5-14 攻勢である人間
教会を出て逃走する。
そう決まった時点で、彼女はもうわかっていた。覚悟ではなく、ただ理解していた。
日が、昇り始めている。
「痛ったいなぁクソッタレ!」
ライフル弾で射抜かれた二の腕を押さえて、クリスは悪態を吐く。派手な出血はなく、太い血管から逸れている為大事には至らなかった。普通なら床でのた打ち回る激痛が、撃たれてその程度の罵声で済んでいるのは、興奮と疲労によりある程度感覚が鈍っているおかげでもある。
仲間が負傷したなら、手当てが必要なのは当然。ことにクリスはこの部隊の指揮官だ。
「リゼ、バッグの中に救急包帯。パックの奴」
「わかったわ」
リゼがバッグから滅菌救急包帯をつめたパックを取り出して、それでクリスの簡易的な手当てを行う。その間の射撃はアナベルとジゼットが主に担当した。
だが、射撃を浴びても敵が思うほど止まらない。エリー達の射撃がただの牽制だと知って、射撃をしても思い切って距離を詰めて来るのだ。日が上り始めたおかげで、相手が正しい状況認識を出来るようになってきていたことが、一行にとって悪い影響を与えている。
また何人か、リリアほどではないが素早く走る人間がいた。猟犬となった適合者達。それを見越して最初に距離を稼いでおこうと移動中心だったのだが、そろそろ厳しい。
クリスが自由の効く左腕でサブマシンガンを掴むと、とりあえず制圧攻撃返し。クリスの脳内の警鐘は鳴りっぱなしだ。手当てをしてくれた友人に礼を述べて、クリスは改めて本音を零す。
「あんがと。しっかしマズいなぁ」
「正規軍でしたかね。このあたりはさすがですよね」
「しなびた野良犬バーサス筋肉もりもりの猟犬だもんねぇ。食ってるものが違うよ」
減らず口で、せめてもの憩いを提供する。
ジゼットのリロードアウトで、相手からの制圧が入る。お互いがお互いの足を止めるための射撃。当てる気がなくても今まで率先して射撃していたのは、こうして頭を抑えられて足を止められるのが最悪だからだ。そして今はまさに、最悪の状態に突入しつつある。
この緊張状態で、リリア以外の全員が疲労を示していた。それは、クリス達から打てる手段が減ってきていることを示している。
「全員リロード済ませて。道路まであとどれくらい?」
「500メートルくらいでしょうか」
一息に、とはいかない距離だが。
温存してきた手札を切るのは、今だろう。
クリスは一個限りの発煙手榴弾を握る。煙幕の噴出時間中はこれで視界が切られる。正面に展開して、その時間で尻尾を巻いて逃げる。側面にも敵が回って包囲機動してくることを想定すれば、ここで一度状況を引き戻さなければならない。
「おっけ、中ほどまで一気に走るよ。どうも、道路までの間にも敵がいるっぽい。そいつを迂回してだね」
クリスが指示を飛ばす。
だから。
「リゼ、マガジン」
「はい」
エリーは要求して装填済みの弾倉を受け取って、懐に仕舞う。既に銃に収まっている分も含めて弾倉4つ24発分と、弾丸のみバラでポケットに入れている何発か。
ジゼットのマガジン交換を確認して、クリスは改めて全員の顔を見る。まだ世界は暗く仔細な表情までは見えないが、いるとわかればそれでいい。
「準備できたね。ジゼット、グレネード準備。私がスモーク投擲したらぽんと撃って、そして全員走れ。300メートルくらいマラソンするよ。よし!」
クリスが手榴弾のピンを抜いて投擲し、敵正面部隊との間にスモークスクリーンを展開した。同時にジゼットがアサルトカービン下部の40ミリグレネードを発射。たいした爆発ではないが、爆発物であることは間違いなく敵も頭を下げた。
そして、走り出す。
展開された煙に向けて、敵の何人かが発砲する。そんな盲撃ちがそうそう当たるはずもなく、クリス達は走って距離をとっていく。クリスの中でがんがん鳴っていた警報は、急速に遠ざかっていく。よしよしうまくいったとほくそ笑みつつ。
疲労、装備込みの全力疾走がそう持つわけもない。彼女達は途中からジョギングレベルに変えて。
「エリー?」
