組曲「惑星」
月読様が、別館で暮らすようになって、何日か経った頃.
広い部屋、中央に、たたみ一畳分の狭い居住空間.
月読様は起床すると、布団はきちんと、部屋の隅にある、押し入れに片付ける.
半畳分のスペースに机を置き、きちん正座して、学問をされる.
ずっと書物を読んでおられる.
ふと廊下から子供たちの歌声?
たえなる音曲?とは言い難い.しかし、魂をその底から揺さぶるような、
鼓動?
「ず、ず、ず、ずズズズ、ズ、ズ、ズ、ズズズ、ズーン、ずん、ズン、ズーン、ズーズン・・・・」
子供たちは歌に合わせて、足を踏み鳴らして歩くがごとし.何という音曲やら・・
「ううん、わしにはわからん・・」
子供の歌う声と足音が月読みの部屋の前で、パタリと止まった.
トントン、とドアをノックする音.
「うむ、たれか?」
「あいちゃんでしゅ、つちよみちゃま、お部屋のお掃除していいですか?」
「おや、もうそのような時間か・・・入りなさい・・・」
最初は恭しく、そして、月読様がしずかに書物を読まれている部屋の中央に子供達の行列が粛々と進む.初めは無言、そして段々と、足音と、声が大きくなり、廊下で口ずさんでいた、音曲を口ずさむ.
「ず、ず、ず、ずズズズ、ズ、ズ、ズ、ズズズ、ズーン、ずん、ズン、ズーン、ズーズン・・・・」
「?」
「ず、ず、ず、ずズズズ、ズ、ズ、ズ、ズズズ、ズーン、ずん、ズン、ズーン、ズーズン・・・・」
「汝ワラワども、その方らが口ずさむ、その音曲はなんぞ?」
「あ、月読様、これはね、ホルストっていうイギリスの音楽家が作曲した、
惑星って曲らしいよ」健ちゃんが答える.
「惑星の中の、火星って言うんですよ」海丸くんの補足説明である.
「英語では、マルスって言うんです.マルスって、僕のお父さんのアレスのことなんですよ、すごいでしょ!」アンテロスが、珍しく子供っぽく、お父さんの自慢である.
「ず、ず、ず、ずズズズ、ズ、ズ、ズ、ズズズ、ズーン、ずん、ズン、ズーン、ズーズン・・・・」
「ほお・・・」
「ず、ず、ず、ずズズズ、ズ、ズ、ズ、ズズズ、ズーン、ずん、ズン、ズーン、ズーズン・・・・」
「アレス殿はこれすなわち、いくさの神、マルスというは、とつ国の、いくさの神か?」
「そうだよ、僕のお父さんのアレスは本当は戦争好きじゃないんだけどね.戦争の神様、ギリシャではちょっと嫌われ者、でも軍事国家のローマでは、一番人気の神さまなんだ・・・」
「しかし、なんとも勇壮な.その方ら、その音曲をどこで学ぶ?この屋敷には、神楽の上手がおるのか?」
「?」子供達一同キョトンとしている.
「あ、こういう音楽、今は、皆、CDで聴けるんですよ.パソコンでも聴けるし・・・」海丸くんが教えてくれる.
「お掃除終わったら、月読様も聞きますか?図書室に音楽聞けるところがありますから」
「ほお、それは面白そうだ.してその方ら、あちこちの部屋をそのように音曲を口ずさみながら、回っておるのか?どうであろう、わしにも手伝わせてくれぬものか、
じっと正座して書物を読んでおると、足腰が鈍りそうなのでな」
はいはい、と静香が、頭巾とマスクと、襷を貸してくれた.足袋が汚れないようにと、足カバーも用意してくれた.
「おおお!」月読様もなんと掃除部隊に参入である.
「なかなか、お似合いですね・・・」愛ちゃんと健ちゃんのママがなんか、おかしくて吹き出しそうになりながら、褒めてくれた.
「さようか・・・・・」
月読様と、子供たちと、静香と、ママたちは誰かが住んでいる部屋を残らず掃除して回った.
箒とかはたきの使い方が悪いと月読命といえども、ははきちゃんの指導が入る.
「おお、そうか・・・」月読様はおとなしくこの、幼い女神の指示に従う.
一通りの掃除が終わって皆で揃って食堂で、お茶を飲む.
「して、いまし、海丸よ、先程の音曲、聞きたいのじゃが・・・」
「あ、そうでしたね、月読み様、図書室に参りましょうか」
海丸くんに案内されて、月読命は、図書室に初めて入った.
パソコンやら、テレビ、オーディオ機器が置かれている一角に行く.
「ほお、この前見た、幻燈はここにあるか・・・」
「はい、これがですね、さっきの、惑星なんですけど・・・・」
海丸くんは、ホルスト作曲 組曲「惑星」のCDをケースから出してきた.
CDでも聞けるし、YouTubeでも聞ける.
「レコードもあるんですけど、レコードプレーヤの針が、壊れたら代わりがないんですよね・・・・」と、この頃はレコードを聴く別館住人はいないらしい.
海丸くんは、CDを昔懐かしいラジカセにセットしてくれた.
説明書がある.
「なになに・・・・」
ホルスト作曲
組曲「惑星」
はじめは、解説を読まずに聞いてみた.曲の印象から、どの星の曲か・・・
第1曲 火星 — 戦争をもたらす者
Mars, the Bringer of War
不気味な5拍子のリズムで始まり、金管楽器と打楽器が激しく響きます.機械的に進軍する軍隊を思わせる、恐ろしい音楽.
