2-2 花
自称マークスマン、エリーが目を覚ました時、店はなんともいえないどろりとした重い空気が漂っていた。
寝起きの頭でそれだけは理解すると、彼女は周囲を見回す。自身の脇にはいつも通りクリスが、円卓に頬杖をつきながらつまらなそうにテレビを眺めている。レアは店の奥に引っ込んだのか姿が見えず、代わりにカウンター席にはリリアとジゼットの子供二人組が、何かの雑誌を広げて見ている。
その場にいる三名とも、上機嫌な様子はない。
時間を確認する為に壁時計に目をやれば、短針は数字の9と10の間を指し示していた。起きる時間としてはこんなものかなどと考えつつ、寡黙なエリーも小さく背伸びをする。
「ん‥‥‥」
「おはよう眠り姫様」
「おはよう」
背伸びを終えて、すっかり冷め切ったコーヒーを静かに飲み干す。こうしてようやく、彼女の一日が始まる。
そして、あまりにも気まずい雰囲気の店内を。騒がしいリリアやおしゃべりなクリスが居ながら黙ったままと言う、ある種の異常事態が起きている店内をもう一度眺めて。
「何かあった?」
「なんでもないよ」
「そう」
「なんにもないよ」ではなく「なんでもないよ」という言葉だったことに、何かはあったのだろうとエリーは思ったが、それ以上は追求しない。自分に影響しない話だとクリスが判断したのならそうなのだろう、それで構わないと。必要だと判断されたら、後でクリスのほうから教えてくれるだろう。
ともあれ、彼女はその意識を、夢の国から無事にこの世界に戻してきた。
こうしてエリーが起きた後、クリスと二人して今日の予定を相談し、実行するのが常であった。仕事をやるのかやらないのか、やるのならどの程度の仕事にするのか、やらないのなら何をするのか、はたまた何もしないのか。もっとも、エリーが自分の意見を言う事はあってもそれを強く押し通すという事はなく、すべてはクリス主導で取り決められるのだが。
「仕事はある?」
「いや、何も受けてない。何かやりたい?」
「ううん」
首を小さく横に振り。
「ないなら、出掛けてくる」
「どうぞどうぞ」
予定もなく仕事をする気にもなれなかった。さりとてリリア達と同じ場に居たい気分でもなかったので、いっそ家に帰ろうかとすら思っていたクリスは、エリーの意見をあっさりと了承した。所詮、眠り姫様が起きるまで待っていたに過ぎないのだ。
了承して、はたとエリーの用件に心当たりがあった彼女は。
「もしかして教会?」
「ん」
「あ~どうしよっかな、私も行こうかな? ‥‥‥いや、やっぱいいや。よろしく言っておいて」
「ん」
エリーは小さく頷いて自身のポケットに手を差し入れる。W99C。護身にすら無頓着のエリーに、いいから持てとクリスに買い与えて貰った、9ミリパラベラム弾の小型ハンドガンだ。これが活躍する事態と言うのは相当によろしくはないし使う気もないが。クリスのポケットマネーから買ってもらった以上は、持ち歩くより他はない。その手触りを、手で確認だけして。
エリーは立ち上がる。
□
エリーは、路地を歩いていた。
近道をするために、大通りから少し外れた場所。確かにこの近辺はウルティスでも破格に治安の良い場所で、警察もまだ仕事をしている区域だ。人々はマトモな商いが出来ている。とはいえ、人気のないところを歩くというのは昼間であろうと推奨されるものではない。それでもその道を選んだのは特に理由はなく、ただ近いからと言うエリーの無頓着から来ていた。
あるいは。一応程度にも「連れ」がいる安心感というものもあるだろうか。
「あなたはどうして付いてくるの」
エリーは振り向き、そして勝手に後を追ってきていたその少女に蒼眼を向けて声をかける。
少女。長い銀髪をハーフアップした黒のゴスロリ服のリリアは、その問いにきょとんとした顔をして。
「だめ?」
「別に」
別にどうでもいい。そういう意味と受け取ったリリアは、なお歩くエリーの後を追った。
リリアとしては、ジゼットに迷惑をかけた後で、クリスにも睨まれと店での居心地が良くなかったのである。そんな中、態度を変えずにいたエリーが、レアの店での睡眠を終えて一人出掛けるとなれば、興味が沸くついでに逃げられるというものであった。クリスの腰巾着なエリーである。共に行動してもらうのはレアとしても吝かではないので、これまた彼女も黙認したわけだ。
エリーはただ歩き続ける。彼女にしてみればもう何度も通った道だった。迷う様子も見せず、ただ進んでいく。歩幅の差分だけ、リリアはやや早歩きになる。
「ねぇねぇエリー。どこに行くの?」
「教会」
「今日は平日よ、日曜礼拝はやってないわ」
「そうね」
「それなのにどんな用事があるの? あ、わかった。懺悔だ。あの、小部屋に入って何とかする奴」
「違う」
「じゃあ何? 歌でも聞きに行くの?」
「違う」
「‥‥‥本当、口数少ないよね、エリーって」
「ん」
「‥‥‥」
とにもかくにも返答しかせず会話を続ける気概がない、気のない平坦な声から出される返答はごく短い。話が途切れたらずっと無言。そんなエリーに、このわずか20秒ほどで疲労を感じるリリアであった。リリアはご機嫌な会話を多く、それこそクリスのように口数の多い人間とするのが好きなのであった。
根本的に相性が悪いのかもしれない。そう感じながらも、ただ歩いてストーキングを続けられるほど彼女の気は長くはないので、会話らしきものは続く。