リゼの言葉に、クリスは首をめぐらせた。
先頭のアナベル。前を行くリリアとジゼット。隣にいるリゼ。
視界に入るのは四人の姿。
いない。
さらに後ろを見る。
いない。
いや。
スタートラインの建物影で止まっている、金髪の友達の姿が目に映った。彼女が付いてきていないこと、緊張と疲労と銃声で気がつかなかったのだ。
「エリー何してんの、走れ!」
クリスが吠え立てるが、大声でも反応がないのでトランシーバーも使う。だが、それでもエリーは応答しなかった。クリスは戻ろうとしたが、霧散し始めたスモークの切れ間から敵に狙われ勘が警鐘を鳴らし始めたので、リゼと共に近くの物陰に隠れるしかなかった。
「クリスさん」
「先に行ってて!」
足を止めようとするジゼットに怒鳴って、改めてエリーへと目を向ける。そしてもう一度トランシーバーで呼びかけた。
「エリー」
「行って」
短い返答。
そしてエリーは、耳からインカムを外す。
もう、必要ないから。
エリーの左足に、血液と言う水分を吸ったカーゴパンツがべったりと張り付いている。暗くて彼女には見えないが、赤い血を吸った生地は広くどす黒く汚れていた。ナイフで裂かれてたいした手当てもしていない傷口が、これまでの移動で開いていたのだ。
生温く濡れた感触。不快で、痛い。出血のせいか、なかなか息が整わない。
自分は走れない。
走れないから、走らなかった。それだけ。
足の痛みは、彼女自身教会出立前から意識していた。深い刺傷の痛みが数時間で完全に消えるわけがない。この時点でエリーは、もしもクリスが2キロマラソンをすると言い出したら、途中でドロップアウトするつもりでいた。行軍は一番遅い人間に合わせなければならなくなる。負傷者など連れて行けば邪魔になる。
それはひとつの意味で間違いなく正しい判断。そして、戦闘となったその時に何をするのかも、既に決めている。
クリスの防御行動、すなわち全軍で持って防御しながら移動し目的地に達するは破綻した。防御が失敗すれば。
十分に「試射」を行ったライフルを、持ち上げる。
精度は期待できないと言われたが、少なくともこの交戦距離において必要なだけの性能を、手にしたライフルは取り戻していた。
軍事戦術における防御行動の失敗は、全軍瓦解だ。だが、まだ守勢側には取れる行動がある。それは後退行動。綺麗に述べるのであれば、味方中核主力を、手段を尽くして敵との接触から引き剥がし、最小の被害で後方へ退避あるいは離脱させること。
直接的に語るのであれば。残置部隊が捨て駒として残り、足止めをして全軍崩壊を防ぐこと。それはいわゆる特別攻撃任務だとか自殺任務だとか、捨て奸だとか、そう揶揄される種類のものだ。その場に残って死ねと、君の離脱は考えていないと、そういうもの。味方全体が瓦解するほどの攻撃を浴びてそれを堪えろと言うのだから、途方もない苦労と犠牲の上に成るものであることは述べるまでもない。
犠牲があれば、成り立つ。
残置部隊として残り、敵の意図を破砕する。指揮官のクリス、非戦闘員のリゼ、護衛対象のリリアとジゼット、人を撃てないアナベル。誰も残置部隊としての仕事をこなせないのだから、例えエリーが完全な体調であったとしても、彼女は同じ選択を迫られたしするだろう。
では、残置部隊として敵の意図を破砕するには。これも古来から戦術家達が答えを出している。
エリーは照準器を覗き込む。そして追跡しようと走り出した、直近にいる先頭の一人を狙って。
引き金を引く。
銃は彼女の希望を叶えて弾丸を運び、弾丸は相手の左肩を貫いて転ばせる。リリアの望み通り、直接殺しはしていない。正しく手当てすれば命くらいは助かる、かもしれない。7.62x51mm弾でできる手心はこれが精一杯だ。
セミオート機構が役目を終えた薬莢を排出し、次弾を薬室に用意して持ち主の意思を待つ。
続けて二人目へ向けて、狙い、撃つ。彼も肩を負傷して崩れた。前を進む味方が二人連続して倒れたことで、残る敵は物陰に退避を始めた。当たり前だ。音による威嚇ではなく、目に見える被害が出たのだから。
