↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BIG5になりたくて~グランドスラムを取らなきゃ死ぬので世界最強目指します  作者: 夏冬
思春期・千夏と美咲

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/146

第52話 順番

 五月の朝、利根川の土手はまだ薄暗かった。


 走れと言われた翌日から毎朝ここを走っている。

 家から土手まで一キロ、土手の上を往復で四キロ、帰りに一キロ。


 距離は自分で決めろと言われたので、最初の週はこれにした。


 三日目の朝、後ろで自転車のブレーキの音がした。

 千夏だった。

 ジャージの上に学校のウインドブレーカーを羽織っていて、自転車のかごには何も入っていなかった。


「……おはよ」


「おはよう」


「べつに。通学路だし」


 千夏はそれ以上何も言わずに俺の横を自転車で並んで走った。

 ペダルをゆっくり漕いで俺の走る速さにちょうど合わせている。

 朝の四時半にこの通学路を使う中学生は、一週間たっても千夏のほかに一人もいなかった。


 一週間目の夜、布団の中で【STATUS】を開いた。


 スタミナとスピードに経験点が入っているのは当然だった。

 走っているのだから。当然ではなかったのはショットの欄だ。


 フォアハンドもバックハンドも上限の数字が一つずつ上がっていた。

 前なら一週間打ち込んでやっと一つ広がる数字が、ラケットを一度も握らない週に広がっている。


 身体の土台だ。下が固まれば上に積むのが軽くなる。

 公園で言われた肘と同じだ。手前の一つを直すと、先の三つが勝手に変わる。


 前世の俺は、フォームの形は知っていても、何を先にやるかは知らなかった。


 圭はSTATUSを知らないし経験点も上限も見えていない。

 それでも最初にやるべき一つを迷わずに言い当てた。


 順番が正しすぎる。


 期限は三十歳だ。そこから逆に数えると、身体の土台に使える時期はそう長くない。

 順番を自分で探して一年間違えていたら、その一年はどこからも返ってこなかった。


 翌朝も土手には千夏の自転車が来ていた。

 川面に朝の光が映り始めていて、千夏は何も言わずにペダルを漕いでいた。


 土手の途中に古い自動販売機が一台あった。

 帰り道に千夏は毎朝そこで自転車を止め、スポーツドリンクを一本買って俺に投げてよこした。


「貸しじゃないから」


「分かってる」


「毎朝だから、いちいち貸しにしてたら、数えきれないし」


 千夏は自分の分は買わなかった。


 六月の夕方、センターのベンチで圭が口を開いた。


 走り始めて一か月が経ち、ラケットは二週間前からまた持たせてもらえるようになっていた。


「一つだけ言う」


 今度は身構えなかった。どうせまたラケットを握る前の話だろう。


「……寝ろ」


 当たっていた。走れの次に来るものとして、ほかに思いつかなかった。


「それと、朝の――」


 圭は言いかけて口を閉じた。

 少しのあいだコートの方を見て、それからもう一度口を開いた。


「……寝ろ」


 言いかけた方はちゃんと飲み込んだ。笑いそうになるのをこらえた。


「何時に寝ている」


 飲み込んだ代わりに質問が来た。


「十二時くらいです」


「なぜ」


 答えに詰まった。夜、布団の中でSTATUSを開いている。

 今日の経験点を数えて、明日の練習の順番を考えて、気がつくと日付が変わっている。


「……考えごとを」


「考えるのは、明るいうちにしろ」


 それは別の一つではないのか、と思ったが、言わなかった。

 圭はベンチから立ち上がった。


「十時に寝ろ」


 ちょうどベンチの前を通りかかった美咲が、じゅうじ、と小さく繰り返していった。


 寝ろ、昼に考えろ、十時。


 圭に言われたその晩、九時五十分に居間を通って洗面所に行った。

 母がテレビの前でアイロンをかけていた。


「琢真、もう寝るんですか?」


「寝る」


「熱でもあるんですか?」


「ない」


 母はアイロンを置いて俺の額に手を当てた。

 熱はなかった。


「……どうしたんです。いつも十二時まで起きてるのに」


「コーチが、十時に寝ろって」


 母は少し考えた。


「藤代さん、そういうことも言うんですねえ」


「一つだけ、って言って、三つ言った」


 母は笑って、笑いながらアイロンをまた持った。


「お父さんにも誰か言ってくれないでしょうか。十時に寝なさいって」


 父はまだ帰っていなかった。


 その晩から我が家で十時に寝るのは俺と美咲の二人になった。

 美咲は「おにいちゃんと同じ」と言って十時に布団に入り、入ってから三十分くらいしゃべっていた。


 七月の終わり、十三歳の誕生日の夜に【STATUS】を開いた。

 十時に寝ろと言われているので、九時半に開いた。



 ■基礎能力▽

 パワー    E 49 / 50▽

 テクニック  E 49 / 50▽

 コントロール E 49 / 49▽

 スピード   D 51 / 52▽

 スタミナ   E 48 / 50▽

 レスポンス  D 52 / 53▽



 Dが、二つ。


 三月の終わりに六つともEになって、四か月で五十を越えたものが二つ出た。

 伸び方が変わっていた。


 春までは、STATUSの一番低いところから一つずつ上げていた。

 圭の順番は違う。走れ、寝ろ。

 どれも表にすら載っていない、一番下のところだ。


 考えるのは明るいうちにしろと言われたので、続きは明日の朝の土手で考えることにした。


 七月の夕方、センターからの帰り道の上り坂を、千夏と二人で自転車を押して歩いていた。


 千夏は今日も、屋根のある練習場の壁に向かって一人で打っていた。

 圭は真ん中のコートで俺に何か一つ言い、あとはベンチで腕を組んでいる。


 圭は練習場の方を見ない。千夏も父親の方を見ない。

 同じ敷地に一日中いるのに、二人の間にはコート二面分の距離があった。


 土手の手前の坂で千夏が自転車のハンドルを握り直した。


「お父さん、たくまには言うんだね」


 前を向いたままだった。

 責める声ではなく、今日の天気の話でもするような声だった。


 答えを探した。どうして藤代圭は娘に教えないのか。

 俺は知らない。

 公園で会ったばかりの頃、千夏は「お父さんは教えてくれない」と言っていた。

 知らないことについて何かを言えば、それは嘘になる。


「……」


 千夏は坂の上で自転車に乗った。


「いいけど。べつに」


 ペダルを一回だけ強く踏んでから振り返った。


「明日も、走るの?」


「四時半から」


「……知ってる」


 千夏はそのまま坂を下っていき、下りきったところで振り返らずに片手だけ上げた。

 見えていないのは分かっていたが、俺も手を上げ返した。

 すると千夏が坂の下で一度だけ振り返った。


「遅い!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。