5-16 クー・フーリンの血
最後の指示をもらったアナベルは、そっとトランシーバーから手を離した。
やはりあの人は純真だなと、アナベルは思った。自分に裏切られるとか仕事を放棄されるとか、そのあたりの危険性はまったく考えていないらしい。そして必要分の仕事を済ませて、目的そっちのけで取り残された友達を救いに行ったらしいあたり、絶対に掃除屋に向いていないと思った。
これが類は友を呼ぶと言うものなのだろうかと考えて、アナベルは手元に残された子供二人に向く。
「正面は敵がいるそうです。こちらに行きましょう」
指示された通り右側へ抜ける道を選んで向き直り。
背中に、少女の声を浴びた。
「クリス達は?」
「すぐに来ますよ」
「来ませんよね」
アナベルの背を見るジゼットの視線は鋭い。声もまた同様に。
それくらいの察しは、少年にもできる。
「そうですね。それでどうします?」
想定していなかったわけでもないのでアナベルに驚きはなく。ただ背を向けたまま否定もせず、逆に辛辣に返した。振り返らなかったのは、自分もひどい顔をしていると思ったから。
彼は、答えない。答えられない。自分達は前に進むことが目的で、元来た道を帰るのは。
「行きましょう」
こうして足を止めて話しているだけで、稼いでくれた時間が無駄になっている。ジゼットが歯を食いしばって悔しがるのを、アナベルも背で感じて苦い顔を作った。
お世話になった人間を人柱に、自分達が生き残るのか。
それは子供がほんの数秒の思考でイエスと答えていい問いではなく、目的を考えればノーと答えていい問いではない。人間ならば永遠に悩んでいい選択であるのだろう。しかしそれでも、彼らは今答えて動かなければならないのだ。それはあまりに辛いこと。だからアナベルは答えを示して誘導した。大人として出した答え。後を任された大人の責任として。
生きることは、他の犠牲の上に成り立つもの。誰の言葉だったかなと、アナベルはどこかで仕入れた知識を掘り返しながら。
「ねぇ」
それでも食い下がるのはリリアだった。仕方なしにアナベルは平静を装って、振り返る。
リリアは、まっすぐに見据えていた。あまりにもまっすぐで、迷いなどどこにもなくて、その態度だけで、アナベルは大人としての決意を揺るがされてしまいそうになる。
「何ですか」
「私は、誰かを殺すのはやめるって決めたわ。でも、好きなことをやめる気はない」
「それで?」
「私はエリー達が好きよ。だから戻るわ」
人が戦える理由。それは人だから。
自分が生きたいと思うから。そして相手を強く思うから、思った相手を守りたいと思うから。隣にいる、自分の命を預けることにもなる仲間が死ぬのを嫌うから。その思いがあるから、相手への憎しみがなくても戦える。恐れを跳ね除けて戦える。
子供の教育環境は考えるべきではないかなと、アナベルは思った。リリアが以前どんな娘だったのかは知らないアナベルでも、明らかにエリーとクリスの生き方に感化されているらしいことはわかったからだ。リリアだから、とここまでしている彼女達の生き方に。
答えないアナベルに痺れを切らせ、拳と脚で全部を殺さない程度にぶっ飛ばすつもりで踵を返そうとしたリリアを、アナベルは慌てて呼び止める。
「待ってください」
「何よ」
「そのまま帰っても仕方ありません。先に車を調達しましょう」
何をおいても優先するべきは子供二人の離脱だ。戻るという行動はよいとしても、もしも彼女たちが手遅れだった場合でも、託されたそれだけは完遂させないといけない。それに、徒歩で戻るよりも逃走手段を持っていったほうが、その後が楽だ。
「そんなのあなたがやってよ」
「その為には蓋をしている部隊が邪魔なんです」
最短を取れる街路の先には敵が待ち構えている可能性があることを伝える。ドラマや映画で、警察官がパトカーのドアを盾にして銃撃戦。それが出来るのはドアに防弾処理がされているからであり、民間乗用車に対弾性能などない。銃を持ち出されたら、一般車はただの動く棺桶。車一台通過するのがやっとの狭い脇路地をゆっくり曲がるなど自殺行為だ。
そんなうんちくは、リリアにはいらない。
「だったら」
リリアはアナベルに飛びつくと、先ほどアナベルが背を向けた時に確認していた後ろ腰のPBマイクロ9小型自動拳銃と、彼女が手にしていたARGO90セミオートショットガンを奪い取った。
邪魔なら、どかせばいい。他の誰でもない、彼女なら可能。
目的を持って、確信を持って、覚悟を持って。
ジゼットが、物言いたげにリリアを見る。銃を持ち出した少女が、また人殺しをするのではないかと。そんな彼の視線に気づいてリリアは振り向き、そしてにこりと笑った。切り裂き魔と呼ばれた狂った笑いではなく、優しくやわらかい笑顔。
