禊によって生まれた神々
『古事記』の記述である.
黄泉の国から逃げ帰ったイザナギ(伊邪那岐命).
禊の直前に発した言葉として記録に残っている.
「吾は、いなしこめしこめき穢き国に到りて在りけり.故、吾は御身の禊為む」
現代語訳では、
「私は、なんともおぞましく(醜く)穢れた国に行ってしまったものだ.
だから、私は身の禊をして(身体を洗い)清めよう」という意味になる.
伊耶那岐神が黄泉国から帰還して禊をする際に、
身に着けたものを脱いで化成した十二神.
禊をした場所は、
「筑紫の日向の、橘の、小戸の、阿波岐原」である.
身につけていたもの、穢れた着衣等を順番に脱ぎ捨てる.
「お、なんかストリップみたいだな」ルシフェルが言うと、
皆が、揃って露骨に顔を顰めた.
キューピーだけは、少しニヤリとした.彼も最初に古事記を読んだ時にそう思ったからなのだが・・・・
しかし、おじさんの(だいたいはルシフェルだ)こう言う不規則発言に対しては皆は返事をしない暗黙の合意になっている.
まず、持っていた、杖を投げ捨てた.
そこから生まれた神が、十二柱の神々.番号を最初につけると、整理の助けになるかも.
(大体において、AIや、感想を聞いた読者には、こう言う神々の羅列は嫌われる.)
1.衝立船戸神
日本書紀では、岐神と言われる.
パソコンでは、「ふなど」と入力すると、
最初に船戸と出る.その次に出てくるのが「岐神」である.
くなどと読まれることもある.「久那土」と表記されることがある.
「ここから先には来るな」という意味らしい.
分岐路に立つ神.この先には来るな.この道は間違っている.
道標の神ということか.
2.次に投げ捨てた、帯から生まれた神は、
道之長乳歯神.長い道を司る神らしい.
3.次に投げ捨てたのは、御嚢から生まれたのは、
時量師神.どういう神かは岩波文庫の「古事記」にはわからない、と書いてある.
4.御衣になれる神の名は、
和豆良比能宇斯能神.煩いの主の神?
5.次に投げ棄てる御袴になれる神は、
道俣神 ズボンが二股に分かれるから?道祖神なのかと思ったらそうでもないらしい.
6.次に投げ棄つる、御冠からは、
飽咋之宇斯能神.これも意味がわからないと岩波黄色表紙の、「古事記」の解説である.
7.奥疎神 (おきざかるのかみ)
左手の手纏.「たまき」、と読む場合と、「てまとい」と呼ぶ場合に若干のニュアンスの違いがある.前者は、装飾品であり、後者の場合は、足手まとい、手枷足枷のことになってしまう.
左手の手纏を投げ捨てて、生まれた神.
意味:「奥(沖合)」へ「疎(遠ざかる)」という意味を持ち、黄泉の国の穢れを沖合へ遠ざけることを表す.
8.奥津那芸佐毘古神 (おきつなぎさびこのかみ)
意味:「奥津(沖合の)」、「那芸佐(渚に打ち寄せる波)」、「毘古(男神)」を表し、沖の波打ち際を神格化した男神とされる.
9.奥津甲斐弁羅神
意味:「甲斐弁羅」は渚と沖の中間、あるいは領域の端や境界を意味し、沖合の最果てで穢れの再侵入を防ぐ境界の神と解釈されている.
左手が先である.そして左が沖、右は浜辺らしい.
同様に右の手から生まれた神々
10.辺疎神
(へざかるのかみ)汚れや禍事を遠ざける(へざかる)意味を持ち、波打ち際の境界を守る神.
11.辺津那芸佐毘古神.
「那芸佐」は渚に打ち寄せる波、「毘古」は男神を表し、渚の波を司る神.
12.辺津甲斐弁羅神
海辺(辺津)の防衛や海原の端を固める役割を持つとされる神です.
伊邪那岐命の身につけていたものから生まれた神、
最初の六神は陸路の神
後の六神は海辺の神
黄泉の国の汚れから、国を防衛する、結界を急ぎ、張り巡らしたということか?
陸と海辺に・・・・・
穢れた衣服に持ち物、投げ捨てて、さらにそれらを神として、新たな穢れの侵入を防ごうと言う思想だろうか.
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「上つ瀬は、瀬速し.下つ瀬は、瀬弱し」とのたまひて、初めて中つ瀬に堕り潜きて濯ぎたまうとき、なりませる神の名は、
八十禍津日神
次に、大禍津日神
この二柱の神は、その穢繁国(けがらわしきくに.穢れが繁く、多く頻繁と言う、頻度の問題か?)にいたりし時に、汚垢によりてなれる神なり.
次に、その禍を直し、元の正しい状態に戻すために
神直毘神と
大直毘神が生まれた.
そして、この直毘神たちと同時に、あるいは続いて生まれたのが伊豆能売神.
