恩師のお宅にて②「不思議な予言」
若いドクトル、いつしか、恩師の楠本先生のお宅に自然に足が向くようになってしまっていた.
厚かましくも、よりによって、恩師、大先輩の家に入り浸り、である.
理由はいろいろある.
奥さんとお嬢さんの作る、美味しい料理
先生と、ご家族の家庭の暖かさ
いつでも、歓迎されること.家族のように迎え入れてくれること.
先生の書斎の膨大な書籍・・・
これらはもちろん重要な理由である.
しかし、一番大きな理由、
ドクトルが、診療とか、学問に行き詰まると、先生は何かしらの助言を与えてくれる.そして、不思議な予言で将来に希望を持たせてくれた、そんな理由からかもしれない.
時は、20世紀の終わり頃.
日本ではまだ、脳梗塞に対する、遺伝子組み換えtPAの使用が認められていなかった.
21世紀の初頭に(ではなくて、20世紀最後の年だったか・・)、一国の総理大臣が、心疾患由来の、脳梗塞で倒れた時、首都の中心にある大学病院では、tPAの使用が検討されたらしい.しかし、いろいろな事情により、使用は見送られたらしい.そして、発症数日で、職務継続が困難との理由で、彼は内閣総理大臣を辞職し、発症から、1ヶ月あまりのちに亡くなった.
前後の脳梗塞の治療の歴史.以下に示す.
これは退屈かもしれないから読み飛ばしてもらっても構わないと思う.
しかし、重要な、年表だと思うので、あえて残す.
1981年ヒトtPAの精製に成功.基礎研究段階
1982年遺伝子組換え技術によるrt-PA大量生産に成功.臨床応用への道が開く
1987年米国FDAがアルテプラーゼを急性心筋梗塞に承認.循環器領域で先行
1991年3月アルテプラーゼを急性心筋梗塞に承認.発症後6時間以内日本でも循環器領域から開始.アメリカに遅れること、4年.
1995年NINDS試験で、発症3時間以内の脳梗塞に対する有効性を報告.脳梗塞への本格導入の根拠.
1996年米国FDAが急性虚血性脳卒中に承認。発症3時間以内、0.9 mg/kg-米国では心筋梗塞より9年遅れ.しかし日本に先行すること、9年前.
2005年10月日本で急性期脳梗塞に承認。発症3時間以内、0.6 mg/kg日本では心筋梗塞より約14年7か月遅れ.脳梗塞に対する適応はアメリカに9年遅れた.
2008年ECASS IIIで3~4.5時間の有効性を報告 時間枠延長の根拠
2012年8月31日欧米では4.5時間以内が普及日本でも発症4.5時間以内の使用が保険適用実質的な時間枠延長
2013年2月「発症4.5時間以内」への一部変更承認、正式な薬事承認
アルテプラーゼ0.6 mg/kg、発症4.5時間以内が承認用法心筋梗塞ではprimary PCIが再灌流療法の中心
2015年以降、脳血管閉塞に対する、血栓回収療法の花盛り.
世界では、脳梗塞ではアルテプラーゼに加え、テネクテプラーゼも導入が進む
しかし、現在、テネクテプラーゼの製造販売に名乗りを上げる会社がなく、いまだに日本では、未承認、使用できないという事情がある.
しかし、日本の脳神経外科医、反骨精神というか、病魔の襲撃を手をこまねいて、見ているわけではない.
時は、1990年代の前半から中盤頃.
ドクトルが、大学を卒業して、数年経ってから.
ある出張病院.県庁所在地のある、大学病院から、北に、特急電車で、1時間くらいの古い城下町.
思い出の深い街である.
脳外科医は、3人(2.5人?)体制.部長と、週の前半だけ勤務の中堅の先生(週の後半は大学で実験をされていたらしい)、それとドクトルである.
ある日、救急で運ばれてきた患者.中大脳動脈末梢の閉塞.症状は、対側の麻痺だけだったと思う.
部長先生、ウロキナーゼ、6万単位、7本全部、つまり、42万単位を、生食に混ぜて、30分ほどで滴下する.
すると、なんと、患者の動かなかった手足は、動き始めたのだ!
心房細動由来の、塞栓症らしかった.
「おう、ドクトル、おめえ、病状詳記書くときには、脳塞栓って書いちゃダメだぞ.
ウロキナーゼはな、脳血栓症に、6万単位/日、7日間使っていいことになってるんだ.今のこの使い方馬鹿正直に書いたら、保険切られるからな!」
とにかく豪快な先生で、ドクトルはこの人には非常に可愛がられた?というか、薫陶を受けた、というか、鍛え、育てられた?
あるいは、一番ピンとくるのは、
「しごかれた」.
ある時、意識障害の60代くらいの女性.意識障害は、JCSで三桁.III -100〜200、瞳孔は縮瞳.すわ、脳幹、ポンス(橋)の出血?しかし頭部CTでは、出血は見られない.
「心房細動・・・」
「バジラー(basilar artery :脳底動脈のこと)詰まったか・・・」
「おう、ドクトル、これから、緊急でアンギオだ、用意しろい!」
(恐れ多くも部長先生の話し方、物語上の脚色で海賊の親分みたいにしております.実際はこんな喋りではありませんので念のため.本当はもっと紳士的で知的な話し方をされます.)
緊急アンギオ.