「行ってくる」
正面に向けて、リリアは一人駆け出す。
地平線に隠れた太陽の光が、正面にいる敵の姿を浮かび上がらせる。銃を持つ人間、数は8人。
少女は集中する。
彼らが向ける8本の射線すべてを理解して、リリアは加速し飛び込んでいった。
発砲。
彼らの射撃は、少女には届かない。
あっという間に懐に飛び込んだ少女は、右手でショットガンの伸縮ストック部を握り、一番やりやすかった相手に向けて、野球のバットを振る要領でみぞおちを殴りつけた。餌食になった敵は吹き飛ぶでもなく、しかしその場に崩れ落ちる。その程度の威力。
すぐに二人目に接近して、肩へ振り下ろしの一撃。呻いたところを、彼が手にしていたアサルトライフルをこれは思い切り遠くへ蹴り飛ばす。そして、側頭部にショットガン棍棒で殴りつけて昏倒させる。
リリアは意図を明白にしていた。大怪我にならない程度に殴りつけ、銃と言う手段を彼らの手から取り落とさせて遠くへ捨てる。
銃を蹴り飛ばす、殴って落とす。拾って思い切り遠くに投げては足払いで転ばせ、手足でリーチが足りず対応が間に合わないと判断すれば、左手の自動拳銃で足を狙って撃つ。諦めずに起き上がってくれば、喉を狙って打撃の一撃。
繊細な手加減と、思い切り。敵の位置、行動、射線という周囲の状況判断。すべて並列して脳と体で処理するには、膨大な集中力が要求される。それは、少女が力を使うという事。
力を求められ、体の熱さを感じる。すべてが愉快になる高揚感が溢れる。
少女は笑いそうになる。
遠慮なく叩いて潰したら、どんなに気持ちいいだろう。全力を出したら、どんな至福だろう。
手を抜くから相手は起きる。殺さないから終わらない。
殺せ。
殺せ。
殺せ。
「そんなの」
思い浮かべる。おじさんの顔、リュックとテオの顔。
そしてエリーと、クリスの顔。
息を吸い。
「違う!」
想いと共に声を吐き出し、顎を狙って振り上げの一撃。暴力としてひどく軽いが、脳を揺らされてまた一人が立てなくなった。
少女は踊る。衝動に任せた狂宴ではなく、固い意思を持った舞踏。一人、また一人と武器を奪っては立ち上がれなくする。
最後の一人のライフルを叩き飛ばす。
相手は諦めない。サイドアームの拳銃を抜こうとして、それもリリアは蹴り飛ばす。丸腰の相手はそれでもファイティングポーズで向かい、拳を放った。一撃をショットガンを横たえてガードして、防御しきれずに貫かれそうになって、衝撃を利用して後方へと飛び距離をとった。リリアで防げないほど重いストレートだった。
リュックと同じだ。
リリアは焦ることはせず、極めて冷静に素早く、拳銃で太腿を狙って三発叩き込んだ。スライドが後退しきって弾切れを告げる代わり、9ミリパラベラム弾が確かに相手を加害する。
だが相手は止まらない。拳銃弾に対し蚊に刺されたような反応で踏み込むと、もう一度正拳を放つ。それを横に避けて、ショットガンという名の棍棒でわき腹へ横殴りに一撃。ダメージを受けた反応はしたが、それでも意に介さないと言うように放たれた重たいローキックを、それよりも早く地を蹴り回避しつつ男の背後へ。
「ジゼット、車を用意して!」
駆けつけてきたジゼットとアナベルの姿を認めつつ、敵のわき腹を殴打する。
倒れない。男は正面を向いて、大技は危険と悟って鋭く確かな攻撃に切り替えて、リリアに向かう。
時間など掛けていられない。ここでリリアが足を止めた分だけ、助けたい人を助けられなくなるから。だからリリアは無駄に飛び回るのをやめた。最小の動きで避けられるなら避け、受け流せるものは受け流し、銃器を盾にガードして、最大の攻撃行動へと繋げる。
可能な限り相手の顎を狙う。難しければ甘くなった脇やみぞおちを両手にしたショットガンとハンドガンという名の鈍器で、足蹴りで兎に角打ち続ける。顎を殴れば相手が昏倒するから、胴体でも確かなダメージになっていることを相手の表情が教えてくれるから。
喉への打撃で、相手がよろける。
そして下からの顎への横打で、相手は尻餅をついた。それでも立て直そうとした相手の顔面に拳銃を投げつけ怯ませながら、詰める。
拳銃を打ち払った男は目の前の出来事、すなわち少女に、銃器としてショットガンの銃口を胴体中央に向けられた事を理解した。トリガーには指が。彼は敗北と死を悟り。
「行って」
少女の言葉に、止まる。
「出て行って!」
明らかな敗北と死の恐怖と、少女の怒声に士気を折られた男は、ふらつく足で立ち上がると降参の印に両手を挙げ、情けない格好で後退し、そして街中へと逃げていった。
時間が経てば、様子見とそこらで呻いて倒れている仲間を拾いに戻ってくるだろう。床に沈めた連中が起き上がり、武器を拾って戻ってくるだろう。しかしそれまでの時間があれば、十分のはずだ。
