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BIG5になりたくて~グランドスラムを取らなきゃ死ぬので世界最強目指します  作者: 夏冬
高校・世界への準備

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72/144

第72話 十八歳

 七月の終わり、英国から戻ってしばらくして十八歳になった。


 誕生日の朝、子ども部屋の布団の上でSTATUSを上から順に全部開いた。



 ■基礎能力▽

 パワー    C 68 / 70▽

 テクニック  B 72 / 74▽

 コントロール B 76 / 77▽

 スピード   C 69 / 71▽

 スタミナ   C 66 / 69▽

 レスポンス  B 73 / 75▽



 六つのうち三つがBに入っていて、残りの三つもBの手前まで来ている。


 ショットの欄、球種の欄、コート適性の欄と下へ開いていった。

 グラスは英国の二週間で上限を二十九まで広げたが、最後の数日はほとんど動かなかった。三つの床のうちではまだ一番低い。


 一番下に離れて一つだけ残っている欄がある。



 ■最終ミッション▽


 達成条件

 四大大会全制覇


 達成期限

 三十歳


 成功報酬



 失敗ペナルティ

 心停止



 十八歳。三十歳まで十二年。


 赤ん坊の頃にこの欄を初めて見たときは三十年あった。

 長すぎて実感がなかったが、十二年なら数えられる。


 高校を出てプロになる。

 一番下の大会から上がって四大大会の本戦に出られるまで、早くても二年はかかる。


 四つの大会は一年に一度ずつしかない。

 十年あれば四十回。そのうちの何回かは怪我で消え、何回かは勝てない相手に消える。


 そして、あの四人がいる。

 同じ時代に生まれ、これから世界の頂点に上がってくる四人が、四十回のほとんどを分け合うことになる。


 十二年は長いのか短いのか。

 決められないまま布団を出た。誕生日の朝から考えることでもない。


 その夜、丹羽家の居間にケーキが置かれた。

 祖父母も来ていて、悠蔵も珍しく座布団の上に座っていた。


 母がろうそくの箱を祖父に渡した。

 祖父は箱から太いろうそくを二本だけ出して、ケーキの真ん中に並べて立てた。


「一本、十年だ」


 祖父は満足そうにうなずいた。


「十八本も立てたら、ケーキが穴だらけになる」


「おじいちゃん、それだと二十歳だよ」


 美咲が言った。

 中学三年生の美咲はケーキの前に身を乗り出して、わざとらしくゆっくり指でろうそくを数えた。


「一本、二本」


 それから顔を上げて俺を見た。


「……へえ、おにいちゃん、もう二十歳なんだ」


「十八だ」


「お酒飲めるね」


「飲めない」


「おじいちゃんのケーキでは、飲めることになってる」


「おう、飲め」


 祖父が湯のみを差し出してきた。中身は熱い麦茶だった。

 祖母が祖父の手から湯のみを取り上げた。


「本数の問題じゃありません」


「本数の問題だろう」


「琢真は十八です」


「わしの計算では、二十だ」


「あなたの計算は、いつも多いんです」


 祖父は黙った。池の量の水をやる人の計算は、たしかにいつも多い。


 悠蔵が手帳を開いて何か書いていた。


「おじさん、何書いてるの」


「二本で二十歳なら、ろうそく代が九割引き」


「……それ、得?」


「得だね」


 悠蔵は満足そうに手帳を閉じた。

 父はろうそくに火をつけながら肩を震わせていた。


 母が電気を消すと、二本のろうそくの火が、暗い居間で揺れた。

 一本、十年。祖父の計算では、あと一本で三十歳だ。


 息を吹いた。二本とも一度で消えた。


 ケーキのあと、センターへ行った。

 夜の九時を回っていて、コートの照明は消えていた。屋根のある練習場の非常灯だけが緑色に光っている。


 ベンチに千夏が座っていた。

 待っていたのかどうかは分からないが、自転車がベンチの横に停めてあった。


「おめでと」


「ありがとう」


 隣に座った。夏の夜の空気がまだ昼の熱を残している。

 赤い土のコートの方から湿った煉瓦の匂いがした。


 千夏は膝の上に底のたわんだ紙袋を乗せていた。


「これ」


 受け取ると腕が下に引っぱられた。

 袋の中に梅酒を漬けるような大きな瓶が入っていた。

 梅干しだった。千夏の家の梅で去年の夏に漬けたものらしい。


「来年から、向こうで食べるやつ。一年分」


「一年分」


「一日一個で、三百六十五個。数えた」


 数えたらしい。

 貸し、とも、ついで、とも言わなかった。


 二人ともしばらく黙っていた。遠くで国道を走るトラックの音がした。


「卒業したら、どうするの」


 千夏は前を向いたまま言った。


 知っているはずだった。

 一月のベンチで、高校を出たらプロでしょ、と言ったのは千夏の方だ。なら、聞かれているのはその先だ。


 答えはあった。三十歳までに四つ。

 四つ取れば三十歳の先があって、取れなければない。

 三十という数を誰かの前で口に出したことは一度もない。


「三十まで、テニスする」


 千夏がこちらを向いた。


「……三十まで?」


 千夏はしばらく俺の顔を見ていた。補食の次の日に、脚は?と聞くときの目だった。

 俺は前を向いていた。非常灯の緑が赤い土の上に薄く落ちていた。


 千夏はそれ以上聞かなかった。

 膝の上の紙袋をもう一度俺の方へ押しやった。


「……梅、ちゃんと食べてね」


「食べる」


「一日一個」


「一日一個」


 帰り道、千夏は自転車に乗らずに押して歩いた。

 俺も並んで歩いた。


 センターの門を出て、本家の塀に沿って国道の手前まで。

 街灯の間隔がだんだん広くなっていく道で、千夏の自転車のチェーンが、ときどき小さく鳴った。


「三十って、中途半端」


 国道の信号の手前で千夏が言った。


「そう?」


「そうだよ。二十五でも、三十五でもなくて、三十」


「区切りがいいだろ」


「区切りがいいなら、ずっと、って言えばいいじゃん」


 信号が赤になった。千夏は自転車のハンドルを握ったまま前を見ていた。

 俺は横断歩道の白い線を一本ずつ目で数えていた。七本目で、数えるのをやめた。


 ずっと。言えない言葉だった。

 ずっと、と言えるのは、ずっとがある人間だけだ。


「……ずっとは、長い」


 千夏は少し笑った。


「たくまって、変なところで数えるよね」


 七本、とは言わなかった。


 信号が青になり、千夏は自転車にまたがった。


「じゃ、また明日」


「また明日」


 千夏の自転車が国道を渡って、テールランプが小さくなっていく。

 俺は信号の前に一人で立っていた。


 三十まで、という言葉を千夏は今日それ以上聞かなかった。

 聞かなかった分も、どうせノートのどこかに書いてある。


 梅干しの瓶が紙袋の中で歩くたびに重く揺れた。

 三百六十五個。一日一個ずつ食べれば、ちょうど一年でなくなる。


 なくなる頃には、千夏はまた次の一年分を数えているのだろう。

 そうやって一年ずつ数えていけば、十二年は十二個の瓶になる。


 ただ、そのときまでに、三十の先を言えるようになっていたい。

 そう思っただけで、何も約束はしなかった。

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