第15話 揺れるホムホム、新しい門出
隊長の報告からしばらくして、扉がノックされた。
「カテリーナお嬢様と、ホムホム様がお見えです」
「入れ」
扉が開くと、最初に入ってきたのはカテリーナだった。
旅装から着替え、いつもの落ち着いた服装へ戻っている。
その表情に疲れは残っていたが、帰還した時よりも顔色はよい。
その後ろから、薄金色の髪を揺らした少女が歩いてくる。
白い服に淡い赤色のリボン。
整えられた髪は柔らかく広がり、赤い瞳は宝石のように澄んでいる。
何も知らずに見れば、貴族の家に生まれた人形のような少女だった。
ただし腰には、装いにまるで似合わない古びた剣が下がっている。
ホムホムはアルルバの前まで来ると、教えられた通りに服の裾をつまんだ。
そして、勢いよく頭を下げた。
というより、深すぎた。
あまりの勢いに、薄金色の髪が床へ落ちそうになる。
「ホムホム様、そこまで深くなくても大丈夫です」
「角度が多い方が、敬意も多いと思いました」
「……後ほど、改めて練習しましょう」
カテリーナが小声で教え、ホムホムが元の姿勢へ戻る。
アルルバは目の前の少女と、先ほど聞いた報告を結びつけようとした。
五十三体の魔物を倒したという話が、どうにも現実味を持たない。
「お前がホムホムか」
「はい。私はホムホム。今日から騎士になりました。たぶん無敵ですが、試してみますか?」
「ホムホム様。まだ父上の許可をいただいていません。それと試すのはなしです」
カテリーナが慌てて訂正する。
「では、いまは仮の騎士なのでしょう……」
ホムホムはちょっとしょんぼりしながら、アルルバを見た。
きっと正騎士っていつ~、仮免おつ~、とか思っているはずだ。
だってすぐにでも正騎士になりたいのだ。
騎士はホムホムの憧れだから。
「やっぱりいまから正騎士にしてください」
「ならばまず、話を聞かせてもらう」
「わかりました。完璧に答えます」
どんとこい、と言わんばかりに何の迷いもない返事だ。
しかしアルルバはホムホムを椅子へ座らせようとしたが、本人はカテリーナの隣に立ったまま動かなかった。
「座らないのか?」
「騎士は主君のそばで立っているものです」
「ふむ……? 誰に教わった」
「私の主人公です」
その言葉が出た瞬間、ホムホムの手が腰の剣へ触れた。
意識していたわけではないだろう。
だが、その仕草だけで、この古びた剣が少女にとってどれほど大切なものか伝わってくる。
「……そうか。その剣の持ち主か」
「はい。この剣は、私が受け継いだ勇気の在り処です。決して負けません」
受け継いだ、勇気……。
アルルバはその言葉を聞いて、この剣の持ち主はおそらくもう、この世に居ないのだろうと察した。
だが彼はこの国境の領地を治める辺境伯だ。
その言葉が真実だと分かっていても、はいそうですかと事情も聴かずに納得するわけにはいかない。
故に、ホムホムの抱く想いと過去を感じつつも、再び問い質した。
「誰に仕えていた」
「私の主人公です」
「その者は今、……どこにいる」
「ずっと昔に、骨になりました」
カテリーナが息を呑んだ。
執務室に、重い沈黙が落ちる。
ホムホムの声は平坦だった。
悲しみを堪えているようにも聞こえない。
予想通りだと分かっていても、それがかえって、アルルバには痛ましく思えた。
ずっと昔……。
幼い少女がそう言うほどの昔に、仕えていた主を失った。
残された剣を抱え、身寄りもなく、粗末な服で町から町へ歩いてきたのだろうか。
あれほどの力を持ちながら誰にも属さず、一人で旅を続けていた理由も、亡き主のことを忘れられなかったからなのかもしれない。
アルルバの中で、まだ見ぬ悲劇が勝手に形を作っていく。
「そうか。もういい、分かった。……もうよいのだ」
出てきた言葉は、それだけだった。
