3-18 反転
船の外は変わらずに騒々しい。奏でられる狂想曲はあまりにも自由すぎて、それでも人は興奮して笑うのだから、そういう奴らはどこででも生きていけるんだろう。自分には縁のなさそうなことだと、クリスはそれらの騒音を無視して。
この下の階がおじさんのいる場所だ。
「この辺にしとこか」
言って、クリスは階段の踊り場でリリアを呼び止める。客室フロアは船の中央を貫くように通路が走っている。ここなら上の階も下の階もチェックできて動きやすい。
「リリア、インカム付けといて」
「これのこと? さっき使ったけど使えなかったわ」
「んなわけあるか、もって来る前に動作は確認したわい」
続けて話を聞き、どうやらリリアが使い方がわかっていないらしいと理解したクリスは、操作方法を教えた。そして、かいわいくないとなおも渋るリリアを何とかなだめて、耳に付けさせた。これで、声が届かない距離を離れても素早く連絡が出来る。
「それとリリア。何が起きてもいいように準備しといてね」
「例えば?」
「いろいろよ」
曖昧に忠告する。曖昧にしか答えられない。
ここに来てから、クリスのは勘は強く訴えを始めていた。護衛対象のすぐ傍だ。戦闘くらいは覚悟しているが、近い未来でそれは起こるのだろうと、予感の強さにクリスは眉をひそめる。具体的に何が起こるかまでは教えてくれない見えざる友人に不便とも思うことはあるが、言っても仕方ない。
無性に怖くなる。逃げ出したくなる。そしてたいてい、勘に従って逃げ出さないとろくなことにならない。これも仕事だと突っ込んだら、敵機関銃手に集中射撃されて半泣きしたのもいい思い出だ。
しかし、今日はリリアに付き合うといってしまったことだし、それを反故にする気もない。誠意と言う奴がクソの役にも立たない職業だが、半分は自己満足だ。約束は守ってやったぞと言う、達成感に近い何か。
予感は強くなる。心の安寧を探して、腰の閃光手榴弾をそっと握った。
荒くなりそうになる呼吸、破裂しそうになる心臓。クリスは押さえ込んで、我慢する。
(‥‥‥そろそろやばい)
どう逃げたら予感が減るか、捜索する。上に逃げたほうが勘は遠ざかった。ならば敵は下から、ということになるが。
「リリア、階下警戒」
「は~い。って、あれ?」
「どったのリリア」
「おじさんの部屋」
言って、リリアは指差す。
誘導された先をクリスも見る。そこでは丁度客室の扉がいくつか開かれて、中から複数の黒スーツの男達が出てくるところだった。皆、当然のようにハンドガンやサブマシンガンで武装している。
武装していることが問題ではない。別に外も苦戦しているというわけではなさそうだ。この状況で、なぜ護衛兵が動いたのか。何ぞあったのだろうか。
クリスが考える中。
「あ、おじさんだ」
リリアは指を差す。サングラス等で完全に顔が見えたわけではなかったが、髪型と体格くらいはクリスにも覚えはある。あの面接で向かいに座った影武者の男性だ。おじさんは、護衛兵と共に部屋を出ていた。
おじさんの元へ、リリアは駆け出そうとする。
その肩を、クリスは掴んで止めた。当然、リリアは不服そうだ。
「何よクリス」
「いいから」
軽薄な表情もやめて、クリスは一団を睨む。
彼らはクリス達の方向へ歩いていく。階段を使おうと思えば当然の事だ。
どうして、彼らは動いたのだろう。
どうして、おじさんは顔見知りのリリアに挨拶のひとつもしないのだろう。
どうして。
彼らが近づく度、勘が警鐘してくるのだろう。
「ねぇ、どこに行くの?」
クリスは自らの胸につけたワッペンを指差す。これを見ろ、私は味方だぞと、そういう意味だ。
十分な距離。
彼らは。
手にした銃を、持ち上げた。
銃口が、向く。
「え?」
「リリア!」
クリスはつかんだリリアの肩をぐいと引き寄せ、階段の射線の陰に隠す。
逃げろ、逃げろ。叫ぶ勘を押し込めて、クリスは声を張り上げる。
「ちょっとあんたら、うちら味方だってば!」
「すまない、こちらの兵も気が立っていた」
返してきたのはやはり覚えのある声、おじさんだ。
「そういうこともあるって。銃口下ろしてよおじさん、リリアもあんたに会いたがってるしさ」
「あぁ、大丈夫だ」
