アルテミス、いのちの野外授業②
健ちゃん・愛ちゃんのママが運転するマイクロバスは、ある高原の、登山口までやってきた.そこから先の山の中、車では入れないので、歩いて登るしかない.
マイクロバスを降りるなり、子供達は、わーと、坂を駆け登っていく.
「こーら、あんまり急ぐと、転んで、山から滑り落ちちゃうよ・・・」
アルテミスが後から追いかける.
「ほらほら、石がある、ほら、そっち、スズメバチがいないか気をつけて、茂みから蛇が出てくるかもしれないよ・・・」
アルテミスの忠告で、子供たちの足取りはちょっと緩む.
しかし、けんちゃんは拾った木切れで、行手を探りながら、右左上下に危険はないかと注意を払う.
愛ちゃんと、ははきちゃんは、アルテミスにピッタリ張り付くように、ゆるゆると歩く.
その後ろをアンテロスは、周囲に注意を払いながら、歩く.
その顔はちょっと強張っているように見える.
大年神様と、ママは、おばば様に付き添って後からゆっくり坂を登ってくる.
「あの、もし宜しかったら、私がおんぶして登りましょうか?」
大年神様は、おばばさまに申し出るのだが
「ありがとう、気を使ってもらって・・でもね、オリンポスの山、こんなもんじゃないから、私は大丈夫!ほれほれ・・・」とおばばさまは駆け足の真似をしてみせる.
「疲れたら、いつでも言ってくださいね・・」と健ちゃんと愛ちゃんのママも、いつでもおんぶしますよというように、おばばさまに背中を向ける.
大年神様は、優男風だが、ははきちゃんを担いで、広い別館の庭を折りに触れて走り回っているし、
愛ちゃんと健ちゃんのママ、見た目は優しい理想のママ風であるが、子供二人を小脇に抱えて、テーブルをひょいと、ハードルのように飛び越えることができると言う噂である.
一見おとなしそうな、この付き添いのPTAは、並外れた身体能力の持ち主であったのだ.
「でも、クマとか猪が出たりしたら、アウトですかね・・・」大年神様が不穏なことを言うと、流石のママの、体も一瞬ブルっと震え、その顔は不安にちょっと曇ったように見えた.
「ははは、なーに、クマやら、猪、どうってことないさ、クマって言っても、ツキノワグマだろ、ヒグマだって私、追い払ったことあるよ、猪なんか、ちょろいちょろい・・・」おばばさまは楽しそうに言うが、それが、虚勢なのか、本当にそう思っているのかは、大年神様にはわからなかった.
アルテミスがおばばさまのことをあまり構わないことからすると、その辺のことは大丈夫、なのだろうが・・・
おばばさまがライオンすら手懐けることを、大年神様もママも、噂でしか聞いたことはない.
なんでも、オリンポスのおばばさまの宮殿では凶暴なライオンが何頭も放し飼いになっているそうな・・・・
「おばばさま、くれぐれも、動物いじめないでね.
あたし、この山に出入りできなくなっちゃうから・・・」
前を歩いているアルテミスが振り返っておばばさまに注意する.
「はいはい、わかってますよ」おばばさまは孫の忠告を素直に聞く.
台地の上に広がった平原が所々ある.
坂の山道を登り切ったところ、木立のトンネルを抜けるとあたりは急に明るくなって
野原が広がっている.
今、野生の鹿たちの子育てラッシュである.
「わあ、鹿さんいっぱい・・・・」愛ちゃんが驚く.
「・・・・・・」ははきちゃんも、まんまるな目をさらに丸くして、言葉も出ない.
子供達は、しばらく、シカの群れを眺めている.
「ほら、見てごらん、あの小鹿、体に膜がかかってるだろ・・・・」
愛ちゃんにははきちゃん、健ちゃんとアンテロスは、アルテミスの指さした方を見る.
「あ、ほんとだ・・・」
生後、すぐか、1時間くらいまでの小鹿のようである.