右の鼠径穿刺.着任してから、血管撮影、主にドクトルが任されていたから、この時にはすでに、かなりの数をやらせていただいて、検査には慣れかけていた、頃ではあった、のだが、なんせ、あの鬼・頭領、
「オラ、さっさとしろ!」と部長先生はとにかく急かす.
シースや、カテーテルをケースから開けて、ヘパリン生食を入れたトレイにつける.ヘパリン生食をフラッシュしたり、カテーテルとガイドワイヤーを巻いて、トレイに浸す.鼠蹊部を消毒して、シーツをかける、皆、滞りなく進む.
局所麻酔、穿刺、シースの挿入・・・
手の震えは多少あったが、一回でシースの挿入はできた.
18ゲージのサフロから顔を出している、ガイドワイヤー、サフロを抜いて、血が出ないように刺入部を圧迫して、ガイドワイヤーの尻尾を、シースの先端に挿入する.手が震えるとなかなかうまくいかないのだが、なんとかできた.
「ほらよ!」と部長が、カテーテルを持って、横に立っている.
シースが挿入されたと見るや、部長は、カテーテルをドクトルに手渡す.
(お前、撮影までやれ!)という無言の命令と理解した.
カテーテルを左の鎖骨下動脈、に挿入して、椎骨動脈の入り口を探して、ガイドワイヤーを左椎骨動脈にすすめる.
手押しで造影剤を流すと、
「やっぱり!脳底動脈の閉塞」
「よーし、ウロキナーゼ、解いてくれ、これを直接、動注するぜ!とその前に、トラッカーのマイクロカテーテルと、マイクロガイドワイヤーあったろ、それ出してくれ!」
慣れた看護師さん、マイクロカテーテルと、ガイドワイヤーを出してくれる.
「ほら、これを、5Fr のカテーテルから入れてな・・・」
みるみるマイクロカテーテルは、脳底動脈にまでたどり着く.
カテーテルとガイドワイヤーの操作は部長との共同作業.
そして、血栓の末梢を突き抜けた、ガイドワイヤー.マイクロカテーテルは、ゆっくり、ガイドワイヤーに沿って上に進んでいく.
マイクロカテーテルに造影剤を注入すると、脳底動脈を塞いでいる、血栓の末梢の脳底動脈からさらに後大脳動脈までが映る.
「血栓のちょうど真ん中あたりに、ウロキナーゼを注入するか・・・」
どれくらいの濃度を、どれくらいの速度で入れたか、ということは覚えていない.カルテには記載したと思うがそのカルテを見ることは今はできない.
楠本先生は、黙ってドクトルの話を聞いている.
「君、いい先生のところに出張させてもらったね.まあ可愛がってもらっているみたいで、結構結構」
「そうでしょうか?シゴキみたいな気もしますが・・・
この患者さんがくる前には、アウェイク(覚醒して、医者の会話の内容等がわかる)の患者さんの検査中、ちょっと手間取っていると、部長の怒号が後ろから飛んできて.
なんか患者さん不安になったみたいで・・・」
「先生、この検査やったことあるんですか?」と患者さんが心配そうにドクトルに聞いてきた
「いや、まあ、あの、心配はない・・・」
です!とは言えなかった.心配ない・・・と思いますと自信なさそうに、ボソリと言えただけだと思う.
脳底動脈閉塞の患者はそういう特訓の成果が、そろそろ出始め、ドクトルの心に、なんとなく自信めいたものが芽生え始めた頃にやってきた.
「結局ですね、脳底動脈先端部に血栓が残って、両側の視床梗塞で、患者さんは、高次機能障害が残ってしまいましたが・・・・」
「脳底動脈本幹の閉塞を解除しても、穿通枝の虚血は本当に、早くしないとどうしようもないですからね・・・」と楠本先生も嘆息するようにおっしゃった.
「脳底動脈の血栓は解けたからよかったものの、ウロキナーゼ、切れ味がいまひとつというか・・・」ドクトルが言う
「そう、循環器では、tPAが、80年代から使われているし、脳梗塞に対しても世界では、ぼちぼちと使われるが、日本ではまだまだ・・・」当時の先生の現状把握.
そう言えば、まだこの頃は、エダラボンもなかったな・・
脳の虚血、再開通までの時間のばしの意味で低体温療法も有望と思われていた頃だったと思う.
さらに先生の言われるのは、
「これから、日本にtPA入るのさらに遅れるでしょうね・・・・」
実際にその通りになった.日本で脳梗塞に対する、rtPAである、アルテプラーゼが使えるようになったのは、2005年から.
「あとですね、ガイドワイヤーで血栓の中突いて、血栓を潰して、ついでに血栓の内部にまでウロキナーゼを浸透させようと思ったりもしたんですが、うまくいきませんでしたね・・・」
ドクトルがいうと、
「ほら、理科の実験室にあった、ブラシ、ああ言うので、試験管掃除するみたいに、物理的に血管内の血栓取れると、いいでしょうけど・・・・」楠本先生の予言である.
その後、Merci Retrieverの螺旋状ワイヤー コルク抜きタイプの血栓回収デバイスが出たのは、2010年頃?
そして、ステント型の血栓回収デバイスや、吸引型の血栓回収カテーテル・・・
先生の予言というか、脳外科とか脳卒中の診療がこういう方向に向かうであろうという予測の正確さを示す、思い出の一つである.