嘘だ。勘は余計に強くなっている。
出たら撃たれる。
なぜ。知らない。リリアの話題を出しても辞める気配がない。部屋の傍にいたことで、襲撃に来たと勘違いされたのかもとクリスは思ったが、すぐにその考えは捨てる。仮にどこかしらの監視カメラを見て疑いをかけられたとして、影武者のおじさんまで動く理由にはならない。状況的に、集団で移動しようとしたところで自分達に鉢合わせしたという感じだ。
どういうことか、さっぱりわからない。だが兎に角、この場はまずい。
「うちら、仕事に戻るからさ。また後でリリアと遊んでやってよ」
「そうだな」
会話内容の信頼度などどうでもいい。口実は作ったから後はおとなしく去るだけ。
と。
「ねぇおじさん」
「あ、馬鹿!」
リリアが、クリスの拘束を逃れて躍り出ていってしまった。
踊り場から顔を覗かせるリリア。
少女の姿を認め、向いた複数の銃口のいくつかが火を噴く。
銃弾は。
リリアのいた空間を貫いて、壁に穴を穿った。引き金が惹かれる前に、それを認識してリリアが頭を引っ込めたのだ。
異常な行動を苦もなく行った少女は、しかし動揺して身を固めていた。
さっき、銃口を下ろしてとクリスが頼んだのに。それを大丈夫とおじさんが言ったのに。
「‥‥‥ねぇ、おじさん。私だよ?」
リリアの声に、返答はない。
おじさんを守ろうと思って来たのに。
「あんたらどういうつもり」
「すまないな」
「謝罪を要求したように聞こえた?」
「‥‥‥リリア」
クリスとの問答を無視して、おじさんは少女の名を口にした。
「おじさんが先ほど言った言葉は覚えているな」
混乱した頭で、それでもリリアは言葉を思い出そうとする。
どの言葉だろう。思い出して、部屋でおじさんを分かれる前に聞いた話を思い出して、口にする。
「危ないと思ったら海に飛び込む、手を上げて降参しますって言う」
「そうだ。そうしなさい。痛い事はしない。手を上げる前に、武器を捨てるんだ、いいね」
投降しろと。
この状況における話の整合性など、リリアは気にも留めていない。
そう。おじさんの言う通りにすればいいのだ。痛いこともしないという。
本当に?
さっきは約束を破って撃ってきた。どうして。わからない。今のリリアはおじさんの事を信じられなくなっていて、それでいてどうしていいかわからずに思考が止まっていた。
そして。
悩みを解決できない少女は、殆ど動物の本能として。
その場を、逃げ出した。
おじさんのいる方向とは逆に、走り出す。
「あっ、リリア!」
慌ててクリスも追いかける。放っておくわけにも行かず、そうするしかなかった。
直後、階下の護衛兵達もあとを追い始めた。足音を鳴らして、しかし整然と並んで階段を上る。
「このっ!」
クリスは閃光手榴弾のピンを抜いて踊り場に投げ込み、すぐにリリアを追いかけた。一方で護衛兵達は投擲物を目にするや「手榴弾!」と叫んでその場に伏せた。
爆発。激しい閃光と爆音が男達を足止めする。
リリアはひとつ階を登ると、その客室通路を走った。その階を選んだ理由など何もない。あえて挙げるとするなら階段よりも走りやすかった、その程度だ。通路の直線で後姿を認めて、クリスも続く。
通路の先では、これも黒スーツ姿の男がいた。床には別のスーツ男の死体が転がっていて、そして男は懐からハンドガンを取り出して走る少女に向けた。
「あ‥‥‥」
どうしていいかわからなくなって、リリアは反転する。そこにはクリスの姿と、後を追ってこようとする護衛兵達の足音がやってきていた。
逃げ道が、ない。
もう一度振り返る。男のハンドガンが発砲され、狙いが外れてどこかへ飛んでいく。
横を見る。少女の目の前には、客室の扉。
リリアは急いでドアノブに飛びつくが、動かない。鍵がかかっていた。
ならばと足を持ち上げ、思い切り前蹴りを放って、鍵ごと破壊して蹴り開けた。そして何も考えずに飛び込む。追いついたクリスも室内に入って、通路の両側に向けてそれぞれ数発ずつ、ライフルの弾をばら撒いた。銃声で男達は遮蔽に隠れ、足が止まる。そして、応射が始まった。
自らに向けて放たれる銃声に、クリスは思わず愚痴を零す。
「あぁもう、やっぱあんたと付き合うとろくなことにならないわ」
