第113話 柱
成田から柏まで電車で帰った。圭とは成田で別れた。
圭は何も言わずに手を一度だけ上げて、反対側のホームへ歩いていった。
両親と祖父は、決勝の二日後の便で先に帰っていた。
駅前の商店街に垂れ幕が下がっていた。祝、と書いてある。
その下の名前を読む前に目をそらした。読むと、たぶん立ち止まってしまう。
商店街を抜けて住宅地に入ると、夕方で、どこかの家から夕飯の匂いがしていた。
家の前に着いた。小さな門。狭い庭。二階の、子ども部屋の窓。
子どもの頃と何も変わっていなかった。
玄関の戸を開けた。
「ただいま」
台所の方から足音がして、母がエプロンで手を拭きながら出てきた。
「おかえりなさい」
それだけだった。
世界中の新聞が一面に載せた息子を、母は、いつもの遠征帰りと同じ声で迎えた。
五日前にはロンドンの客席で立ち上がっていた人だ。それがありがたかった。
「ご飯、もうすぐですよ。先にお風呂にしますか?」
「先に、部屋に荷物置いてくる」
二階に上がって子ども部屋の戸を開けた。
そのままだった。学習机。本棚。壁に貼った世界地図。
十八歳でツアーに出てから、一年のほとんどを空けるようになった部屋を、母が掃除だけして、そのまま置いておいてくれた。
学習机の上に小さな写真立てがあった。
五歳の俺が公園の壁の前でラケットを持って立っている写真だ。ラケットが身体の半分くらいある。
窓を開けると、夏の夕方の風が入ってきた。
下の台所から揚げ物の音が聞こえてくる。
じゅう、じゅう、と。
鼻が先に分かった。醤油と、しょうがと、にんにく。からあげだ。
機内であれほど念じて何も起きなかったからあげを、母が何も言わずに揚げていた。
願いはSTATUSには届かなかった。
母には届いていたらしい。
夕飯のあと、父が新聞を一枚手に持って居間の柱の前に立った。
丹羽家の居間の柱。
柱の低いところに、一九八五年の夏の切り抜きが画鋲四つで留めてある。
黄ばんで、角が丸まっている。
十七歳の選手がウィンブルドンで優勝した記事だ。
その横に、二年前の秋の、全米の記事が一枚。初めて四大大会を取った日の記事だ。
全豪と全仏の記事は、母がアルバムに挟んだ。
父はその二枚の横に、三枚目を持って立っていた。
今回の全英の記事だった。
スポーツ新聞の一面で、芝の上に仰向けに倒れている写真だ。
「一枚だけと言われた」
父が柱を見たまま言った。
母は台所で洗い物をしていた。水の音が止まらない。
聞こえているのか、いないのか、分からない背中だった。
「どれにするか、昨日の夜、三時間悩んだ」
「三時間」
「スポーツ紙が五紙。一般紙が三紙。帰ってから販売所を二軒回って揃えた。全部の一面に、お前が載っていた」
父は手の中の一枚を少し持ち上げた。
「母さんが、一枚だけだと言った」
「一枚で、いい」
父はうなずいた。
「この写真にした」
「倒れてる写真」
「勝った写真は、ほかの新聞にもいっぱいあった。カップを持ち上げている写真とか」
父は写真の中の、芝の上の俺を見ていた。
「でも、この写真は一紙だけだった」
「なんで、これ」
父はしばらく黙っていて、それから言った。
「……お前が、倒れたところを、見たことがなかった」
父は写真から目を離さなかった。
「五歳からずっと見てきた。転んでもすぐ起きた。負けてもすぐ起きた。起きて、次の練習の話をした」
父の声が少し小さくなった。
「倒れたままのお前を、初めて見た」
台所の水の音が止まった。母が手を拭きながら、居間の入口に立っていた。
「一枚だけですよ」
「分かってる」
父は新聞を柱に当てた。
父は新聞を柱に当てたまま動かなかった。
右手に画鋲を一つ持っている。
「もう少し上か」
新聞を少し上にずらすと、一九八五年の切り抜きの角と、新聞の角が重なりかけた。
「いや、下だ」
下にずらすと、今度は隣の全米の記事と高さが揃わなかった。
「揃えた方がいいか」
「どっちでもいい」
「どっちでもよくない」
父は真剣だった。地方銀行で三十年近く、融資の書類の数字を一円まで確かめてきた人だ。
一円でも合わなければ帰らない人は、画鋲の位置が一ミリでも合わなければ刺せない人でもあるらしかった。
父は新聞を右にずらした。
「あと三ミリ、左か」
左にずらした。
母は台所に戻っていた。戻る前に父の背中を見て、小さく息を吐いていった。
俺はソファに座って黙って待っていた。
父は一度新聞を柱から離し、後ろに下がって柱全体を見て、腕を組んだ。
ネクタイを外したあとのワイシャツの襟が、少し曲がっている。
また柱に近づいて新聞を当てた。
「あと三ミリ、左か」
さっきと同じ場所だった。
二十分たった。
母が麦茶を二つ持ってきて、一つを俺の前に、もう一つを父の横の棚の上に置いた。
父は気づかなかった。母はソファの俺の隣に座り、二人で父の背中を見ていた。
三十分。
父の親指が画鋲を柱に押し込んだ。一つ。
二つ。三つ。四つ。
父が後ろに下がると、柱に三枚が並んでいた。
一九八五年の夏。ニューヨークの秋。ロンドンの夏。高さはぴったり揃っていた。
父は満足そうにうなずいて、それから棚の上の麦茶に気づき、ぬるくなったのを一息に飲んだ。
母が隣で小さく言った。
「二年前は、画鋲を刺すまでに四十分でしたねえ」
十分、早くなっていた。
夜、居間の掃き出し窓の外の狭い縁側に座った。
父と母はもう寝ていた。
庭の暗がりで虫が鳴き、隣の家のテレビの音がかすかに聞こえる。
振り返ると、ガラス戸の向こうに居間の柱が見えた。
三枚の新聞が常夜灯の薄い明かりの中に並んでいた。
縁側で膝を抱えて三十の先のことを考えた。
五日前まで三十の先はなかった。なかったから考えなかった。
今はある。三十一歳、三十五歳、四十歳。その先の、ずっと先。
その先で俺は誰と、何をしているのか。
テニスはたぶん続けている。身体が動くかぎり。
もっと強くなりたいとあの瞬間に願ったのだから。
でも、それだけではなかった。三十の先にはテニス以外の時間もある。
試合のない日。練習のあとの夜。この縁側のような、何もない夜。
その夜に隣に誰がいるのか。
考えるより先に顔が浮かんだ。
公園のベンチの、同じ端に座っていた五歳の女の子。
ボールから遠い方へ少し寄って座り直した背中。
しょっぱくて硬い塩むすび。一日一個で三百六十五個の梅干し。
ロンドンのホテルの部屋の、特別なのは、だめ。
ずっと隣にいた。隣にいることに、一度も名前を付けなかった。
十八歳の夜、センターのベンチで「三十まで、テニスする」と言った。
ずっと、とは言えなかった。ずっとがある人間だけが、ずっと、と言える。
今は、ずっとがある。
虫の声が少し止んでまた鳴き始めた。
一度千夏の職場に行ってみよう、と思った。何を言いに行くのかは、自分でもまだ分からなかった。
縁側から立ち上がり、ガラス戸を開ける前にもう一度柱を見た。
三枚の新聞の、四つずつの画鋲が、常夜灯の明かりで小さく光っていた。
四つ。四つ。四つ。父の、三十分。




