所を探したり、ぼったくりしない宿を探したり、それでお皿粗いとかの仕事も探して。乗るバスや電車を間違えて道に迷ったりもあったね。でも、慣れたよ」
「そんな苦労をして、何かしたいんだ」
「どこか、落ち着ける場所をって思ってるけど。明確な目的はないのかもしれない」
仮初とはいえ戻るべき屋根つき宿があって、立ち寄ればそれなりに気を許せるようになった相手と会えてという今の生活は、まさに求めている落ち着く場所と言うものなのかもしれない。リリアのリッパーの件もあり、ジゼット達はこれまで一所に長く滞在したことがなかった。知り合うまでに時間がかかり、知己になる頃には次の町へ。そもそも掃除屋と言う荒れた業界では、善意で面倒を見てくれるような人間はお目にかかれない。だから、エリー達のような知己を持ったのは初めてだった。
「当分はここにいるんだろ。そのまま住めばいい」
「それは、また考えるよ」
、一般人として住むにはウルティスはあまりに現実的ではない。もっと安全な場所なら他所にいくらでもある、と言うのが辛いところだ。
しかしウルティスが生まれ育ちの兄弟は、そうは思っていない。
「そんなに悪くないと思うけどな。元は観光地だったって父さんも言ってたし」
「僕達は、他の町の事は知らないけど。全然困っていないよ」
「うん、言われるほどはひどくはないのかなって思うけど。それも中心部だけかなって」
「そう言われるけどね。ほら、この先」
案内された路地を曲がる。
四人は、ひとつの道へと抜けた。アスファルトの無機質的路面ではない、やや曲がりくねった、そして掃除も手入れも行き届いた石畳の通路だ。
並ぶ建物も、石畳と同じ年代を感じさせつつも景観を保っている。すべてが洋服店や喫茶など何かしらの店舗であり、看板を出していたり、窓ガラスに大きく店名が描かれていたりしている。そして何よりも、そこは人で溢れていた。品物を物色する客。店内で談笑している客。自身の服装に気を使った、仲のよさそうな友達グループや男女が交錯している。
その賑わいは、買出し客で溢れる中心街の噴水広場には及ばないかもしれないが、間違いなく活気がある、そして噴水広場にはないきらびやかな光景だった。
まるで、小粋な中世観光スポットと大きな都市のショッピング街を合わせたよう。
「ど~だ~!」
テオが自慢するように胸を張る。
まさかウルティスにこんなまっとうなな区画があったとは。それも、中心街からはやや外れている場所だ。リリアもジゼットも、それは驚いた。先ほどまでやや落ち込み具合だったリリアの気分がどこかに吹き飛ぶくらいには。
「ここは?」
「父さんが整備してるんだ」
リュックは語る。
「ウルティスが昔と比べて汚くなっているのは、そうだと思うよ。昔遊んでた公園とかも、宿のない避難者のたまり場になってるし」
「でも、それをお父さんはきれいにしようとしてるんだ!」
「お父さんが?」
尋ね返すジゼットに、リュックもまた誇らしそうにした。
「町のいろんな人とお話して、人を集めて。ここだって最初は浮浪者が多かったけど、皆で集まって掃除して、きれいにしてる」
「連れて行ってくれたレストランも、お父さんのお店だって言ってたよね」
「そうだよ。昔みたいにきれいにするぞって、父さんは言ってる」
「お父さんは、観光業か役所の人なの?」
町全体を整備していく計画のひとつとして、手をつけやすい場所から元に戻していく。政府単位では兎も角、役場レベルであってもそういう動きを始めたのなら、多くの時間と手間は必要だがウルティスは以前の立場を取り戻すかもしれない。この地で育ってきた人間として、自身の父親がそういう事に携わっていることは誇らしいだろうなとジゼットは思った。
しかし。
それにリュックは否定した。
「父さんは役人じゃないよ。今はほら、リリアを連れて行ったあのレストランの店長をしてるけど。前は酒屋をしてた」