「‥‥‥」
リリアは黙っている。クリスの軽口に付き合えないくらい、彼女はどうしていいかわからなくなっていた。
力なく肩を落として、佇む。
「どうして、おじさん‥‥‥」
「まぁ、そうだね。どうしてかはわかんないけど」
もう一度階段側に銃弾を叩き込んでから、クリスはリリアに寄ってその頭に手を置いてやる。
「これはちょっと、投降できる状況じゃないし。でも、死んでやる理由なんてない。まずは逃げて、生きよう。考えるのはそれからでいいんじゃない?」
「‥‥‥うん。そうする」
リリアは、小さく頷いた。今はクリスだけが頼りだった。
「とはいえどうしようかね。出入り口は封鎖っと、外はどう?」
言われたリリアは舷側の窓を開いて、外の景色を眺める。小型艇が襲撃に来ている方向とは逆の窓だった。その部屋はおじさんの部屋同様バルコニーがあった。目の前には穏やかな青い海が広がっているが、逆に言えばそれだけだ。
左右を確認する。隣の部屋とは隔てる壁はあるものの、窓枠を伝ってというのは可能だ。
応戦を切り上げたクリスもも倣って身を乗り出してみる。
「隣にいけるよ」
「行ってどうすんの。この階、敵が制圧しちゃってるのに。下もだめ」
クリスの意見として、そして勘としてもそれを拒否する。
ぼやぼやしているわけにも行かないと、再度クリスは通路まで戻って牽制射を行う。
左右はダメ、下はダメ。まっすぐ行って、ここから海へダイブするのか。それは、濡れるのは嫌だが。
ふと、リリアは上を見上げた。
少し高いが、何か、柵のようなものが見える。
リリアはバルコニーの柵に足をかけて、クリスには到底出来ないジャンプ力で上階の部屋の柵に掴まった。そして一度様子を、カーテンがしてある部屋でバルコニーがあることを確認した。グレードの高い部屋だった。
リリアは掴んでいた柵に足をかけて、逆さ釣りになって手を伸ばす。クリスには背を向けた格好。ロングスカートが重力でめくれたが、今だけは気にしない。
「クリス、来て」
「リリア?」
「掴まって」
「掴まってって、あんたに?」
「そうよ!」
急かされる。
どうせこのままいても押し潰されるのは確定なのだ。
「選択肢なしって辛いね、っと!」
セーフティをかけたライフルを肩にかけて、クリスも飛んでリリアの背に抱きつく。リリアもまた、手でクリスの服を適当に掴む。クリスの体重を乗せてなお、リリアは柵へ器用に足を絡ませている。
「で、こっからどうするの。あんたを梯子に登れと?」
「動かなくていいわ」
「って、ええええっ!?」
次の瞬間、クリスの平衡感覚がぐるりと回った。リリアが、クリスを抱えたまま腹筋するような状態で持ち上げ、上の階のバルコニーに投げ入れたのである。クリスは、柵に腰を打ち付けつつもバルコニーの中に転げる。その時に頭もぶつけた。
痛む頭を押さえつつ。
「あいったた。腹筋まで馬鹿力かあんたは」
「馬鹿って言わないでよ」
「他にどう表現しろと」
荒っぽい扱いとは対照的に、自分は軽やかにバルコニーに降り立つリリアを眺めて。
そして、クリスは頭をさすっていた手をそのままホールドアップする。目の前の光景は、彼女にそうせざるを得ない強制力を与えていた。
「逃げた先も敵でしたっと」
開かれたカーテンの先で、幾人もの男達が一斉にクリスとリリアに銃を向けていた。腰のナイフを抜いたリリアに下げるよう片手で指示しつつ、クリスは嘆息する。
だがリリアはそうしない。
「こらリリア」
「ねぇ見てよクリス」
スローイングナイフを握ったまま、リリアはそれを指差す。
既に諦めの境地に入っていたクリスはけだるげに、それでも見ろと言われたので顔を上げて見てやる。
そして、目を丸くした。
「やぁ、随分と可愛らしい暗殺者だね」
その男はは微笑む。
短い金髪の男。
見覚えのある、飄々とした雰囲気の男。
思わず目を凝らして眺める。
「んん? ‥‥‥って、はぁ!?」
記憶を辿り終えて、クリスは目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。
銃を構える男達の先。
それは、本当の依頼主。
本物のサイモン・アルベルトが、ソファに腰掛けていた。