これは何も知らぬ者が、安易な慰めを口にしてよい話ではない。
「悲しいのですか?」
ホムホムが尋ねた。
アルルバは問い返されたことに驚いた。
「お前の話だ。その主人は、もういないのだろう」
「骨です」
「ならば、お前も悲しいのではないのか」
ホムホムは腰の剣を両手で抱えた。
「悲しいです」
その答えだけは、すぐに返ってきた。
「目を覚ました時、私の主人公はもう動きませんでした。私は、それが悔しかったのです」
赤い瞳が、抱えた剣へ落ちる。
けれど、そこに沈んだ暗さはなかった。
「ですが、私の主人公は勝ちました」
アルルバは眉を寄せた。
「骨になったのにか」
「はい」
ホムホムは顔を上げる。
「私の主人公は、明日は来ると言ったのです。そして、その人が守ろうとした明日は、本当に来ました」
窓から差し込む日の光が、古びた鞘を照らす。
それはまるで、この世界が彼女の言う主人公の意志を、祝福しているようだった。
「空は青くて、町には人がいて、どの町にもパンがあります。私はいま、その人が諦めなかった明日を歩いています」
ホムホムは誇らしげに胸を張った。
「だから私の主人公は、負けていません。無敵です」
アルルバは言葉を失った。
少女の過去を、どこまで自分が正しく理解できているのかはわからない。
だが、少なくとも一つだけ確かなことがある。
ホムホムは死者に縛られて歩いているのではない。
亡き者が信じた未来を、この者は本気で生きている。
その剣は悲劇の名残であると同時に、少女が明日へ向かうための道標なのだろう。
「父上……。もう、よいのではありませんか?」
カテリーナが静かに口を開いた。
「私は、ホムホム様がそばにいてくださると、少しだけ……、明日を怖がらずに済むのです」
「それは、力があるからか」
「いいえ」
カテリーナは首を振った。
「それだけではありません」
ホムホムが騎士たちへパンを押し込み、皆を笑わせた時のことを思い出したのだろう。
カテリーナの口元に、作られたものではない笑みが浮かんだ。
「この方は、私たちが俯いていることを許してくれませんでした」
アルルバの胸がわずかに痛んだ。
娘が何を諦めようとしているのか、知らないわけではない。
なにせ、婚約は辺境伯家にとって重要だった。
国境を守るゼグラント家にとって、中央の大貴族との結びつきは、将来の安定につながる。
だがそのために娘の心が擦り減っていく様子を、父親として見ないふりもできなかった。
領主として正しい選択と、父親として望む選択が、同じ場所へ向かってくれない。
しかしだからこそ、きっと天はこの少女を遣わしたのかもしれない。
アルルバはこの時、不思議とそう思っていたのだ。
「ホムホム。お前は、なぜカテリーナの騎士になりたい」
「カテリーナが、私を騎士にしたからです」
「それだけか?」
ホムホムは考えた。
「騎士になれるのは嬉しいです」
「それもわかった」
「わーい」
「それも、恐らくわかっている」
カテリーナが口元を押さえた。
アルルバは咳払いをして、話を戻す。
「カテリーナを守りたい理由を聞いている」
ホムホムはカテリーナを見た。
初めて会った時、彼女は震えながらも騎士たちを心配していた。
自分のために無理をさせてしまったと謝り、好きなものを好きだと言えないと笑った。
その時のことを思い出して、ホムホムはやはり思うのだ。
「あの時のカテリーナは、負けそうな声をしていました。私は、それが嫌なのです。だって、それは悔しいでしょう?」
ホムホムはいつもと変わらない顔で言う。
だがその言葉にだけは、どこか自然と感情がこもっているように見えた。
当然だ。
だってそれは、兵器として製造されたホムホムに初めて宿った、人の心なのだから。
「カテリーナが笑った時、騎士たちも笑いました。カテリーナが俯くと、騎士たちも俯きます」
