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BIG5になりたくて~グランドスラムを取らなきゃ死ぬので世界最強目指します  作者: 夏冬
少年期・環境形成

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32/142

第32話 一年生

「なんでいるの」


 隣の席で、千夏が目をまんまるにしていた。

 一九九一年四月、柏市立あさひ台小学校の入学式の日。一年二組の、窓際の列の前から三番目が俺の席だった。


「こっちのせりふ」


 同じ町内、公園の向こう側に住んでいるのだ。

 同じ学区なのは当たり前で、同じクラスになる確率も低くはない。

 隣の席になる確率は、それなりに低い。


 千夏はランドセルの肩ベルトを握りしめて俺を睨んでいた。

 睨んでいるが少しだけほっとした顔にも見えた。


 俺のランドセルも背負うと背中より大きかった。母親が選んだ黒で祖父が買った。

 祖母が「一つだけです」と念を押していたので、祖父は三つ買おうとしたのだと思う。


 教室の後ろの保護者の列では母親同士が手を振り合っていた。

 千夏の母親は声が大きいので、手を振るだけでは済まずに「よろしくねー」と言ってしまい、担任の先生にちらりと見られていた。


 入学式の間じゅう千夏は何度も横目で俺を見ていた。


 校長先生の話が長かった。前世の入学式も、たぶん長かったのだろう。


 四月の終わりに初めてのテストがあった。ひらがなの読み書きと、十までの数だ。


 全部分かる。問題は何点を取るかだった。

 幼稚園で学んだとおり、隠しすぎるとかえって目立つ。だから一問だけ間違えることにした。


 5と書いてから消して、6と書き直す。消した跡がうっすら残るように。

 少し迷って一問間違えた、普通の一年生の出来上がりだ。完璧な計算だった。


 一週間後、返ってきたテストは九十点。予定どおりだ。

 ただ、間違えた問題の横に、赤いペンで花丸と、先生の字で一言がついていた。


「よく かんがえたね」


 ……は?


 担任の先生が教室の前で俺のテストを持ち上げていた。


「丹羽くんは、一回、正しい答えを書いたのに、もう一回よく考えて、書き直したんですね。間違えちゃったけど、よく考えるのは、とっても大事なことです」


 クラス中の視線が俺に集まった。


 隣の席で、千夏が自分のテストを机の上に広げて、これ見よがしに指でとんとんと叩いていた。

 百点だった。


「あたし、百点」


「……うん」


「よくかんがえなくても、百点」


 目立たないために一問間違えたら、間違えた一問で目立った。


 この国の教育は、俺の計算の一枚上をいく。


 五月の土曜日、テニススクールに入った。


 言い出したのは母親だった。


「琢真、毎日公園で壁ばっかりでしょう。ちゃんとコーチの先生に習ってみたら、どうですか」


 駅から少し離れたところにある、柏グリーンテニススクール。

 屋外のコートが四面あって、子ども向けのジュニアクラスが土曜の午後にある。


 入会の申込書を書きながら母親は懐かしそうにコートを眺めていた。


「ママも昔、大学でやってたんですよ」


 知っている。ちょっとだけで、上手じゃなかった。本人がそう言っていた。


 申込書を受付に出したところで後ろから声がした。


「あたしも」


 千夏だった。千夏の母親の手を引っ張っていた。


「あたしも、やる」


 千夏の母親は驚いた顔をして、それから笑った。


「あら。お父さんに言ったら、びっくりするわよ」


 千夏は返事をしなかった。


 ジュニアクラスは一年生から四年生までの十人ほどだった。

 最初は球出しの練習で、コーチがネットの向こうからボールを出し、順番に打っていく。


 二十代くらいの、よく日に焼けたコーチだった。声が大きく、球出しのテンポが速い。


「はい次! はい次!」


 俺の番が来た。出されたボールは、公園の壁から返ってくるボールよりずっと速かった。

 一球目はネットにかかり、次はフェンスまで飛んで、三球目でようやくコートに入った。


「おっ、いいね! はい次!」


 千夏の番が来た。コーチがボールを出した。


 千夏は一歩下がった。


 ボールは千夏の前でバウンドして横を抜けていった。


「ほら、もっと前! 前に出て!」


 次のボールにも千夏は動かなかった。

 ラケットを胸の前で握りしめたまま固まっていて、ボールがまた横を抜けていく。


「前! 前だよ!」


 コーチの声が大きくなるほど、千夏は動かなくなった。

 三球目も四球目も、千夏の横を抜けていった。


「……はい、次の子!」


 列の後ろに戻ってくるとき、千夏は俺の横で顔を伏せていた。


 レッスンが終わって、コートの外で待っていた母親たちのところへ戻った。


「どうだった?」


 千夏の母親が明るく聞いた。千夏はラケットのケースを抱えたまま間を置いた。


「……たのしかった」


「そう! よかったわねえ」


 千夏の母親は娘の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 撫でられながら、千夏はフェンスの向こうのコートを見ていた。

 コーチが次のクラスのためにかごいっぱいのボールを運んでいる。


 楽しかった顔ではない。かといって、やめると言い出す顔でもなかった。


 公園では、俺の遅いボールなら何十球も打ち返せるようになっていた。

 あれは俺のボールだから平気なのであって、コーチの球出しは別物らしい。


 その夜、布団の中で【STATUS】を開いた。



 ■基礎能力▽

 パワー    G 12 / 13▽

 テクニック  G 14 / 15▽

 コントロール G 13 / 14▽

 スピード   G 15 / 15▽

 スタミナ   G 14 / 15▽

 レスポンス  G 13 / 14▽



 二歳のころの二倍以上だ。一番伸びたのはラケットを手に入れてからのテクニック。

 それでも全部G。区切りがどこにあるのかは、まだ分からない。


 ▽を押して次の見出しを開いた。



 ■ショット▽

 フォアハンド G 4 / 5▽

 バックハンド G 2 / 3▽

 サーブ    G 1 / 1▽

 ボレー    G 1 / 1▽

 スマッシュ  G 1 / 1▽


 ■球種▽

 フラット   G 3 / 3▽

 スピン    G 2 / 2▽

 スライス   G 1 / 1▽

 キック    G 1 / 1▽



 フォアハンドがやっと動き始め、バックハンドはその半分。上から打つのもネットに詰めるのもまだやっていない。

 キックの欄はサーブを覚えるまで眠ったままだろう。


 その下。



 ■コート適性▽

 グラス G 1 / 1▽

 クレー G 1 / 1▽

 ハード G 1 / 1▽



 公園の土も、スクールの砂入り人工芝も、どの適性にも数えられないらしい。


 表示を閉じて天井を見た。


 今日のスクールではレスポンスの経験点がいつもより多く入っていた。

 コーチの球出しは速いうえに毎回違う場所へ来る。壁よりも千夏よりも、ずっと忙しい。


 他人のボールは経験点になる。同じボールが、千夏には怖いものになる。

 列の後ろに戻ってきた千夏の伏せた顔を思い出すと、素直には喜べない。


 スクールのコーチは球を出すだけで、打ち合いの相手はしてくれない。クラスの子どもとでは三球と続かない。

 こちらが球の速さを決められる相手は、今のところ公園の壁の前にしかいない。


 三十歳まで、あと二十三年。

 この伸び方のままでは、間に合わない。


 伸び方を変えるなら、受ける球を変えるしかない。

 来週から、球出しの列には一番前に並ぶ。

 千夏はたぶん一番後ろに並ぶ。その差をどうするかは、まだ決めていない。

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