「へぇ、リュックのお父さんって、あの店の偉い人なんだ!」
リリアは素直に感心してはしゃぐ。
バーと言う言い方をしなかったあたり、酒屋とは本当に酒類を販売する店だったのだろう。それがレストラン経営者あるいは料理人になり、目の前に広がる街路まで整える。この説明にジゼットはある不安を覚えながらも、旅で培ってきた社交スキルで態度を崩さずに続ける。
「すごい人なんだね」
「あぁ。町をきれいに大きくするって、父さんは言ってる。俺達も手伝ってるんだ」
「ねぇ、二人はどんな手伝いをしてるの。最初に会った時も、手伝いをしてたの?」
極純粋な興味を持ってリリアが尋ねる。
それにリュックは、愉快そうに口端を吊り上げた。
「物を運んだり、いろいろさ」
「それ、楽しい?」
「面白いよ。できたら、父さんが誉めてくれるし。お小遣いが増える。そしたら。テオ」
「何、兄ちゃん」
「あそこのクレープ、四人分。買って来いよ」
一つの店を指差しながら、リュックは促す。
それにテオは不満そうだ。その自分のお小遣いから、四人分も支出しなければいけないのである。そして、年長という事でお小遣いをリュックのほうが多く貰っていることは、テオも周知の事だった。
「割り勘でしょ兄ちゃん」
「お前そんな事言っていいのか?」
チラリと、脇のリリアを見やる。それにテオはわたわたと慌て始めた。
「わかった、わかったよぅ。買ってくるから」
そして、テオは逃げるように駆け出していった。その顔はやはり赤い。
一人で四人分の菓子を運ぶのは辛いだろう。手伝うよと言って、ジゼットもテオを追いかける。そして残されたリュックとリリアは、彼の案内で近くのベンチに腰を下ろした。
ベンチに座ったまま落ち着きなく足をばたつかせていたりリアは、しばしジゼットとテオの背中を見つめて、そしてまた空を見上げる。
青くて、きれいな空。
まるで。
あの船で見た、海のよう。
おじさん。
とうとう聞けなかった、教えてくれなかった、そして死んでしまった、名前の知らないおじさん。
少女は、眉を落とす。
「今日は、元気ないね」
「‥‥‥うん」
リュックの言葉に、俯いて答える。
リュック達三人と一緒にいるのが、リリアは楽しくないわけではない。でもどうしても、それ以上に、思い出してしまうのだ。
おじさんの顔。おじさんの言葉。そしておじさんの、遺体。
「リュックは、お仕事が楽しいって言ったよね」
「あぁ」
「誉められるんだよね」
「そうだね」
「私もね、旅のお金を稼いでるの」
殺し屋をやっている、と言うところはぼかして――普通の人に対するそれくらいの良識はさすがに持っていた―――リリアは思ったことを言葉にしてみる。
「私は」
区切る。
「誉められたことなんて、ないわ」
一杯人を殺しても。
どれだけお金を稼いでも。
上手なナイフ投げを見せても。
きれいな洋服を着ても、エリーとクリスの二人はかわいいねの一言もない。頼まれたお使いをしてお礼を言う事はあっても、何をしても誉めてくれない。誉められるどころか、辞めるようにと言われる。思えばジゼットもだ。どんなに殺して稼いでも、すごいねとかやったねとか、そういう言葉は聞いたことがないなとリリアはここにきて思い至る。
多分最後に誉められたのは。山師のおじさんに料理を作ってあげた時か、一緒に狩りをしに行った時か。
誉められる為にやってきたわけではない。それは所詮副産物だ。
でも。
最近は、周りの人に、自分のあらゆる行動について否定され続けている。エリーも、クリスも、おじさんも。それはつまらないことだ。リリアにとって、つまらないこと。
否定する人が、おじさんがいなくなった。つまらないものがなくなったのだ。いい事のはずなのに。自分のやりたいこと。好きなように生きられるようになったはずなのに。
こんなにも、胸が痛い。