熱くたぎる心を抑えて、息を吐く。
撃つつもりのなかった銃口を下ろして、しかし転がり呻く敵兵への警戒は怠らずに。満足はない。少女にはまだやることがあるから。
振り返る。ジゼットとアナベルが、一台のワゴン車を強奪して待っていた。もちろん、元の運転手には丁重に銃で脅かして降りて頂いている。代わりに運転席に収まったアナベルから「行きましょう」と声をかけられて、リリアも乗り込んだ。
「ちゃんとエリー達のところよ」
「わかっています」
言いながら、アナベルは車を元来た道へバック走行する。
「何で後ろ向きで向かうのよ。遅いわ」
「こちらのほうが後が捗ります。ジゼット君、車を止めたら撃って制圧してください」
「わかりました」
すぐにマガジンを交換できるよう、ジゼットが予備マガジンを用意する。後部座席にサンルーフが付いている車だったので、彼は今のうちに開いて身を乗り出した。
銃声に近づいていく。
「どのあたりでしたかね、スモークを投げたのは」
「左に抜ける路地。あそこ、あそこのはずです」
「あそこではわかりませんジゼット君、停止指示をください」
「わかりました。‥‥‥あと少し、止まってください!」
停止。
同時に、ジゼットが正面街路に向けてアンダーバレルグレネード弾を発射。続けてセミオートで広く弾丸をばら撒いた。追撃体制に入っていた敵は攻撃的爆発と制圧射撃と、そしてそれまでなかった車両戦力の登場に挫かれて再度退避行動に入った。
一度挫かれた彼らが体制を整えて攻めて来るまでには、わずかだが時間がある。今のうちだ。
運転席のアナベルからも路地の中が見えた。そして、一人が床に伏している姿も。何が起こっているのかもまた理解した。
しかしそれでも、やることは変わらない。
「クリスさん、乗ってください!」
声に気づいてクリスが彼女たちに振り向いた。来るはずのない収容部隊の登場に、やはりそれを認識できなかったクリスはぽかんと眺めるだけであった。リゼも同様である。そんな彼女達の元に、車から飛び出したリリアは駆け寄った。
リリアはクリスを見て、リゼを見て、そしてエリーを見た。ただ一人視線を返してくれない、服を血で汚して倒れている人を。
よく見る光景。どこかで見た光景。
リリアにも、不安が湧いた。
「エリー、大丈夫?」
「あ、あ、と、怪我、して」
「手当てが必要なの。病院に運びたいのだけど」
言葉にならないクリスの代わりにリゼが語るが、そこで言いよどむ。エリーを病院に運ぶという行動は、最優先目標であるリリアとジゼットの逃走を阻害することになるからだ。
だがリリアは、二つ返事。
「うん、わかったわ」
「でもあなたは逃げないと」
「運んでから逃げたらいいんでしょ?」
当然とばかりにリリアは答える。良くしてくれた人に良いことを返す。
これほどにうれしい答えがあるだろうか。
「よかった、よかったわ。車に乗せましょう、ほらクリス、しっかりして」
「ご、ごめん。どうすれば」
「運ぶのよ。足を持って」
クリスはこくこくと頷いて、言われるがままにエリーを運ぶ用意を始める。
気を失ったままのエリーの体を持ち上げる。
その時。
カシャンと、エリーの手から銃が零れた。
クリスとリゼの二人はそれに気づいていた。が、手も塞がっており、ごめんねと胸中で謝罪しながらエリーを運び込む作業を続ける。そんな彼女達を見送って、リリアは再びそれを見た。
落ちたのはライフルだった。確か、エリーが部屋でお掃除していた銃だともリリアは覚えていた。持って行かなくていいのかなと考えたリリアは、エリーの荷物ならと拾い上げて。
ふと。
気配を感じて、リリアは街路の奥を見た。
いた。
人だ。
一人の黒髪の女性が、曲がり角から顔だけを遠慮がちに出していることに気づいて。
ここにいる人間なら、エリーを撃った敵かもしれない。それならば、攻撃されるかもしれない。リリアは今しがた手にした、使ったこともないライフルを急ぎ向けて撃つ姿勢をとった。が、銃を向けられた相手は驚いて逃げるでも、まして凶器を取り出すでもなく。相手が何もしてこないことを見て取って、リリアは不思議に思った。
リリアが、照準器でその顔を視認する前に。
相手はこれまた急ぐ様子もなく、そのまま首を引っ込めて姿を消してしまった。
「‥‥‥?」
「リリア、急いで」
ラストマガジンに交換して最後の制圧を加えているジゼットに言われて、はっと目的を思い出したリリアは、ライフルを抱いたまま、もう振り返らずに車へと駆け戻る。
六人全員を乗せた車は一気に加速して走り出し、降りかかる銃撃から逃れて町から消えていった。




