『カン・サラン』
初夏の小樽で出会った少女は、シウの処女作を手に「ユン・シウさんですよね?」と微笑みかけます。彼女の名前はカン・サラン。華やかな肩書きを脱ぎ捨てた魂の共鳴によって二人の距離は一気に縮まり、シウは孤独な逃避行の果てに、自分を最も深く理解してくれるかもしれない「ミューズ」との運命的な巡り合いを確信する microfilm でした。
この少女との出会いは、あまりにも美しすぎた。
事実は小説よりも奇なりというが、時に現実は、
あらゆる創作物の予想を軽々と超える瞬間をもたらす。
そこに目に見えない必然性を感じたとき、
人はそれを「運命」と呼びたくなるのだろう。
ユン・シウは、
自分がいつの間にか自然な笑顔を浮かべていることにすら気付かなかった。
胸の奥で、彼の第三作目となる物語が産声をあげたのを感じていた。
シウのなかに潜むもう一人のクリエイターが、
猛烈な勢いで創作活動を開始している。
「ユン・シウさん……ですよね?」
少女は胸元に抱えていた本を、少し自慢げに差し出してみせた。
見覚えのある装丁――それはシウの処女作『私にキスできますか?』だった。
「昨日、仁川空港でお見かけしたんです。それに、千歳から小樽へ向かう電車も同じだったんですよ」
悪戯っぽく微笑む彼女の言葉に、シウは目を丸くした。
彼が最近出演し、
ネット上で爆発的な話題を集めていた恋愛リアリティ番組『Love Hunt3』。
彼女はそれを見てシウの顔を覚えていたのだ。
驚きつつも、シウの心には純粋な喜びと感謝が湧き上がった。
「お名前を、お伺いしてもいいですか?」
「カン・サランです」
サラン、とシウは心の中でその名前をなぞる。
彼女はソウル生まれのソウル育ちで、今年二十歳になったばかりだという。
中堅の芸能事務所に所属しているものの、
仕事はほとんどない。レッスンすら満足に受けられず、
自分でオーディションを探しては泥臭く仕事を勝ち取る日々。
生活費の大部分は、アルバイト先のレストランとカフェで稼いでいるのだと、
彼女はあっけらかんと笑った。
サランの語り口は、穏やかでありながら、どこか明るく快活な響きを持っていた。
女優志望というだけあって、
まるで舞台の上で美しい独白を聴いているかのようだ。
自身の過酷な生い立ちすら、彼女は淀みなく、
不思議なほど魅力的に語ってみせる。
それはまるで、
新緑の公園で小鳥の囀りに耳を傾けているかのような心地よさだった。
心に直接しみ込んでくるその声は、音楽的で、爽やかに澄み渡っている。
圧倒的な透明感を持つ声だった。
彼女の父親は韓国人、母親は日本人だという。
幼い頃に両親を車の事故で亡くし、それからは親戚の家を転々として育った。
「お母さんが大好きだったから、日本語を忘れたくなくて……。アニメやミュージカルを何度も観て練習したんです。でも、読み書きはちょっと苦手なんですけどね」
少し変わった勉強法だが、
彼女の語る言葉がどこかドラマチックで音楽的なのは、
それが理由かもしれない。
「実は……僕の父も韓国人で、母は韓国生まれの日本人なんです。お互い、日系の血が流れているんですね」
シウが明かすと、サランは今度こそ目を丸くした。
シウの父親は、彼が生まれてすぐに離婚して去っていった。
そして母親は、韓国では誰もが知る大女優、ソン・インナである。
母は女優業で多忙を極めて家を留守にすることが多かったため、
シウはほとんど家政婦の手によって育てられた。
サランは、ソン・インナの名前を聞いても驚きはしなかった。
すでに知っていたのだ。
シウが『Love Hunt3』に出演した際、彼が新鋭の小説家であること、
大女優の息子であること、
そしてベストセラーの作者であることは大々的に紹介されていたからだ。
番組の収録期間中に、第二作目となる小説『ずっと僕は君を……』を
書き上げるという過激なパフォーマンスを披露したことも、
いまだにSNSを騒がせている。
しかし今、二人の心を強く結びつけたのは、
そんなきらびやかな肩書きではなかった。
お互いが「日韓のハーフ」であり、
どこか似たような孤独を抱えて生きてきたという共通点。
それが、二人の間に一瞬で強い親近感を芽生えさせた。
世間の喧噪の真っ只中から逃れるようにして、シウはこの小樽の地に立っていた。
だが、その孤独な逃避行の果てで、
彼は自分を最も深く理解してくれるかもしれない
「ミューズ」と巡り会ってしまったのだ。
今後、記載する表現に関して、常識に基づいて気をつけて参りますが、
もしもを考慮して15歳未満閲覧非推奨を設定させて頂きます。
こちらに何か落ち度がございましたら、お知らせ願います。
※作中のメインキャラクターは日本語も韓国語も話せる設定となっておりますが、読む側を考慮して日本語表記にしております。キャラクター達は場面に応じて言語を使い分けているとご理解願います。
参考データ
※ユン・シウ…小説家25歳
※カン・サラン…女優志望のアルバイト20歳
※ソン・カナン...女優。カン・サランの芸名。ソン・インナに名付けられた。
※ソン・インナ…女優、シウの母親
※ユン・ジュンソ...シウの父。総合映像制作会社S.S.Iの会長
※ユン・ヒョヌ...シウの異母兄。ソヒョン・チョヨンの恋人。S.S.Iの後継者
※イ・ソジュン...シウの親友。Juringエンター専務。子犬の幼顔と低音ボイス
※イ・ウジン...映画監督。『残酷な美しさ』『私にキスできますか?』
※パク・ドユン...映画監督。シウの親友。Juringエンタ常務。映像制作部部長。
※イ・ダイン...『私にキスできますか?』ヒロイン
※キム・ソヒョン...シウの元恋人『Love Hunt』プロデューサー。
※キム・ソンミン...キャサリン。薔薇組第二夫人。数千万ウォンの身体を誇る
※ハン・チョヨン...女優『私にキスできますか?』イ・ダイン役
※ハン・ジヨン...女流写真家。奇跡の1枚を撮る「アメイジングメーカー」
※ナ・ジウ...薔薇組音響アシスタント。通称小枝。
※虹の薔薇組...ドユンのハーレム軍団。精鋭撮影チーム。
※佐藤直樹...ユン・シウの祖父。伝説の投資家。
※佐藤志乃...ソン・インナの本名。
※天翔樹林...ソン・インナのシルフィード歌劇団時代の芸名。
※涼風小鳥...中村綾。サランの母親。
※中村綾...サランの母親
※トリニティG...韓国最大の財閥グループ
※S.S.I...総合映像制作会社
※Juringエンタ...芸能事務所兼資産管理会社。会長インナ。社長シウ。
※アトリエ・ノア...中堅芸能事務所。サランことカナンが所属していた。
※『Love Hunt』…ネット配信の恋愛リアリティ番組
※『私にキス出来ますか?』…シウ作の小説
※『ずっと僕は君を』…シウ作の小説




