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3-6 青い世界で




 この船プログレス号は、数日かけて直接向こう大陸まで行き、折り返して帰ってくることになっていた。表向きには、旅客を乗せた数日間のクルージングだ。

 とはいえ、それ自体が優雅な船旅、というわけにはいかない。

 陸地が荒れているなら、海上も相応だ。さすがに港回りは警備隊を恐れて近づかないものの、ひとたび外に出れば海賊に出くわす危険があった。これも戦争の弊害、あちらこちらの出身の海賊が湧いている。襲われる確率は船が小さいほど、国や会社のバックが弱いほどに確率は上がっていく。その点においてはプログレス号は胸を撫で下ろしていいが、今回の航海の危険性面では例外であろう。なにせ、相手はこの船の「積荷」を名指しで狙ってくるのだから。

 船上から陸地が見えなくなった時点で、サイモン側のスーツ姿の人間がいくらか見張りに立った。仕事熱心な掃除屋も一緒だ。もうここには一般人は居ない。堂々と銃を携行して歩いていても、誰も咎めない。

 そしてエリーも、そこにいる。


「‥‥‥」


 エリーはいつものバッグと借り物のS550スナイパーを抱えて、プログレス号の「屋根上」に座っている。

 同室のリリアは、荷物を下ろすなり船を探検してくると言って躍り出ていた。実は一緒に行かないかと少女に誘われてもいたのだが、駆け回るのは苦手なエリーである。彼女のわんぱくにはついていけないと悟って、行ってらっしゃいと送り出すに留まった。

 一緒に行きたかったのに、と少女に愚痴られて、少しばかりだけ残念に近い戸惑いの思いが湧いたが。

 代わりにというように、エリーはガンケースから銃を取り出して、こうしているわけだ。梯子を上って船の屋根上に上った。現場下見と言う奴だ。単純に、視界を広く取れて伏せ撃ちができる場所を考えたらここになっただけだ。

 そして、青い世界を眺めている。

 海の濃い青と、空の薄い青。

 水面がゆらゆらと揺れる。目を凝らせば何かの船舶が見える。

 所々に見える雲は、綿のように風に流される。潮風が頬を撫でる。それでいて、景色は何も語らず何も訴えない。快晴はエリーの好きな天気ではないが、少なくとも、つまらない光景ではないのかもしれない。眺めることは苦痛ではなかった。

 それでも、胸がもやもやとするのはなぜか。

 素へ緯線を見つめたまま、きゅっと、ライフルを抱く。

 意識せず、ため息が漏れた。


「先客がいたか」


 覚えのある男性の声だ。

 後ろからかけられた声に振り向くと、そこにはディーがボルトアクションライフルを片手に立っていた。

 知人だろうが他人だろうが、害がないなら問題はない。エリーは姿の確認だけをして、正面の風景に向き直る。するとディーはエリーの横まで来て、そこで腰を下ろした。


「海が好きなのか」

「別に」


 呟く。手が届かないほどどこまでも続く、ライフルでも届かないほど永遠に続きそうな蒼。掴めないのは、届かないのは、嫌いかもしれない。

 考えたら、途端に青い世界を見たくなくなった。気分も悪くなって、思わず目を逸らす。何かを考えていたつもりはなかったが、隣に居る男のほうへと視線を移していた。

 見えたのは黒の衣服と、ライフルだ。

 ボルトアクションライフル。ホニの町の件でもディーが使っていたらしい品。

 エリーが考える限り、恐らく世界で最も嫌いな銃。


「またその銃」

「いい銃だ」

「知ってる」


 型式も知っている。

 LAM24。

 前身である銃から考えれば実に50年以上、時代に合わせたアップデートを施しながら使われ続けている、世界で活躍している狙撃銃のひとつだ。昨今では狙撃分野でもセミオートライフルが台頭してきているが、それでもまだまだ現役であることが、兵器としての信頼性の高さを示している。そんな歴史は知らないエリーだが、評判だけは漏れ聞いていた。

 自身の罪を銃のせいにするつもりはない。だからといって、好きになれるものでもない。


「その銃、嫌い」


 世界からも銃からも、目を背ける。行き場のなくなった視線を、目蓋で塞ぐ。

 世界が、色を失う。


「どうして、掃除屋になったんだ?」


 彼の対話を繋ぐ為の質問であり、至極当然な疑問。

 誰かを殺す仕事。サイコパスでもネクロフィリアでもない多くの人間にとって、その行為は不快なばかりか忌避することであろう。目的もなく、理由もなく、価値も見出せない多くの人間にとって、殺人とは必要のない行動だ。銃を捨て、町で生きる今のリゼがそうであるように。それくらいは、エリーも理解している。

 短期的には「金の為」、究極的には「生きる為」であろう。人間社会で生きていく為に社会通貨の金が必要になる。金はあればあるほど、物質的に裕福な生活が出来るようになる。そして残念ながらこの世界には、誰かを殺すことで金と言う価値が発生する仕組みがあり、エリー達はそれを利用しているわけだ。生きる為に。