イズノメノカミ(伊豆能売神 / 伊豆能売)は、日本神話の『古事記』にのみ登場し、穢れ(けがれ)を祓い、災厄を正す役割を持つ女神.
「神聖で強い霊力を持った女神」という意味らしい.神聖な巫女そのものが神格化された姿ではないかとも言われる.
祀られている主な神社伊豆能売神を単独で祀る神社は非常に珍しい.以下のような神社で祭神として祀られている.
鳥屋神社(鳥屋崎神社)(宮城県石巻市)
加良比乃神社(三重県津市)
「現世のイザナギと、冥界のイザナミを結ぶ、菊理媛のような存在?」うみ丸くんの鋭い考察である.
「おお、そういうこともあるかもな・・・」ルシフェルも、最初はいつも通りで変なことを言ったが、皆が無視するから、まともなことを言うことにした.
つまり空気を読んだ.
ふざけた意見やコメントが、許される雰囲気でないという、空気.
そして彼の意見.
「生と死をそのまま、善と悪に分けてしまわない.そして表裏一体のように表すのはいかにも日本的な考えかもしれない.そして、その善と悪、そして、生と死の間を取り持つ、何かがある・・・・」
「死は必ずしも悪ではない、
しかし、生者が死者に触れることで穢れを背負うことになる.
死の世界の誘惑とでもいうのだろうか?それは違う、と思う.
死への恐怖?嫌悪?忌避?
死の世界に飲み込まれないためには、禊で穢れを払い、死の世界と生の世界の間には、明確な境界を定めなくていけない.
穢れの世界からの侵入から、この生けるものたちの国をなんとか防衛しなければと言う思想が生まれるのは、死を穢れとして理解して、それを忌避する思想の現れ、でしょうか・・・」海丸くん.優等生の答えである.
「そして、禍を、滅ぼそうとするのではない、生まれた、元は同じ、イザナギの大神様、いわば兄弟のような禍、はなっから、根絶しようという気はもうとうない.
禊いで、払って、直しましょう、何か、いかにも日本的.
悪があれば、善の方向に軌道修正
死があれば、拮抗する力で生の力を高めましょう
イザナミの死者の国、いわば穢れた国、こっちの仲間を1000人増やすというと
じゃ、こっちは一日に1500人仲間を増やす.
まあまあ、どっちもいい分はあるだろうけど・・・と仲を取り持つ菊理媛のおばさん」
「死は避けれれない.1日1000人の人がなくなる.
しかし、否定すべきことではない.
じゃもっとたくさんの人を生の世界に送り出しましょう、
1日に生まれる命は1500人!」
「これが、まさに、日本人の死生観?」
次に水の底に濯ぐ時になれる神の名は
底津綿津見神
次に底筒之男神
中に濯ぐ時に、なれる神の名は
中津綿津見神
次に中筒之男神
水の上に濯ぐ時になれる神の名は
上津綿津見神、
次に上筒之男神
底中上津の綿津見神は、大綿津見神とは別の神格らしい.
しかし、大綿津見神の娘である、豊玉姫が、綿津見神の神の子孫とされる、安曇磯良と同一視する物語もあるらしい.
安曇磯良は、綿津見神らの子孫である.安曇氏は、大和朝廷の海運を担う重要な一族で、あるという.
豊玉姫、大綿津見神の姫.そして、山幸彦、つまり火遠理命 /彦火火出見尊との間に、鵜葺草葺不合神を産んだ.
鵜葺草葺不合神の妃となった、玉依姫も、大綿津見神の娘.
鵜葺草葺不合命つまり、のちの神武天皇、神倭伊波礼琵古命ら4兄弟のお父さん.
筒之男神の三神は、住吉三神と呼ばれる.オリオン座の真ん中の三つの星を表すという説は、岩波文庫、黄色表紙の「古事記」の注の中に書いてある.
彼らの本質は、航海の指標となる神であったということなのだろう.
最後に、イザナギから生まれた神.
左の目を洗い生まれたのが、天照大神
右の目を洗い生まれたのは、月読命
そして、鼻を洗って生まれたのが、須佐之男命であった.
「すると、師匠は、イザナギの大神の末っ子ということになるんすか?」
ゼウスが本人に聞くと.
「まあ、記録上はそういうことになるのかな.そういえば、俺に弟妹いねえから、な.俺って末っ子なんか・・・」
当時の日本王家は、末子相続だったのだろうか?
ホデリ、ホスセリ、ホオリの三兄弟、結局地上を支配したのは、末っ子のホオリだったし、
神武天皇も4兄弟の末っ子だった.
「支配者の記録としての神話.
その中に、ちらりと歴史の真実が隠れている・・・・」
キューピーが、小さな哲学者、弟のアンテロス風に言ってみた.
大人たちは、みな
「おお!」と驚嘆と称賛の声を上げた.




