2.5-1 一輪の花
ホテルの地下のその酒場。
観光客を相手に商売をしていたはずの場所は、今は野良犬達の集会場と化している。金に困り、食うに困り、生きるに困った。犬と呼ばれた者達が身を寄せ合う場所。
クリスはこの場所は好きではない。それがいわゆる同族嫌悪と言う奴であろう事は理解していた。クリスは望んでこの場を訪れることはないが、それでもここにいる連中も自分達も、何も差はないのだ。猟犬と呼ばれて戦場を走り回り、紐付きの犬になることをどうであれ拒んで、そしてその日暮らしをする、痩せ細った汚い犬。
だが同時に、クリスは少しだけ安心もする。同気相求と言う奴だ。ここに来て同じような連中を見ると、少しだけ安心する。
「姫様の登場だ!」
クリスと、そして付いてきたエリーの登場に、場の連中はわっと騒ぎだした。つまらない世界にやってきた二輪の花、というのもあるが、結局は彼らもそういうものをネタにしないと暇だし、やはり同気相求であった。そしてクリスが適当に「いえーい」と煽り立てるので、彼らも乗るわけだ。
「今日はどうしたクリスティーナ」
「お使いよ。あとフルで呼ぶなつってるでしょうが」
クリスティーナ。それがクリスの本来名乗るべき名前だ。
自分の名前が嫌い、と言う話ではない。クリス、ならばまだ男性名でも通じることがあるが、クリスティーナだと完全に女の子である。要するに「お前、女だな」とわざわざからかわれている気分になるから嫌なのだ。女と言うだけで下に見られやすい掃除屋と言う職業の中、それ以上の根拠のない侮蔑は好まない。一方で、親愛を持って短く呼ばれるほうが心地よい。よって知己にも他人にも、クリスと呼ばれたほうが良い。
定例と化したやり取りを、声を投げてきたマティスという男性掃除屋に返す。クリスの名前を通しで呼ぶのは彼くらいであった。もはや慣れたことなので、クリスも軽薄な笑顔で返す。
マティスは、自身と仲間が座る4人席の空いた空間を促して。
「一緒にどうだ。奢るぞ」
「羽振りがいいじゃない」
「おう、稼いだばっかりだ」
「で、私を酔わせてどうする気よ」
「誰がお前のペタ胸なんか触るかよ」
「ころ~す」
それが彼の目当てでないことは知っているが、酒臭い席にいく気はなかったので手を振ってさよならをする。そしてエリーを伴ってカウンター席に腰を落ち着けた。
二人が来店すると同時、カウンター内から短髪の若い男性が表に出てきた。フィリップという、ここに居座る斡旋屋だ。用件を先延ばしにする気はないので挨拶もそこそこに、クリスは懐から、レアから預かったひとつのUSBメモリを取り出して彼に渡す。
「運搬お疲れ様」
「構いはしないけどさ、こういうのってネットで共有するものじゃないの?」
中身は知らないが、斡旋屋業務に関わる何かであることは最早必然であろう。斡旋屋コミュニティ、リンクスには彼ら専用のローカルネットもあるわけだ。現代の利器を使わず、わざわざ一介の掃除屋を使って物理的に移動させるのは非合理ではないかと。襲ってくる人間がいるとも思えないが、紛失漏洩の危険性は出るわけだ。
それにフィリップは作った笑顔を並べる。
「個人的なやり取りだから」
「あ、そ」
「では。これをレアに渡しておいてくれ」
代わりに中に紙一枚くらいしか入っていなさそうな小さな茶封筒を渡される。最早電子情報ですらない。パスワードだのコンピュータウイルスだのも気にせず、封を切るだけで何の危険もなく中身の情報を閲覧可能である。電話一本で済みそうな用件にクリスは呆れるばかりだが、そういう用件でしかないのだろうとも推察して、受け取ったそれをポケットにねじ込む。
クリス達がここで仕事を取らないのは周知のことだ。フィリップも短く挨拶だけして、また奥へと引き下がっていく。
仕事更新、この封筒をレアに届けなければならない。居残る理由はないので、クリスとエリーは座ったばかりの椅子から立ち上がろうとして。
二人とも、背中から両肩を押さえられて行動を阻まれた。
「一杯いかが?」
振り返る。
いたのはこの酒場の一輪の花。同じ野良犬。
「何よハンナ」
「たまには付き合えって言ってるの」
黒髪の女性、ハンナはそう言ってクリスを止めると、自らも隣の席に座った。
クリスとエリーは、何かしら用事がないとこのリンクスの酒場に来ない。仕事なら斡旋屋であるレアから受けてしまうし、酒を飲まない二人からすれば酒場と言う場所自体そう魅力的でもない。掃除屋稼業は個人営業。何人かと組んでひとつの出来事に向かうというのは少ない。加えて、男を引っ掛ける気もその逆をされる気もない。総じて、二人にとってはなんら利益を生み出さない場所である。そういうこともあり、クリス達にとって顔見知り以上の人間はここには殆どいない。
