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3-25 船旅の後に




 クリスは、戯れでも酒を飲む事はない。

 小さい頃に手を出さなかったのは、子供の時から酒はいけない飲み物だと父親から教わってきたからである。その年齢になったら、誕生日祝いにお酒の味を教えてあげると。残念ながら、その誕生日を祝ってくれる両親はその時他界していたが。

 しかし今は法的には飲める年齢である。それでも飲まないのは、それはひとつの、夢の為であった。

 最初の飲酒は、ある意味記念行事だ。大人の仲間入りを果たした証。そしてそんな記念すべき日はクソみたいな戦場やただ一人で住むアパート内ではなく、もっと素敵な日に。だからクリスは飲まない。

 除隊した4人皆で、飲み交わす。

 始めに描いたその日は、もう二度と訪れることはないけれど。

 しかしそんな意志で禁酒をしているクリスでも、いっそ飲んでしまおうかと思う日がある。


「‥‥‥ぬぅ」


 口寂しくて紅茶を煽り飲む。

 酒と言うものは緊張を和らげる作用があるし、故にストレス発散を目的として飲む人間もいる。アルコールによる高揚感が洗い流してくれるのだ。すぐに浮かぶのは、リンクスの酒場で陽気に笑い転げるダメ人間ども。いっそ酔ってしまえば気分も楽だろうに、いやしかし飲酒は素敵な日を選んでするのだと葛藤しつつ、クリスはポットから紅茶のおかわりを注いでいく。

 クリスを今思い悩ませている問題は複数ある。複数あって、そのどれもが自分では解決できそうにないことであるから余計に腹立たしいのだった。

 円卓の向かいの席ではエリーが瞳を閉じている。午前10時手前、まだまだエリーの睡眠延長時間だ。首はそれなりに垂れているが、座って寝れるのは一種の才能である。

 おかげでクリスは会話相手がいなくなっており、そして相方の顔を無性にぶん殴りたくもなり、ここは我慢だと結局クリスは心労を貯めるのだった。

 不機嫌をあらわに、またティーカップをひっつかむクリス。

 そんな彼女を、カウンターから見つめるのはレア。


「あなたも気苦労が多いわね」

「似合わないって自分でも思ってる」


 せせら笑い、また紅茶を飲み干す。

 そんな彼女を眺めて。


「セイクリッド・ランヌが死亡したそうよ」

「なんか聞いたことある名前。誰だっけ」

「サイモン・アルベルトの敵対者の名前」

「あぁ、そう」


 サイモンの本当に信頼する一握りの私兵が、彼が襲撃された時期を同じくして行動し、討ち取ったという話。船の護衛が緩かったのは、それほどは信用していないけど、という私兵で固めざるを得なかった為であった。どろどろと様子を窺って小突きあっていると商売にも影響が出る。ならば一撃で殴り倒してしまおうと言う思惑からだった。クロスカウンターの打ち合いはサイモンの勝利に終わり、今後の会社は彼がトップとなる。

 どうでもいいことだ。

 そんな話から一転、レアは核心をつく。


「リリアは?」

「あいつは‥‥‥あいつは少年に任せるよ」


 嘆息。

 船の一件から、一週間。少女のホテル前まで車を回してそこで別れて。以来、リリアはこの店に顔を出していなかった。ジゼットのほうは2日おき程度で、買出しのついでで顔を見せていたが。

 そんな少年にも、クリスは詳しくは尋ねていない。エリーに至ってはいつも通り無言だ。その当たり障りない程度のリリアについての話の中では、ジゼットの言葉を信じるならだが、リリアは特別荒れるわけでも凹むでもなく、大丈夫とのことだった。ただし店にやってこない理由については、やはり語らない。