「これが、僕のお父さんギリシャではアレス・・・ローマで言ったら、マルス.」アンテロスが、お父さんの自慢である.
「おどろおどろしげではあるが、実に勇壮な・・・」月読み様の感想である.
第2曲 金星 — 平和をもたらす者
Venus, the Bringer of Peace
火星とは対照的に、静寂と安らぎに満ちている.ホルンや木管楽器、弦楽器が美しい旋律を奏でます.
「ビーナスていうのは、うちの母ちゃん、アフロディーテのことだよ」キューピーも自慢である.
「うちの父ちゃんと母ちゃんが入ってるってすごいでしょ」
「ほお、いかにも、落ち着く・・・・」
第3曲 水星 — 翼のある使者
Mercury, the Winged Messenger
軽快で素早く、音が飛び回るように進む楽曲.
ギリシャ神話のヘルメス、ローマ神話のメルクリウス(マーキュリー)に相当する.
「へへへ、これはあっしのことらしいでさ」おや、ヘルメスいたの.
ハーデスの兜を脱いだヘルメスがちょっと照れ臭そうにしている.
水銀、容器から溢れて、流れて出てしまった!
ツルツル、あっちに逃げてこっちに逃げてなかなか捕まらない・・・
そんなイメージ.神出鬼没、捉え所のないヘルメスそのもの.
「素早く、あちこちに伝令して廻るそちにぴったりの音曲よの!」
「ははあ・・・」ヘルメスがなんか恐縮する.
第4曲 木星 — 快楽をもたらす者
Jupiter, the Bringer of Jollity
全曲中、最も有名.陽気で壮大な音楽の途中に、荘厳で美しい旋律が現れます.
「ほお、これは、ゼウスどの?」月読様が聞くと、
「その通り.でも月読様、なんでわかります?」
「いや、なんとなく、荘厳な中にも、ゼウス殿の陽気で、悪戯好き、人懐こく、そのくせ思いやりに満ちた、かの御仁の人柄が見て取れる.そしてどこか郷愁に満ちているというか・・・」
「へへ、なんか照れますね・・・・」
ルシフェルもいつの間にか皆と一緒に音楽を聴いていた.
第5曲 土星 — 老いをもたらす者
Saturn, the Bringer of Old Age
ゆっくりとした重苦しい歩みから始まり、やがて激しさを増し、最後は静かな境地へ.老い、時間、死、そして受容を連想させる深遠な曲です.
「サタンとはあっしが、地獄に追放されて、堕天使の王として、泥とか溶岩に塗れていた時の名前、なんすがね、なんかすっかり老後って感じすかね.ところがですね、綴をよくみてください、Satanではないんですよ.
Saturnってのは、あっしの親父のクロノスのこと、子供を食い尽くす巨人の神、サートゥルヌスのことらしいすね.」
なんと、クロノスのことも入っていたか.てっきりサタンは、ルシフェルのことかと思った.
第6曲 天王星 — 魔術師
Uranus, the Magician
不思議な呪文のような金管の動機から始まり、滑稽で奇怪な音楽が展開する.魔術師が踊り回るような雰囲気である.
「ウラノスは俺の爺様、親父と喧嘩して、ちん子切られたんだが・・・なんかそんな感じのイメージと音楽ちょっと違うかな.そもそもウラノスって神様、クロノスと喧嘩したこと以外はあまり知られていないなあ.本当はギリシャでは天地創造の時の天空の神様なんだけどね」
第7曲 海王星 — 神秘主義者
Neptune, the Mystic
静かで幻想的な音楽。終盤には舞台裏の女声合唱が加わり、次第に遠ざかって消えていく.宇宙の無限性を感じさせる終曲.
「海の神様のことなんですけどね.僕のお父さん、ポセイドン、のことなんでしょうけど.全然、イメージ違いますよね.」
興味深いのは、この作品が天文学の惑星そのものではなく、西洋占星術における惑星の性格や、人間の精神への影響を音楽で表現していることです.
なぜ地球と冥王星がないのか?
地球は、占星術で地上の人間を観察の中心に置くため、組曲に含まれていない.さらに冥王星は1930年に発見されたため、1916年に完成した組曲には登場しない.
ちなみに冥王星のPlutoは、ギリシャ神話のハーデスのことである.
ホルスト自身が、自作について語っているところによると、
「この組曲は、諸惑星にまつわる占星術的な内容によって暗示を受けてはいますが、けっして標題音楽ではありません.また、同じ名前の神話の神とも関係がありません.もしこの組曲に対するなんらかの手がかりが必要だとすれば、それぞれの副題で充分でしょう・・・・」
「ほお、そうなのか、それぞれの神々のイメージかと思ったが、音曲の鑑賞とは、奥が深いものよのお・・・・
それに、この前の幻燈といい、この音曲の機械といい、ここは、不思議に満ちておるな」
月読命が目を細めて楽しそうにしておられた.
「そういえば、ギリシャ・ローマの神話には、いろんな星があるし、神様の名前の星がたくさんあるのに、日本の神話、お月様と(月読み)お日様(天照)以外に星の神様っていませんね、なんでですか?」海丸くんが尋ねた.
「そういえばそうだな、日本では、あまり、星の神様っていないな」とルシフェルもいう.
ニコニコしていた月読み様の顔が少しだけ、曇ったように見えた.
「天津甕星・・・・・
最後までまつろわぬ、悪しき神々を束ねるもの、
星の神、
そしてかの、悪神ども、
やがて流星となり、降りきたりて、
地上に災いをなす
・・・・・・」
月読命は低く呟いた.