母じかは、生まれたばかりの小鹿の体についた羊膜を食べている.
そして、全身を舐め回している.
「あ、あれ、お母さん鹿が、膜を食べている・・・」
「ほんとだ・・・」
「ほら、ああやってね、生まれた子供、羊膜ってんだ、あの膜をお母さんが食べてるでしょ、その後、濡れた体を舐めて、乾かしてあげるのさ・・・・」
「ふーん・・・・」
これはリッキングとか、プラセントファギーと言って、いわばシカの生存戦略であるらしい.
licking=母親が新生仔を舐める行動
placentophagy=胎盤などを摂食する行動
生まれたばかりの子供、身体中が羊水で濡れているから、体温低下の危険がある.
舐めて濡れた毛を乾かして体温低下を予防する.
出産に伴う、胎盤やら、羊膜、血液を食べて環境を清掃して、
さらに匂いを他の天敵動物にかぎつけられないようにするための行動である.
出産の痕跡を残さないと言う意味が大きい.
肉食動物に絶えず命を狙われる、草食動物の本能のようなものらしい.
「あ、あっちのこ、お母さんのおっぱい飲んでる、あっちのちょっと大きい子は、草を食べている・・・」
個体による違いはあるが、産まれてから1ヶ月を過ぎる頃から、乳離れをするらしい.
「あ、あそこ見て、今生まれそう・・・・・」
「あ、あっちも・・・」
出産のラッシュは落ち着いたものの、まだ、あちこちでシカのお産が見られる時期である.
愛ちゃんが、ちょっと離れたところで、苦しそうな声をあげているシカを見つけた.
「時間がかかってるね.なかなか出てこれない.難産みたいだね・・・・」アルテミスの顔も少し曇る.
「助けてあげないの?」ははきちゃんが心配そうに聞く
「野生の動物が産まれるとき、難産でもそれを助けないのが、掟なんだ・・・」
ははきちゃんが苦しそうに鳴き声をあげている母シカのところに駆け寄った.
「ははきちゃん、決して、鹿のお産を手伝ってあげたら、ダメだからね!」
アルテミスがやや厳しめの声をかける.
「わかってる・・・でも、ははき、応援してあげたい・・・」
ほうきを持って、ははきちゃんは、お産で苦しんでいる、母しかの元に行く.
愛ちゃんと健ちゃん、アンテロスもははきちゃんの後を追う.
母鹿は横になって涙を流している.
苦しそうに時々声をあげる.
新しい命は、体の一部が、出てきただけで、なかなか外に出られないらしい.
「がんばって・・・」ははきちゃんが母鹿に声をかける.
「アルテミス、ほうきで、お腹をさすってあげるのは?
応援するだけ・・・・
それならいいでしょ?」
アルテミスは黙って頷いた.
おばばさま、愛ちゃん・けんちゃんのママ、大年神様は少し離れたところで、子供達を見守る.
ははきちゃんが、シカのお腹を箒で優しく撫でる.
他の子達も、一生懸命、「がんばれ!」と母鹿に声援を送る.
母鹿の苦しそうな顔が、少し穏やかになった.
しばらくして、小鹿の体が半分出て、そして、完全に母鹿の胎内から
その姿を現した.
小鹿が、生まれた!
羊膜を被った、小鹿が、草の上にその小さな姿を横たえている.
「やった!!」
子供達は、拳をあげて、お互いに抱き合って小鹿の誕生を祝福する.
穏やかな顔の母じかは、生まれたばかりの小鹿の羊膜を食べ、その体を丹念に舐めている.
生まれてすぐなのに小鹿は自分で立ち上がろうとする.
誰も手を貸そうとするものはいない.
手を貸すことが小鹿に対する冒涜である、とでも言うように
よろよろと立ち上がっては、また転び、を繰り返し、
そのうち転ばなくなって、
小鹿は自分の足で歩き始める.
皆は、飽きることもなく、ずっとそのシカの母と子の様子を見守っていた.