「‥‥‥えっと、どんな用事なの?」
その問いに、エリーは一度口を開いて。
そこで止まり、数秒ほどして。
「知り合いに、会いに行く」
「ふぅん。どんな人?」
「前に言ったと思うけど。ハウンドだった時の射撃班の人」
「えと、何だっけ。クリスとエリーと、死んだ人と、十字架持った人。その十字架の人?」
「そう」
十字架と言うのは教会に入ったという事らしい。そこは理解して。
「なんで『知り合い』だなんてよそよそしいの。会いに行くくらいだし、友達じゃないの?」
「‥‥‥さぁ」
「エリーってば、変なの」
「かもね」
適当な相槌をうつ。他人の評価など気にしていない、と言う意味ではなく、自分がまともかどうかの判定にすらエリーは興味がなかった。
やがて二人は、車が離合できる程度の通りに出た。ここからは道沿いに行ったほうが歩きやすくわかりやすい。
時間は11時ごろ。マトモな住人によるマトモな出店がここにも出ている。一つ隣の大通りではさらに多くの店が商売をしており、その活気の声が建物越しにでも伝わっている。ここはウルティス指折りの平和な地帯。だからこそ、あの施設もある。
そんな中を進むエリーの前に、一人の影が進み出てエリーの脇に寄ってきた。
「花、買ってください」
言って、子供は一輪の花をエリーに向ける。こんな子供が発生するくらいには治安はよい。
どこかから適当に引きちぎってきたであろうそれを、握り締める女の子。昼下がりの町、並程度の家庭があればスクールに通っているであろう、女の子。この時間のこの町で、こんな子供がこうしている。理由など単純だ。
こんな子供ですらまっとうに商売しようという気概があるのに、民兵崩れは銃を振り回す。世の中なんてそんなものだ。世界と言うのは真面目なほうが損をするように出来ている、不真面目でも力があれば生きられる。力がなければこうなる。
それを鼻で笑うのは、同じ少女のリリアだ。
「花ぁ? 一体何ルーツで売るつもりよ。売るなら粉を売りなさいよ、そのほうが稼げるわ」
「‥‥‥」
「ちょっと足伸ばして、いかにも治安の悪そうなところの路地を歩くといいわよ。水路とかゴミ捨て場とかに、拳銃が転がってることがある。武器や粉売ってる奴に出会えたらさらにラッキーね、見張り手伝いますとか言えば雇ってくれるわ」
それがリリア式稼ぎ方らしい。あるいは経験済みだからこその言葉なのかとも思ったが、やはり関係ないこととエリーは切った。
そして花売りの少女を見て、エリーは小さく嘆息。
二年前は、食うに困れば軍に入ると言う選択肢が国民の最有力候補だった。志願兵には優先された食糧配給が約束されていた為だ。それを目当てにした貧民層やストリートチルドレンも相当数いて、国民擲弾兵はそういう連中が集まっていた。しかし今は違う。その募集は二年前に終わり、皆解散した。
力のないものの選択肢は二つしかない。銃という力を持って、どういう形かで金という力へと変換するか。
誰かの慈悲にすがるか。
「腹が減ってるの?」
エリーの問いかけに、少女はひとつ頷いた。
「親はいるの?」
今度は、黙して動かず答えなかった。親がいないと知れば捕まって売られるか使われるか。その程度の知識はあったのだ。だから、誰かに見られやすい通りにいた。子供に出来る精一杯の自衛だ。
エリーは黙した。黙して。
「ここから一番近い教会。パンのひとつくらい貰えるかもしれない」
述べてくるりと向きを変え、歩き始めた。十分に手を差し伸べてやった、これ以上構ってやる理由はないと。
「教会ってどこ?」
想定していなかった返しを背中に浴びて、エリーは表情を変えずに立ち止まる。
これ以上構ってやる理由はない。だが、幸か不幸か、エリーは丁度その教会に向かう途中であった。この近辺で教会と言えば、丁度そこ。
「ついてくれば?」
突き放すがごとく平坦な声で、振り返らぬまま言い残して、先へ進む。
言葉を聞き入れるか否かはもう、本人の選択次第だ。少女からすればエリーが善人か、言葉が正しいかすらわからないのだ。知らない人にはついていかない。この世界で、そういう決断をするのも立派なことだ。
先へ行ってしまったエリーの背中を見て、リリアは少女に向くと、ふんと鼻を鳴らして踵を返した。
「私には冷たいのに、あれにはやさしいのね、エリーは」
「別に、冷たくしてるつもりはないけど。それに」
「それに?」
「私も、孤児だったことがあるから」
だから、同じ姿をしている子供をまったくの無視はできない。自分だって、慈悲で教会に救われた身なのだからと。慈善活動家ではないのでこの程度しかしないが、日々を生きるのに精一杯な住人達は、エリーがかけた言葉すら少女には伝えないだろう。その伝えなかった結果なら、町外れの地区ではいくらでも見ることが出来る。
ストリートチルドレンと呼ばれる子供達。ギャングの下働きをして、銃を持って、路地で身を横たえて。
汚い血を垂れ流して死ぬか、飢えて野垂れ死ぬか。
不器用な人間は、生きられない仕組みだから。
二人は歩き続ける。
そして、リリアだけが背後を確認して。
「あの子、付いて来てるけど」
「そう」
10メートル以上は距離を置いて、しかしエリーの通った後をやってくる女の子に、やはりエリーは一瞥もしなかった。




