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BIG5になりたくて~グランドスラムを取らなきゃ死ぬので世界最強目指します  作者: 夏冬
グランドスラム

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107/144

第107話 上位互換、再び

 決勝の前の夜、ホテルの部屋でSTATUSを全部開いた。

 上から順番に基礎能力・ショット・球種・コート適性。


 全部の数字を一つずつ見ていった。


 二十四歳。この月の終わりに二十五歳になる。

 成長タイプは通常で、三十歳まで伸び続ける。


 実際に伸びていた。

 ニューヨークで万能型に全部が一段下だったとき、基礎能力は六つともBの後半だった。


 今は六つともSに入っている。

 ショットもほとんどがSに入った。コート適性はハードがSでクレーがA、グラスはまだBだった。


 四人と打ち続けて負け続けて、勝ち始めた。

 四人と打つたびに練習の一か月分や半年分の経験点が入った。その積み重ねがこの数字だった。


 コート適性の下の特殊能力の欄も開いた。

 センス○。天才肌。赤ん坊の頃からこの二つだけだ。

 ここは一度も増えたことがない。


 四人のSTATUSは見えない。

 見えるのは打ち方だけだ。赤土の魔人は赤い土の上で、芝の王は芝の上で、ハード特化はハードの上でどこか一つが飛び抜けている。


 では、万能型は。

 あの男はどこか一つが飛び抜けているという打ち方をしない。

 全部が高いところで揃っているのだと思う。


 俺の表で見えている一番大きい数字はハードの九十七。基礎能力も全部が九十に届いた。

 あの男の揃っている高さがそのあたりなら、数字の上ではそう変わらないのかもしれない。


 同じくらいかもしれない。

 考えてみれば、全部が同じくらいの相手と打ったことは一度もない。

 それがどういう試合になるのかは、やってみないと分からなかった。


 STATUSを閉じて机の上のノートを開いた。

 三人の弱点を書いてきたノートだ。


 万能型、のページをめくった。


 白紙だった。


 この男と打った試合は五つある。

 ニューヨークの三回戦、ニューヨークの準決勝、メルボルンの準決勝、北京の準決勝、去年のニューヨークの準決勝。

 全部負けた。


 ほかの三人のページは負けた試合のあとに一行ずつ埋まっていった。

 このページだけは何度負けても一行も増えなかった。


 どこに打っても先にいる。

 高い球も低い球も、速い球も遅い球も、前も後ろも右も左も、どれも同じくらい強い。


 一つだけ突き抜けている場所がない代わりに、突き抜けていない場所もない。

 三人を越えてきた型は、この男には効かない。


 ノートの白紙のページを見ていた。

 弱いところがないなら、強いところで行くしかない。


 この男の強いところと、俺の強いところを、正面からぶつける。


 どこに打っても先にいるなら、先にいる場所よりも、さらに先へ。

 打つ前に動くなら、この男が動く前に。


 北京でこの男は俺の読みを読んでいた。読みの一段上にいた。

 明日はその一段上の、さらに一段上へ。


 そこまで考えてペンを持った。

 白紙のページに一行だけ書いた。


 正面。


 書いてから少しだけ笑った。


 ノートを閉じて表紙を見た。表紙の角はすっかり丸くなっている。

 これだけ使ったノートの最後の一行が二文字。圭の一つだけより短かった。


 ドアがノックされた。


 開けると、千夏が布の包みを持って立っていた。

 千夏はこの決勝のためにロンドンに来ていた。

 両親と祖父も準決勝の夜の電話のあと、今朝の便で着いている。祖父はホテルに荷物を置く前にセンターコートの方角を聞いたそうだ。


 千夏は会社に一週間の休みを取って来た。入社して三年目で一番長い休みだった。

 女子のバレーボールのチームの監督に休みを申し出たとき、監督は何も聞かずに「行ってこい」と言ったらしい。


「……入っていい?」


「うん」


 千夏は部屋に入って机の上に包みを置き、布をほどいた。

 中に塩むすびが二つ入っていた。いつもの、塩むすびだった。


 三角で海苔も巻いていない、白い、塩だけの。


「……これ?」


「これ」


 千夏は椅子に座った。


「決勝の前の夜だから、何か特別なのを作ろうと思った。ロンドンの市場で、いいお肉も見てきた」


「うん」


「でも、やめた」


 千夏は塩むすびを一つ、俺の前に押した。


「特別なのは、だめ」


「だめ?」


「特別なのを食べると、身体が特別な日だと思う。特別な日だと思うと、いつもと違う動きをする」


 千夏はきっぱり言った。


「明日は、いつもどおりに動いてほしい。だから、いつもどおりのを食べて」


 塩むすびを手に取った。

 中学三年の秋にセンターのベンチで最初に受け取ったとき、それはしょっぱくて硬かった。


 今日のはしょっぱくも硬くもなくて、ちょうどよかった。


 食べた。


「……うまい」


「知ってる」


 千夏は自分の分を小さくかじった。


 食べ終わると千夏は立ち上がった。


「脚は?」


「軽い」


「そう」


 千夏はドアの前で一度だけ振り返った。


「明日、いつもどおりにね」


 ドアが閉まった。


 電気を消してベッドに入った。眠れなかった。

 天井を見ながら五年前の夏を思い出していた。


 ニューヨークの二番目に大きなスタジアム。

 高く上がって一瞬止まるトス。


 三十四本のラリーの最後のドロップショット。

 全部が一段下だった。


 握手のときにあの男の灰色がかった静かな目を見て、小学六年の夏の全国小学生の決勝の相手の目を思い出した。

 あの子の目はこうだったのか。何をしても届かない。


 届かない理由が、自分のどこか一つにあるのではなく、全部にある。

 あの日の俺は、あの男をそういう目で見ていた。


 あの夜もホテルの天井を見ながら、もう一度やりたいと思った。

 面白い、と思った。そして打ち消した。面白い、で心臓は動かない。


 明日はあの男と四つ目をかけて打つ。

 勝てば心停止の期限が消える。負ければ、来年もう一度ここに来る。


 三十歳まであと五年。まだ五回ある。


 五回ある、と思うと少し楽になった。

 けれど、それは嘘だった。五回あるのではなく、明日の一回があるだけだ。


 明日を落とせば、来年の一回は明日より遠い。


 勝てるかどうかは分からない。ニューヨークでは勝てなかった。

 では、分からない試合に何を持っていくのか。


 天井の暗がりの中で答えを探した。経験点ではない。

 期限でもない。四つ目のカップでもない。


 分からない。分からないまま、行く。分からないから、行く。


 目を閉じると、まぶたの裏に、高く上がって一瞬止まるトスが浮かんだ。

 明日、あのトスをもう一度見る。それが少し楽しみだった。


 楽しみだと思っている自分を、今夜は打ち消さなかった。

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