アルルバは黙って聞いていた。
娘を自然な形で笑顔にできないことが、父として不甲斐なく。
そしてそれを可能にするホムホムの意志が、何よりも正しいと思ったからだ。
「だから私は、カテリーナを負けさせたくありません」
「ならば……。娘が騎士としてのお前へ、命令をしたらどうする」
「聞きます」
「どのような命令でもか」
「いいえ」
ホムホムは迷いなく首を横に振る。
カテリーナが驚いてホムホムを見る。
執務室の隅に控えていた騎士隊長も、わずかに眉を動かした。
「主の命令に従わない騎士を、私が認めると思うのか」
もうホムホムをどうするかなど、その心は決まっているというのに。
まるで試すようにして、アルルバの声が低くなる。
「カテリーナが、自分の明日を諦める命令なら聞きません」
「たとえ、それがゼグラント家のためであってもか」
「はい。カテリーナが明日を諦めるような家ならば、ホムホムが壊します。私は、カテリーナを負けさせない騎士です」
そこに、迷いは一度もなかった。
同時にカテリーナが目を伏せる。
唇を結び、何かを堪えているのだ。
アルルバはそんな娘を見て、それから、ゆっくりとホムホムを見る。
領主として考えれば、これほど扱いにくい騎士はいない。
家の決定より、主本人の明日を優先する。
命令へ疑問を持ち、必要なら逆らうと、雇われる前から宣言している。
だが父親として考えれば……。
娘が自分すら見捨てようとした時、そばで止めてくれる者がいる。
それは、アルルバ自身が欲しながら、娘へ与えられなかったものだった。
「正直なところ、情報だけみればお前を信用してよいのか、まだ判断できん」
アルルバは椅子から立ち上がった。
「当然だろう。出自もわからず、常識も怪しく、五十三体の魔物を一人で倒す。おまけに私の騎士たちへ、無理やりパンを食わせる」
「勝利のパンです」
「本人の同意を得てから食わせろ」
ホムホムは我が意を得たりと頷くが、本当にわかっているのか、不安が残る返事だった。
しかしだからこそ、だ。
「だが、そんなお前がカテリーナを救ったことは事実だ。騎士たちも、お前の力と行いを認めている」
アルルバは机の前を回り、ホムホムの正面に立った。
近くで見ると、やはり細い少女にしか見えない。
だが赤い瞳は、まっすぐこちらを見返している。
「故に……。カテリーナ。お前が望むのなら、ホムホムをそばへ置くことを認めよう」
「父上……!」
「ただし、すべてを任せきりにするな。お前自身も、この者が何者なのかを知っていかなければならん」
「……はい! はい、父上!」
カテリーナは嬉しそうに目に涙をためて頷いた。
そしてアルルバは改めて姿勢を正し、なぜかもう勝利の宴とばかりに、ばんざいしているホムホムを見た。
「ホムホムよ」
「おういえ」
「ゼグラント辺境伯アルルバ・ゼグラントの名において、お前をカテリーナ付きの専属護衛騎士として認める」
ホムホムの赤い瞳が見開かれた。
「ついに正式ですか?」
「少なくとも、ゼグラント家においてはな」
ホムホムはばんざいをさらに進化させ、両手を空へ突き上げた。
「わーい」
やはり声に抑揚はない。
しかし白い服の裾を揺らしながら、その場で左右へ体を振り始める。
それは街道の畑で一面に揺れている、黄金の小麦のようであった。
アルルバはその様子を眺め、隣の娘へ顔を向けた。
「これは喜んでいるのか?」
「かなり喜んでいます」
カテリーナの答えに、部屋の隅に立っていた騎士隊長も頷いた。
そうしてホムホムは喜びの揺れを終えると、カテリーナの隣へ並んだ。
腰の剣を両手で抱え、これまで以上に誇らしげに胸を張り、窓から差し込む夕焼けが強くなる。
それは正式に騎士になったホムホムの門出に相応しい、世界からのエールのようであった。