そして自分は先日。とうとう、見ず知らずのただの人間一人を殺すにも、動揺するようになってしまった。
―――あなたは、人を殺したいの―――
―――君は、人殺しが嫌いなんだ―――
呪いの様に、言葉が巡る。
「ひどい人達だね」
言葉が、少女の横から響いた。
顔を上げる。リュックは少しだけ、怒っているような顔だった。
ひどい人達だ。勝手なことを言って、勝手な指示を出して、勝手に殺されて。
「そう、かな」
思いもせず、少女の言葉は疑問形になる。
悩むリリアに、リュックは続けた。
「俺だって、父さんが誉めてくれるから楽しいんだ。リリアもちゃんとやってるんだろ? それで誉められないなんて、ひどい人だ。それは向こうが悪いよ」
「‥‥‥うん。そう、かも」
自分は悪くない。人殺しなんて戦争をした人なら誰でもやっている。掃除屋なら誰でもやっている。エリーだってクリスだって、そしてきっとおじさんだって、銃を持ってる人は皆やっている。それなのになぜ自分だけ言われなければならないのだろう。そう、リリアは考え始める。
しかしそうだとしたら、今まで一緒にいてくれたジゼットも『ひどい人』になる。それはなんだか違う気もするリリアだった。
「ねぇリリア」
口を閉ざすリリアに、リュックが呼びかけた。今度は怒ってはいない。楽しそうな顔。
「もしもさ、その仕事が嫌になったらうちにきなよ。一緒に仕事しよう」
「レストランの荷物運び?」
「それもだし、いろいろある」
そして念押すように。
「きっとリリアなら、上手に出来る。テオも喜ぶだろうしな」
確かに、狩猟で狩った肉を運んだり、製造工場で出来た弾薬を運んだり、洋服や銃を詰めた大きなキャリーバッグを運んで旅したり。今では『力』もある。大の大人を胸倉掴んで放り投げるくらいは苦でもないのだから、荷物運びならむしろ得意分野になるかもしれない。
それに、誰かを殺しでびっくりしたりすることもない。エリーやおじさんの言葉に悩む必要もない。友達になった子とも一緒で、ジゼットも一緒に引っ張ってしまえばいい。それはなんだかとても魅力的な提案に聞こえて、リリアは思わず二つ返事で受けてしまいそうになった。
でも、それは。
リリアは思う。それは、掃除屋をやめて、という事になるのだろうかと。
銃を捨てたらどんな生活になるのか。弾薬工場で働いていた時のように、休憩の時間以外はずっと働いて働いて、くたくたになってただ食べて寝るだけの生活なのだろうか。無機質で飾り気のない工場で、兵隊に見られながら黙って、ただただ同じ作業をして腕が疲れるまで物を持って。あの仕事は好きではなかったなと、リリアは思い返す。でも、誰かと一緒に、誰かに誉められてするのなら、楽しいのかもしれないと。
と、誰かが小走りでリリアの目の前に立った。テオだ。
「はい、お姉ちゃん!」
やや緊張した面持ちで差し出された、クリームとフルーツたっぷりのクレープ。
もちろんリリアは甘いものは大好きで、苦手な食べ物だってない。素敵なそれを目の前にして、それまでのリリアの思考が吹き飛ぶのにコンマ1秒とかからなかった。
「ありがとう!」
上機嫌で受け取るリリアに、テオははにかんだ笑みを浮かべた。
リュックはリリアの隣の席をテオとジゼットに譲る。そして四人は快晴の下、美しい石畳の街路を目にしながらベンチで早速の一息を入れることになった。
「まだ見せたい場所はあるからな」
「近くの公園、お花畑がすごいんだ」
「お花畑! それ、素敵そうだわ」
「うん!」
そしてまたテオの顔が染まる。
先ほどから初々しい姿を見せるテオに、ジゼットはそっと隣のリュックに耳うち。
「ねぇリュック。テオって、リリアのこと」
「すごく気に入ってる」
苦笑しながら返すリュックに、ジゼットは納得しながらもそこで始めて困惑の笑顔を浮かべた。
彼らには自分達は兄妹と教えてしまったので、何も言えなくなっていたからである。




