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BIG5になりたくて~グランドスラムを取らなきゃ死ぬので世界最強目指します  作者: 夏冬
グランドスラム

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106/148

第106話 芝の王、再び

 準決勝は金曜日の午後のセンターコートだった。

 相手は芝の王。この芝の上で三度負けた男だ。

 三度とも足首の高さのサーブとネットの前の手首に崩された。


 メルボルンのハードの上では、この男に勝った。

 けれどあれはハードの上のこの男で、今日は芝の上のこの男だ。


 一セット目。


 芝の王のサーブが来た。足首の高さで滑ってきた。

 芝の王はサーブを打った瞬間にネットへ走り出している。


 膝を曲げて低く。ラケットを下げてリターンを低く返した。

 ネットに向かって走っている、その足の真下へ。


 芝の王の一歩目と二歩目のあいだにボールが落ちた。

 芝の王は走りながらラケットを下げた。走りながらのハーフボレー。


 ボールが浮いた。

 浮いた球を、止まる前の足の横へパスで抜いた。


 芝の王は二度目は走る速さを落とした。

 ネットの少し手前で止まり、足元の球を足首の高さのボレーでコートの隅に置いた。


 止まれば、この男の手首は間に合う。

 けれど止まった分だけネットから遠くなり、遠いボレーは浅くなる。

 浅くなったボレーを踏み込んで打ち抜いた。


 一セット目を六対四で取った。


 二セット目、芝の王は止まってから打つボレーを、深い方へ寄せてきた。

 浅くならない。四対六で取り返された。


 三セット目はタイブレークまで行った。


 六対六。芝の王のサーブがワイドへ滑っていった。

 返すと、芝の王はもうネットの前にいて、空いた逆へボレーを流してきた。


 右へ走った。足が流れたまま腰を落として打ったパスが、芝の王のラケットの先を抜けた。

 七対六。


 次のポイントも、足元に沈めたリターンから抜いた。


 八対六。


 四セット目も足元に返し続けた。

 足元へのリターンは、あのクラブの二週間で何百本も打ってきた。回数で埋めると決めた差は、この一本の深さと低さになって出ていた。

 この男が止まる前に、球が先に足元へ着く。


 六対四。最後は、走る途中の足元に沈んだリターンを芝の王が持ち上げた球だった。

 それを空いた側へ打ち込んだ。


 握手のとき、芝の王は俺の足元を見た。

 それから自分の足元の芝を見て、小さく首を振った。


 試合のあと練習コートの方へ歩いた。

 汗を流す前に少しだけ脚をほぐしておきたかった。


 練習コートの一番端で誰かが打っていた。

 美咲だった。今年の全英の女子のシングルスは一週目の二回戦で負けている。


 そのあともロンドンに残って混合ダブルスに出ていたが、昨日その準々決勝で負けて、明日には次の大会の国へ移る予定だった。


 美咲は練習相手のコーチとサーブの練習をしていて、ラケットを下ろしたところでこちらに気づいた。


「あ、おにいちゃん」


「うん」


「試合、終わったの?」


「終わった」


「……勝ったの?」


「勝った」


 美咲は目を丸くした。


「え、勝ったの? 見てない」


 あっさり言った。


「全然見てなかった。ずっとここで打ってた」


「……準決勝だぞ」


「知ってる。でも私、明日移動だし。今日はサーブの感じがよかったから」


 美咲はラケットを握り直した。


「センターコート、うるさかった?」


「うるさかった」


「ここまで聞こえてた。ワーッて。三回くらい」


「決勝は、見る?」


「見るよ。決勝は見る。移動は一日遅らせる」


 美咲はにっこり笑った。


「準決勝は、見なくても勝つと思ってたから」


「……根拠は」


「なんとなく」


 美咲はラケットの先で芝をつついた。


「あとワーッが三回とも長かった。長いワーッはおにいちゃんが取ったとき。短いワーッは相手が取ったとき」


「……なんで分かる」


「センターの人たち、芝の王の方が好きだから。芝の王が取ると礼儀正しく短く拍手する。おにいちゃんが取るとびっくりして長くなる」


 美咲は得意そうだった。


「びっくりの拍手は、長いの」


「……それ、分析って言うんだぞ」


「知ってる。だから、見なくていいの」


 美咲はまたサーブの練習に戻った。ボールを三回ついてトスを上げる。

 芝の上の美咲のサーブは、低く滑っていった。


 あのサーブだけなら俺より芝に向いている。


 ロッカールームのベンチでSTATUSを開いた。

 今日の経験点は、去年この男に負けた準決勝よりずっと少なかった。

 勝てるところまで差が縮んだ分、少ない。


 芝の上で芝の王に勝った。

 特化型の三人は、三人とも四大大会の上で越えた。


 一つずつ見つけて、並べて、潰していった。五年かけて。


 ロッカールームの窓の外にセンターコートの屋根が見えた。


 残りは一人。弱点がどこにもない男。

 あの男だけは全部が揃っている。


 五年前のニューヨークでは、全部が一段下だった。

 あの男と同じ高さに来たのか、まだ一段下なのか。


 記者会見と治療を終えてホテルに戻ると、ロビーのテレビがもう一つの準決勝を映していた。

 俺の試合のあとに始まった二試合目で、五セット目に入っている。ホテルの従業員と何人かの宿泊客がテレビの前に集まっている。


 テレビの中で万能型がサーブを打っていた。

 相手はハード特化だった。

 全米の決勝で俺が勝ち、北京の五輪の決勝で万能型に負けた男だ。


 五セット目の七対六。万能型のサービスゲームで、マッチポイント。


 万能型がボールを三回ついてトスを上げた。

 高く上がって一瞬止まるトス。

 ニューヨークで初めて見たトスだった。


 サーブがハード特化のワイドに決まった。

 ハード特化のラケットは届かなかった。


 終わった。


 テレビの前の人たちが拍手をした。万能型が芝の上で両手を上げていた。

 メルボルンの表彰式と同じで、笑ってはいなかった。


 ロビーのソファに圭が座っていた。腕を組んでテレビを見ている。

 俺が隣に座ると、圭はテレビから目を離さずに言った。


「……あの男だ」


「あの男だ」


 俺も言った。


 テレビの中で、万能型がネットの前でハード特化と握手をしていた。

 圭がソファから立ち上がった。


「……寝ろ」


 夜の八時を回っても、窓の外は昼のように明るい。

 この国で日が沈むのを待っていたら、決勝の朝になってしまう。

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