 仲の良くなった人間が目の前で。

 どうしても、昔を思い出させる。

 ローズの事は、クリスにも影を落とさせる。十分に彼女の死を受け入れられたと思っているが、それでもその時の光景を想起させるものとは触れたくはない。

 向かいのエリーを見つめる。

 安らかな寝顔。

 とは、言いがたい。




 扉の鈴の音が、鳴る。




 おやと振り返る。またジゼットかなと思ったし、少しだけ、少しだけリリアじゃないかなと期待にも思って。

 だがそこにいたのは、それ以上の珍客であった。


「こんにちは」

「あれっ、リゼ」


 控えめに笑顔で片手を振る、私服姿のリーゼロッテ。

 唐突の、そして掃除屋の斡旋場という場所にそぐわない客にクリスは驚きつつ、歓迎すべき友人である事は間違いない事実。クリスは空いた席にリゼを誘導する。教会のシスター、実際には見習いですらなくお手伝いさんというような具合で雑事を行っているのではあったが、リゼは二人の座る円卓席に混ざると、手にしていた紙袋をテーブル上に置いた。

 この店の場所自体はクリスがそれとなく教えていた為、来ること自体は不可能ではない。とは言えこれは一大事だ。そんな時にまでのん気に寝ているエリーの方をクリスは強く揺り動かして起こす。まどろみの世界から無理矢理引っ張り上げられたエリーは寝ぼけ眼でやや不快そうに眉間にしわを寄せ、そして目の前の一大事に目を丸くした。


「あ。リゼ。あれ」

「おはよう、エリー。朝は弱いみたいね」


 くすくすと笑うリゼに、エリーは動揺を隠さず周囲に視線を配る。自分の居る場所はちゃんとレアの店らしいと理解して、そしてまた疑問に思うのであった。


「どうしたの」

「たまにだって、私のほうから来てもいいでしょう?」

「うん。それは」

「ほんと、リゼの前だと丸くなるよねあんた」


 自分に対してとまったく反応が違うことに、かといってクリスは不快と言うわけではなかった。どうみてもリゼのほうが頼れるお姉さんだし、事実班員最年長だし、エリーの面倒をよく見ていた人だ。むしろ、普段むっつり無言のエリーが見せるしどろもどろの挙動を楽しみつつ。

 今は顔色がよさそうだと、クリスはそっと安堵して。


「それで、こんな汚い場所までどうしたの」

「皆でパンケーキを作ったの。だから、おすそ分けに。二人が来るのを待っていたら、賞味期限が切れてしまうからね」

「携帯で一本、来いと言ってくれれば喜んで行くのに」


 言いつつ、リゼに許諾を貰って紙袋からパンケーキを取り出す。悩み事で糖分を欲していたところにやってきたおやつだ。これは食べるしかない。


「リゼは時間ある? 一緒に食べようよ、小腹埋めるのに丁度いい」

「あら、いいの?」

「よくないわけがない」


 クリスはにかりと笑う。

 班員四人で揃って卓を囲む。それはもう、叶わない夢だけれど。

 仮にも飲食店で持ち込み食品を食べようとするクリスをレアは嗜めず、むしろ「サービスよ」と言って三人分のティーセットと、パンケーキを切り分ける為のナイフを円卓に運んできた。進んでナイフを握ろうとするリゼを制して、クリスが良い具合の大きさに切っていく。厚さの異なる損得の激しい不均等なパンケーキたちが出来上がっていったが、そんな事は三人とも気にしなかった。誰も、クリスがきれいに切り分けられるとは思っていない。

 そして一番大きそうなものと狙って、早速クリスが掴んで頬張る。


「うん、うまい」

「よかったわ。エリーもどうぞ」

「ん」


 エリーも一掴み。そして口にして、ほんの少しだけ頬を緩めた。彼女に出来る飛び切りの笑顔を、二人は穏やかに眺めて。


「リゼは、今日は忙しいの?」

「いつも通りね、忙しいと言うほどでもないわ」

「じゃあさ、帰りにちょっとうちに寄ってってよ。渡したいものがあるんだった」

「銃は御免よ」

「わかってるって」


 気楽を装うクリスの瞳を見つめて。

 リゼは、目を細めた。






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