正面部隊の足が止まる。それはつまり、追撃と言う敵の意図を破壊したことになる。
敵の意図を砕くには、攻撃こそが唯一無二の手段。
狙い、撃ち、破砕する。マークスマン。スナイパー。敵を確実に加害することを求められる、戦場において常に攻勢である人間。エリーが攻撃を続ける限り、彼らは前に進めない。
彼女は先ほど敵が退避行動をした際に、指示を出している人間を見つけていた。ひとまず足を止めたのなら、次は指揮系統の混乱だ。敵の指揮官にはどのような形かで黙ってもらう。具体的には、機会があれば腕なり足なり負傷させて動けなくなってもらう。
エリーは撃ち続ける。6発マガジンはすぐに使いきり、陰に隠れて新しいものへと交換、装填。
マガジン交換の時間で奪われた主導権を取り返すために、無理矢理にでも攻撃に入る。相手の銃弾がエリーのすぐ傍を掠めるが、気が散るほどの効果もエリーが受けることはなかった。
「エリー!」
クリスが無線に乗せた声は、エリーにはもう届いていない。
クリスは知っている。エリーが自分の指示に従わない時は、彼女が強く思っている時だと。彼女は自分で望んで残ったのだ。
そしてエリーを救うには。ひとつの軍が残置部隊を救い出すには、初めから脱出方法を用意していなければならない。あるいは相手以上の物量と力を持って戦略単位で意図を破壊し戦線を押し返さなければならない。そしてその力は、サブマシンガン一丁の自分にはないことも理解していた。エリーが今まさに敵の攻撃を跳ね返しているのは、狙撃と言う、確実に敵を貫く攻撃行動であるからだ。一人サブマシンガンを数秒間たらたら垂れ流した所で、戦局は何も変わらない。
収容不可能。
その絶望の言葉が、クリスの思考に降り注ぐ。
敵の攻撃がエリーに向く。自分達の意図を妨害する人間を排除する為に。何度も何度も、エリーの傍で銃弾が跳ねる。意に介さないエリーが反撃を行う。とても銃撃を受けているとは思えないほど落ち着いた姿を、クリスは80メートル超の距離から眺めるしか出来ない。
走れば、ほんの十数秒の距離なのに。
こんなにも遠い。
「あの、クリスさん」
無線から、今は望んでいない別の女性の声がクリスに届く。アナベルが、次の指示を待っていた。
クリスは部隊の指揮官だった。どんな状況においても判断を求められ、より評価の高い手段を選んで命令する人間だった。自分が止まれば部隊全体が止まる。確実な目標達成を。最高の効率を。
だから。
「もう、いいよね」
「クリスさん?」
「アナベル。そのまま直進したら何かあるから、右の脇道使って迂回して。それで終わり。後、頼んだよ」
それで仕事は終わり。
クリスはインカムを外した。その行動までエリーと同じだったが、クリスは鏡を見ることなくあの馬鹿野郎と、胸のうちで一方的にエリーに向けて罵っていた。今までお互い命を預けあってきた、友達に向けて。
恋愛ではないが恋愛に似た、恋愛以上の、感情。
「最後まで一緒に居たいよね」
「何か手伝うことはある?」
こんな時にも隣で微笑んで尋ねるリゼに、クリスは首を横に振った。
「リゼは待ってて」
「嫌よ」
「私は勘で自分の身はなんとかなるけど、リゼまで保障できない。エリーに届く前に死ぬよ?」
クリスの勘は、自身に対してしか力を持たないことを彼女は察していた。誰かが傍で死ぬことになっても気づかないわからない。積極的に生きる気もないのに、自分が生き残ることにしか効果がない、クソみたいな才能。
自己嫌悪にもなるクリスに、しかしリゼは顔色変えず。
「それで?」
エリーのためなら恐れない。そう述べたリゼに、クリスは頭を掻いてから、閃光手榴弾をひとつ手渡した。兵器ではあるが、よほど至近で炸裂しない限りは人を殺傷することはない。クリスももうひとつの閃光手榴弾を握った。
「付いてきて。私の合図でピン抜き、投げ、ね」
「わかったわ」
「急がば回れでちょい迂回するよ。よし、馬鹿野郎を助けに行こう!」
そして彼女達は、共に物陰から飛び出す。