 生きる為に。

 どうでもいいことだ。

 エリーには目的がある。理由もある。そのために生きることが必要だが、一方でその為になら、自分の命がどれほどの価値になるのか彼女は知っている。

 エリーは眼を開く。

 もう。

 もう、二度と。

 それを口にする必要は、ない。

 自分のことを語るのは、逃避に近い。自分の行動を正当化して欲しい、そんな承認欲求。そんなものを語るべき相手ではないと思ったし、語ることで自分の意思が揺らいでしまいそうな恐怖からでもある。


「‥‥‥あなたは?」


 話題転換と、問われたのだからと少しばかりの興味を持って、隣の男に視線をやりながら問い返す。

 ディーからは返答はなかった。何かしらの答えを求めて返したわけではないので、黙るならそれもよしとエリーが視線を外す。答えなかったのは自分も一緒だ。

 すると、彼は口を開いた。


「家族はいるか?」

「さぁ」


 あまりにも適当ではない返答。

 恐らくはダチランの空爆で死んだのだろう。漠然と推測は出来ていたが、確証はない。両親にそれなりに可愛がられた記憶はある。それが居なくなったのだから悲しいかと言われれば、もちろんそう答える。だがどうだろうなとエリーは思った。ぼんやりとしていてよくわからない、といったほうが正しい。どちらにせよ、今のエリーの世界には居ない存在だ。

 彼は続ける。


「妹が居る。今、17か」

「そう。元気なの?」

「あぁ」


 ディーはライフルを脇に置く。


「難治の病でな。治療には金が必要だった」

「だから掃除屋を?」

「そうなるつもりは、なかったんだがな」


 男はひとつ、息を吐いて。


「西の国は徴兵制でな、国に奉仕していたら、あれよあれよと戦争。そう、丁度君が住んでいる近くの戦線に随分と居た」


 ウルティス近くの戦場と言えば、思い浮かぶのは自分の故郷となるダチランだ。

 もしかしたら。

 もしかしたら、同じ時間同じ場所に、敵味方でいたのかもしれない。

 もしかしたら。

 もしかしたら。ローズを殺した射撃手は、彼かもしれない。

 数多くの乱戦の中では、通常の歩兵は誰が誰を殺したのかわからない。目の前にいる敵の軍勢の誰が撃ったかわからないし、狙って撃ったかもしれないし、流れ弾かもしれないし、不運な跳弾かもしれない。味方の誤射かもしれないし、そもそも銃弾ではなく砲撃の破片かもしれない。捕まえた目の前の敵が本当に彼を撃ったのかわからない、わからないから明確な殺意を持って撃てない。だから戦争捕虜は無事いられる。

 対して狙撃は、誰が誰を殺したかわかってしまう。正確には、『狙撃手』が『明確な意図を持って』『戦友を殺した』事実がわかってしまう。そして狙撃手とは、そう数が居るわけではない。その戦区で捕らえた狙撃手。それだけで私刑に十分。

 状況はまさにだ。あの戦区にいたと言うだけで、彼にローズ殺しの嫌疑がかけられる。

 が。


(‥‥‥)


 そうだとして、だから何だと言うのだろう。

 殺した相手が憎いのではない。憎いとするのならそれは自分自身。

 自分が死ねばよかったのに。

 一人思考を巡らせる間も、彼は彼として話を続ける。


「どうも、俺は人を殺せる側の人間だったらしい。給料も安定しているしと続けていたら、ついに足を洗う機会を逃してな。あとは、元軍人の経験を使ってPMCでもと思っていたところに、この職に誘われてね。短期的に金を稼げる方法を渡った成り行きだ」

「家族は、西の国に?」

「そうだ」

「会いに、戻らないの」


 生きているのだ。会えるのだ。自分とは違う。なのになぜしないのかと。

 問うてから、治療費とやらがまだ足りないのかもしれないなとエリーは考えた。クリスがある程度の嫌悪を持って仕事をしていると言うのもあり、自分達はとりあえず生活する分には困らないと言う程度の収入に留まっているが、熱心に働いたところでそれはそれはたかが知れている。こんなドブ仕事で一攫千金を狙う馬鹿もたまには居るだろうが、簡単にいくものではない。

 彼の姿は見えない。エリーは見ていない。代わりに、エリーの耳に息をつく声が届いた。


「メールくらいは、な。だが戻るのは、今はやめておく」

「なぜ」

「もう少し、自分を誇れる人間になってから」


 言葉は違うが、同じなんだな。率直にそう感じた。エリーが殺人者としてではなく、せめてただの平凡な人間として親代わりをしてくれたシスターと会いたかったように。今の姿は、それに相応しくない。君の治療費は人を殺して稼いできた、そんな風には語れない。

 同じ事は考えている。ただし両者は決定的に違うことがある。彼は一般人になる気はあるが、エリーは。

 そんなことは、どうでもいい。他人の人生だ、口を出す気もない。自分の人生だ、どうでもいい。だからそうなんだと、納得する。それだけ。

 ポリマーフレームの感触を手に感じながら、エリーは前を見つめる。

 嫌いな世界が、目一杯に広がっている。




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