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BIG5になりたくて~グランドスラムを取らなきゃ死ぬので世界最強目指します  作者: 夏冬
転生・生存条件

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12/144

第12話 BIG5

 祖父が帰った夜、俺はなかなか寝つけなかった。


 赤ん坊の身体にしては珍しいことだ。いつもなら考えごとの途中で勝手に意識が落ちる。

 今夜は頭の方が身体より先に走っていた。


 枕元には黄色いショベルカーが置いてある。


 議員の祖父と、建設会社の社長の祖父。それに、まだ顔も知らない伯父が一人。

 金を持つ大人は思ったより近くにいた。

 俺のテニス人生の未来は案外明るいのかもしれない。


 ――ところで。


 三か月健診の夜、引っかかったまま眠気に流した疑問があった。


 後にBIG4と呼ばれる、あの四人。

 前世のテニスに詳しくない俺でも、その呼び名だけは知っている。


 生まれ年は正確には知らない。

 けれど全盛期が二〇一〇年前後だったことは覚えている。

 スポーツ選手の全盛期が二十代の半ばから後半だとすれば、生まれは――


 八〇年代の、前半から半ば。


 あの夜、芝の上で跳んだ十七歳の、さらに次の世代だ。

 そして俺は、一九八四年の生まれ。


 健診の夜の予感は外れていなかった。

 俺はあの四人と同じ時代を戦うことになる。


 …………。


 三十歳までに、グランドスラム。

 あの四人がほとんど独占していたタイトルを、あの四人がいる時代に、四つ。


 前言撤回。


 俺のテニス人生、思っていたほど明るくないかもしれない。


 布団の中で、俺はしばらく天井を見ていた。

 ベビーメリーの鳥はもう外されている。代わりに、ショベルカーのアームが月明かりで小さな影を作っていた。


 あの十七歳の数字でさえ見当もつかなかった。

 BIG4はあの少年よりもさらに強かったはずだ。少なくとも前世のテレビではそう言われていた。


 勝ち目を数えるには手持ちの数字が小さすぎる。

 ……まずは、一人で歩けるようになるところからだ。


 数日後、母親に連れられて近所の公園へ出かけた。


 乳母車に乗せられて秋の道を進む。

 乗り心地は、正直よくない。路面の段差をすべて尻で拾う。前世の車のサスペンションが恋しい。


 公園の奥に、金網で囲まれた一角があった。


 テニスコートだった。


 色のあせた緑の地面に白いラインが引かれている。ネットが少したるんでいた。

 コートでは中年の男女が四人、ダブルスをしていた。


 ぽーん、と音がする。

 ボールがネットを越えて向こうへ飛んでいく。


 テレビの枠の外で見るテニスは、これが初めてだ。


 上手くはない。

 サーブは入ったり入らなかったりで、ボレーはだいたいネットにかかる。ラリーが五回続くと、四人全員が「おおー」と声を上げる。


 それでも俺は目を離せなかった。


 黄色いボールが行って、戻ってくる。

 また行って戻ってくる。


 目で追っているうちに、視界の端で表示が続けて流れた。


 レスポンス +1

 レスポンス +1

 レスポンス +1


 ベビーメリーの鳥と同じ理屈だ。鳥よりも速くて、動きが読めない分、効率がいい。

 この町の中年テニス愛好家たちは、ベビーメリーの上位互換だった。


 そのとき、一人の男性の打った球が大きく浮いた。


 金網を越えた。

 弧を描いてこちらに落ちてくる。


 一度跳ねて、二度跳ねて、乳母車の車輪に当たって止まった。

 母親がそれを拾い上げて、「ほら、ボールよ」と俺の顔の前に差し出した。


 俺は迷わず手を伸ばした。


 黄色いボール。

 指で押すと少しだけへこむ。表面は思ったよりもけば立っていて、ざらざらしている。


 この世界で初めて触る、テニスボールだった。


 テクニック +1


「すみませーん!」


 金網の向こうから、打った男性が小走りでやってきた。


「ごめんね、坊や。それ、おじさんのなんだ」


 男性が手を差し出す。

 俺はボールを胸に抱えた。


「……坊や?」


 離さない。

 ラケットはまだ握れない。ならば、せめてこの球くらい、もう少し。


 人前では気をつける。

 保健センターで決めたその方針は、黄色いボールの前で三秒ももたなかった。


