第14話 報告されてしまうホムホム
「それで、カテリーナを襲った魔物は何体だった」
ホムホムが身だしなみを整えられている、その頃。
ゼグラント辺境伯アルルバは、執務机の向こうに立つ騎士隊長へ尋ねていた。
「確認できただけで、五十三体です。すべてゴブリンウォーリアーでした」
報告を聞いて、机の上で動かしていた羽根ペンが止まる。
アルルバは四十を過ぎた男だった。
広い肩と日に焼けた肌には、今も国境へ出れば騎士たちと並んで剣を振れそうな力強さが残っていた。
近年は剣よりも書類を持つ時間が増えたが、鋭い眼差しは衰えていない。
その彼が、自分の耳を疑うように首を傾げる。
「……五十三体だと?」
「はい。間違いありません」
「その数の中級魔物を、お前たち四人で、カテリーナの馬車を守りながら仕留めたのか?」
「いいえ。あくまで、途中まででございます」
隊長は悔しさを噛みしめるように答えた。
本来ならば、五十を超える中級魔物をたった四人で足止めするなど快挙である。
それもカテリーナという守るべきものが背後にいて、なお生還しているのだ。
まともな貴族なら、強き騎士をあっぱれと絶賛しただろう。
だが今回においては、むしろ助けられたのは騎士の方である。
そのことを、隊長はしっかりと認識していた。
「我々だけでは、長くは持ちこたえられませんでした。馬車の車輪はぬかるみに取られ、お嬢様をお連れして突破することもできず……」
「謝罪を聞きたいわけではない」
アルルバは低い声で遮る。
「カテリーナは無事なのだな」
「はっ。お怪我はございません」
その答えを聞いて、アルルバは背もたれへ体を預けた。
胸の奥に張りついていたものが、ようやく落ちる。
娘を危険な目へ遭わせるに至った経緯も聞かねばならず、騎士団の配置を見直す必要もある。
だが、今は生きて戻ってくれたというだけで、何もかもが救われた。
「ひとまず、カテリーナの件はこれでよかろう。それで、お前たちを救った少女というのは」
「ホムホムと名乗っております」
「家名はあるのか? 所属はどこだ? まさか無名の剣士が突如現れ、全てを薙ぎ払ったわけでもあるまい?」
「いえ。それが……。ただ、彼女はスーパーホムンクルスであると名乗っていました。それが家名か、もしくは所属なのかもしれません」
アルルバの眉間に皺が寄った。
言い訳にしてはあまりにも苦しく、かといって嘘をついている風でもない。
おそらく騎士は少女の調査について既に任務を果たし、正直に答えている。
だが、それでも分からないということなのだと察したからだ。
「正体不明の少女が、五十三体のゴブリンウォーリアーを倒したと?」
「正確には、数秒で全滅させました」
一瞬、アルルバ辺境伯は、やはり聞き間違えなのかと思った。
数秒で五十体にも及ぶ中級魔物を滅ぼすなど、どこぞの英雄か、それとも神話の怪物かということになる。
もしそれが事実だとするならば、ホムホムとやらを抱え込むか、もしくは味方として協力関係を結ぶまで、この領地で好きにさせておくことはできない。
あまりに危険すぎるからだ。
そう判断したのも、隊長は誇張する男ではないからである。
若い頃からゼグラント家に仕え、幾度も国境の魔物や山賊、果ては隣接する他国の軍人と戦ってきた。
いくら突拍子もない話とはいえ、その男の報告を頭ごなしに否定するほど、アルルバは耄碌していない。
だが逆に、そんな騎士隊長の報告を認めているからこそ、ホムホムという少女がどれほど危険な存在かは理解できた、というわけだ。
「その少女は、何を求めている」
「はっ。……騎士を見たいと言っていました。正式な騎士を見に、ゼグラントへ向かっていたと」
アルルバはしばらく隊長を見つめた。
冗談を言っている顔ではないのは分かる。
だが、それほどの力を持つ存在が願うにしては、あまりに慎ましい願いだ。
他にも何かあるのだろう。
そう自分を納得させたアルルバは質問を続ける。
「ほかには何かあるか?」
「はい。彼女はパンを持っていました」
「それは、今の話に必要か?」
隊長の返事が妙に歯切れ悪くなる。
パンの話がいまの状況に関係ないことなど、本人にも分かっている。
だが、ホムホムを表現するためには、そうとしか言いようがないのだ。
「彼女は突如として、我々の口へパンを押し込みました」
「……?」
「いえ、それが本当なのです。理由は、我々が俯いていたからだそうです」
アルルバは聞けば聞くほど謎が深まる奇妙な報告に、額へ手を当て思案した。
娘を救った正体不明の少女は、五十三体の魔物を一瞬で倒し、その後に騎士たちの口へパンを押し込んだ。
やはり報告を聞くほど、何一つわからなくなっていく。
さらに騎士隊長の報告は続き、ホムホムはパンを勝利の味だと表現していたことや、その様子を見て娘のカテリーナが笑っていたことを聞いた。
窓の外から、訓練場で剣を打ち合わせる音が聞こえてくる。
執務室には沈黙が落ち、もはや自分で何を言ってるのか分からない隊長と、もはや自分が何を聞いているのか分からない辺境伯だけが取り残されていた。
そうしてしばらくして、アルルバは椅子に座ったまま、長く息を吐いた。
彼の娘はかつて、よく笑う子だった。
幼い頃は庭を駆け回り、転んでも泣くより先に、自分の失敗を笑っていた前向きな娘。
だが婚約の話がこじれ始めてから、その笑顔は美しくなりすぎた。
相手を安心させるための微笑み。
貴族令嬢として身につけた、崩れることのない作り物の表情。
父親であるアルルバには、それが笑顔でないことくらいわかっていた。
「カテリーナは、その少女を専属の騎士にすると言ったそうだな」
「はい。すでに本人へ伝えています」
隊長はまっすぐアルルバを見る。
「ご懸念は分かります。しかしそれでも、あの少女が現れたことで、我々は命を救われました。何より、あのお嬢様も笑われたのです。その事実まで疑うつもりはございません」
アルルバは机の上で指を組んだ。
強いだけなら、金で雇える。
雇うことができるのならば、それは領地の安寧に繋がるだろう。
だが強すぎる者は、それだけで危険になるのもまた事実。
ましてや、どこの誰とも知れない少女を娘のそばへ置くわけにはいかない。
そのホムホムとやらが、本当に望んでいるものが見えてこないならば、なおさらだ。
故に辺境伯は決断した。
「会って確かめる。支度が整い次第、カテリーナとその少女をここへ連れてきなさい」
アルルバは扉の外へ控えていた使用人を呼んだ。
その判断が吉と出るか、凶と出るのか。
それはまだ、辺境伯にも分からない。
だが、一方的にこの辺境伯領から手放すにはあまりに惜しく、そして無警戒で受け入れるには、あまりに危険だった。
だからこそ、最後の責任はこの領地の頂点であるアルルバ・ゼグラントが取るのだ。
彼は執務室の机の上であらゆる可能性を思案しながら、こう思う。
……どうかそのホムホムとやらが、娘の希望であらんことを、と。
なお、そんな話題のホムホムはというと……。
今まさに身だしなみを整え、出撃の準備が完了しました、などという不穏な台詞を発していたのであった。