その中でも例外が二名。
一人はマティス。この酒場の中でも古株で、またその人柄から、二人が掃除屋なりたての頃に、レアからの勧めで少しばかり協動を行った、縁のある先輩という奴だ。そのあたりのこともあって、クリスもありがたやと拝みはしないがそう邪険にもしない。
そしてもう一人がこのハンナだった。このリンクスで仕事を取る、元ハウンドの掃除屋。二人がハンナと出会ったのはこの場所でだ。同性、というのはやはりアドバンテージである。その話しやすさをきっかけに、閉鎖的な二人にしては珍しく繋がりを持っている人物だった。
仕事はあるが急ぐでもなく、呼ばれたのならと言う感覚。二人は立ち上がるのをやめて、そのまま席に腰を落ち着ける。
「ロランド、カシスオレンジ3つ」
「酒は飲まないわよ」
「酒とタバコと性に溺れるのがこの業界でしょうに」
「タバコは一杯吸ってゲロマズでやめた。体は売る気はない」
「酒は?」
「約束したからね。皆で飲もうって」
「それはいつ叶うの」
もう、永遠に叶わない。
問いにクリスは答えず軽薄に笑い、ハンナの注文を取り下げて紅茶を注文する。エリーはコーヒーだ。酒に付き合わせるのが無理ならばと、ハンナは三人でつまめる軽食を注文した。
「調子はどう? 怪我はなさそうで何よりだけど」
「イレギュラーを挟みつつぼちぼちって感じかね。ハンナは?」
「もうね、めんどくさいっていうかじれったいっていうか。聞いてよ」
その愚痴の為の引止めでもあったので、ハンナは語り始める。最近彼女が受けた仕事と言うのは掃除屋界隈にしては珍しく監視業務だそうで、同じ場所でじっと見つめるだけの仕事だと言う。それ自体はいいにしても、同じく仕事で組んだ男性がひどく頼りないらしく、あれやこれや教えなければまともに動けないのだとか。
やってきたフライドポテトと鳥のから揚げをつまみながら。
「うちらハウンドの教官もこんな気分だったのかななんて、知りたくもなかったけど」
「ご愁傷様だねぇ」
仕事の詳細については聞かないし語らない。この業界の不文律と言う奴だ。
「でも、それでそれなりの報酬なんでしょ。撃たなくていいなんて楽じゃん」
「まぁ、ね。監視する理由、詳しく知っちゃったからどっちもどっちって感じだけど。あんたらは、まぁ、ないか」
スコープの先で明確に相手に死を届け相手の死を見届けるエリーの顔を見て、ハンナは頬杖をつく。銃を持って撃つだけでも人々の道徳を刺激するのに、狙撃手ともなるとそのあたりの葛藤とか、諸々のことがある。それを超えて任務を続けられる人間は希少だ。
「あんたらさ。どうせ同じ銃を撃つなら、軍隊に残ったほうが良かったんじゃないの?」
「ハンナはそうするの?」
「明日がどうなるかもわからないよりは、給金安定生活安定。今は戦争もないから訓練だけ。いいと思うよ。二人は?」
「私は、やめとくかな。それを仕事にしたくないと言うか。若かりし頃にあった正義心と愛国心は、すっかり使いきったんで」
「エリーは?」
「軍は、いかない」
エリーにしてははっきりとした態度で答える。ハンナは肩をすくめて。
「あんた相変わらず愛想ないね。素材いいんだから笑えばいいのに」
「ハンナもそう思うでしょ。いっつも寝てるかむすっとしてて」
「別に」
特に表情も変えず、エリーはコーヒーに口をつけて舐める。
嗜虐、だ。エリーの鉄仮面を引っぺがしてやりたいとの欲求がハンナにはあるのである。どうせなら友人は多いほうがいい。ハンナは一本フライドポテトを手に取ると、クリスを横切って腕を突き出し、エリーの鼻先にチラつかせた。
「何」
「食え」
「‥‥‥」
断るものでもないからと受け取ろうとすると、エリーの手をひょいと避けて口元に運んだ。そのまま食えと。エリーは逡巡して、仕方ないので小さな口で彼女の餌やりに付き合った。「餌付け成功」と、ハンナは口端を吊り上げる。
弄ばれたようで、事実遊ばれていたわけであるが、若干の気恥ずかしさを覚えつつ困惑しながら、エリーは話題を変えようと口を開いた。
「何か用事あるの」
「ただ話すのに、用事がなきゃいけない?」
「別に」
「ないわけでもないんだけど。相談に乗ってくれちゃう?」
「聞くだけは」
ハンナの困り事となれば彼女も吝かではない。それほど付き合いが多いわけではないが、掃除屋になって以来の友達と言って差し支えないレベルではあるのだから。
クリスも、代金にから揚げをひとつ口に放る。女の悩みとなればやはり、恋話であろう。
「彼氏でも出来た?」
「ストーカー被害、かな」
「は?」
予想していなかった答えに、クリスは飲み込もうとしたから揚げでむせた。