「琢真、返しましょうね。ほら、おじさんのですよ」


 母親が俺の指を一本ずつ剥がしていく。

 一本目。二本目。俺は三本目で粘った。


「すみません、この子、最近なんでも離さなくて」

「いやいや、いいんですよ。……すごい握力だなあ」


 ボールは男性の手に戻っていった。


 人生初の窃盗未遂である。

 動機は経験点。


「琢真、テニス見てるの?」


 母親が乳母車の横にしゃがんだ。


「ママもね、昔ちょっとだけやってたのよ。大学のときにね」


 初耳だった。


「全然上手じゃなかったけど。ラケット、まだ押し入れにあるかしら」


 押し入れ。

 ラケット。


 ミッション一覧の一番上の項目が、頭の中で点滅した。


 ・ラケットを握る▽


 この家に、ラケットがある。


 母親はそれ以上何も言わず、立ち上がって乳母車を押し始めた。

 俺は首をひねって遠ざかるコートを最後まで見ていた。


 金網の向こうでさっきの男性がサーブを打った。

 ネットにかかった。

 四人が笑った。


 上手くはない。けれど、楽しそうだった。


 前世の草テニスを思い出す。ダブルフォルトを連発して、それでも誰かが笑っていた。

 あの頃の俺はテニスで死ぬかもしれないなんて、考えたこともなかった。


 レスポンス +1


 最後の一球まできっちり稼いだ。


 初めて一人で歩いたのは、その日の夕方だった。


 つかまり立ちは、とっくにできていた。柵に手をかけ、立って、座って、また立つ。父親の柵はこの半年で一番よく働いた練習器具だ。

 けれど手を離して歩くとなると話が違う。


 経験点のためなら、いくらでも這える。いくらでも立てる。

 それなのに、手を離すのが怖かった。


 笑える話だ。三十年後に死ぬと言われても泣かなかった人間が、居間の床を二、三歩進むのが怖い。

 熱の夜に覚えた法則は、床の上でも有効らしい。


 父親が居間の反対側で新聞を広げていた。


 押し入れのラケット。

 あれを握るには、まず押し入れまで行かなければならない。這っていけば、途中で母親に回収される。歩いていけば――


 俺は柵から手を離した。


 一歩。

 重心が前に流れる。

 二歩。

 膝が笑う。

 三歩。


「……おい」


 父親が新聞を下ろした。


「おい、歩いてるぞ! ちょっと、来てくれ!」


 四歩。五歩。

 台所から母親が駆けてくる音がした。


 六歩目で父親の膝に倒れ込んだ。


 押し入れとは反対の方向だった。

 まっすぐ歩くというのは、思ったよりも難しい。


「歩いた……琢真、お前、歩いたなあ」


 父親の声が少し震えていた。

 母親が後ろでエプロンの端を目に当てている。


 視界の端に表示が流れた。


 スピード +1

 スタミナ +1

 コントロール +1


 確かめるより先に、父親の腕に抱え上げられた。


 父親の肩越しに【STATUS】を開いた。


 ■最終ミッション

 達成期限 三十歳


 今が一歳と少し。


 残り、二十八年と少し。


 その夜、父親は居間でいつもより長く柱の切り抜きを眺めていた。


「……琢真が歩いた日に、なんか、いいことあったらいいのにな」

「もう、ありましたよ。歩いたじゃないですか」

「そうだけどさ」


 父親は柱の前にしゃがんで俺と目線を合わせた。


「正月、本家に行くぞ。今度は熱出すなよ」


 俺は父親の指を握った。力はほどほどに。


「お、なんだ、約束か」


 父親の肩越しに、柱の切り抜きが見えた。

 白黒の写真の中で、十七歳がトロフィーを掲げている。今日歩いた六歩の終わりから、ちょうど見上げる高さだった。


 布団に入ってからも、その顔は瞼の裏から消えなかった。

 手のひらには、昼間のボールのざらつきがまだ残っている。押し入れの奥には、ラケットが眠っている。


 あの少年は十七歳で頂点に立った。


 四人いるなら、四人と戦えばいい。

 勝ち目がないなら、勝ち目が出るまで数字を積めばいい。今日、六歩分の数字が増えた。

 【STATUS】がある。センス○と天才肌がある。三十歳まで伸び続ける身体がある。


 あの四人に負けて死ぬくらいなら、あの四人と肩を並べて生き延びる。


 目指すは、BIG4――いや。


 BIG5だ。

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