スピノザ①「イベリア半島からオランダへ」
イベリア半島の歴史・・・
711年、イスラム勢力は、西ゴート王国をイベリア半島から追いやって、半島の大部分の支配を確立した.その後、アッバース朝に追いやられた、ウマイヤ朝の勢力が756年から後ウマイヤ朝として半島を支配した.
イスラム勢力を半島から追い出して、キリスト教の支配する帝国を取り戻そうとした運動、それが「レコンキスタ」であった.
北部アストゥリアス地方にはキリスト教勢力が残り、そこがレコンキスタの出発点になった.
その過程でカスティーリャ、アラゴン、ポルトガルなどのキリスト教国の台頭.
後にカスティーリアとアラゴンはスペイン王国として統合した.
1492年のスペイン王国による、ナスル朝の首都グラナダ征服により、レコンキスタは完了し、イスラムの勢力は、イベリア半島から追い出された.
キリスト教世界と、イスラム世界の接点.イベリア半島のキリスト教勢力の最前線といっても良い、トレドでは、「12世紀ルネサンス」が始まった.
ギリシャの書物のアラビア語訳、アラビアの自然科学、文学、哲学を、せっせとヨーロッパの知識人の言葉である、ラテン語に翻訳した.
これらの学問を、ヨーロッパに伝える、大きな役割を果たした、学者の集団を、
「トレド翻訳学派」
と呼ぶ.
「イベリア半島の文化の歴史は結構、いろんな文化文明の接点、融合点になっていそうですね」海丸くんが興味を示した.
「そお、山川世界史、イスラム世界の記述の中で、(トレド翻訳学派)のことが出てきた時、少し、体が戦慄したのを覚えています」とドクトルはいう.
ドクトルが感じたのは、恐怖ではなくて、感動である.
「感動で震えた!」
少なくとも、ヨーロッパ文明の源流は、必ずしも、ギリシャではない.
途中で流れが合わさって入るかもしれないが.
西ローマ帝国はその末期から、ギリシャ文化の正当な後継者であることをやめている.
塩野七生先生によると「キリストの勝利」というやつである.
ギリシャ風の写実的な、オリンポスの神々の像は、手足をもがれ、顔を削られ、ドブに捨てられた.
ギリシャ、ヘレニズムの文化は、アラブというフィルターを介することでしか、西ヨーロッパの世界には入ってこなかったのだということを知った、感動かもしれない.
山川世界史には、中国で発明された、製紙技術(蔡倫は人類史上影響のあった、100人の中で10番以内に入っていなかっったっけ?)がヨーロッパに伝わる経緯についても書かれている.
イスラム勢力と、唐の戦争であるタラス河畔の戦い.
イスラムに捕らえられた唐の兵士から、学んだ製紙技術は、サマルカンド、バクダード、カイロと伝わり、シチリア島、イベリア半島経由で、13世紀にヨーロッパに伝わったということも書かれている.
「でも、翻訳によって、新しい技術、思想が伝わったということ、そういう言い方をしてしまうと、日本における江戸時代、長崎出島に伝わった、オランダ語の書物、そこから西欧の思想・科学を取り込んで発展した、日本の科学、技術、これは、日本人の思想ではなくて、元はと言えば、オランダの思想・・・」ということになるから、翻訳によって、思想のなんらかの焼き直しがされたという方が正しいかもしれない.」キューピーの歴史認識は正しいかもしれない.
「蘭学者」はトレドの学者と同じく、オランダ語の書物の翻訳からヨーロッパの先進文明を学んだ.
それは医学かもしれないし、化学、物理学かもしれないし、啓蒙思想だったかもしれない.
しかし、日本人は誰も、「蘭学」が日本文明文化の源流、とは言わないだろう.
「日本の伝統的な思想、文化が、長崎出島にもたらされたオランダはじめ、ヨーロッパの書物、文献によって、根本的に変化したということはないだろうから・・・アラビア語の文献を読んで、イベリア半島のキリスト教徒の学者たち、その伝統的な思想にまで影響を受けたということはないのではないでしょうかね・・・」
「それもそうか・・・」
海丸くんもドクトルも「うーん・・・」と考え込んでしまった.
大和心に漢心
和魂洋才
ヨーロッパの人々にも、キリスト心、ユダヤ魂に、ギリシャ才、アラブ才が注入されたということかもしれない.
シチリア島、イベリア半島、イタリア北部の自由都市を介して・・・・・
しかし、蘭学ー日本文明という上の論調で言うと、
現代ヨーロッパの文明が、ギリシャが源流とは言えなくなるのではないだろうか?
「古来の日本の思想、宗教観は、オランダの書物によって修正は加えられたかもしれない、しかし大きな変化を引き起こすものではない.イベリア半島のキリスト教と、ユダヤ教徒の思想、根本的には変わらない、しかし、アラビア語経由で入ってきたギリシャの思想は、彼らの宗教観に修正を加えるものであった可能性は・・・・」
海丸くんがいうと、
「ありうる、ね」とドクトル.
キューピーの方を見て言う.キューピーも頷く.
ヨーロッパのキリスト教世界、中心から少し離れた、イベリア半島、イスラムやら、古代ギリシャの思想が、入り込む.
そこに住む、キリスト教的、ユダヤ教的な、思想の根幹、みたいなものは、少しずつ、変容していったのではないかと考えるのは自然なことだと思う.
時は17世紀の前半.
グラナダ陥落から、1世紀あまり.ユダヤ人の多くは、改宗してキリスト教徒として生きるか、あるいは、宗教的に寛容な、ヨーロッパの各地に逃れた.
1618年から1648年、ヨーロッパには、30年に及ぶ大戦争の嵐が吹き荒れた.
その最中、オランダのアムステルダムのユダヤ人夫婦の間に、一人の男児が生まれた.
イベリア半島のユダヤ人、レコンキスタが完了後に、半島を追放されてオランダに逃れた、ユダヤ人の末裔.
オランダは元スペイン領.そして、1648年のウェストファーリア条約で国際的に独立国として認められた.
バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza [baːˈrux spɪˈnoːzaː]、1632年11月24日 - 1677年2月21日)
後に、デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた.
また、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらドイツ観念論やマルクス、そしてその後の大陸哲学系現代思想へ強大な影響を与えた.
スピノザの汎神論は後世の無神論や唯物論に強い影響を与え、または思想的準備の役割を果たした.
頭の良かった、彼は、ユダヤ教の「ラビ」として将来を期待された.
しかし、伝統から自由な宗教観を持ち、神を自然の働き・ありかた全体と同一視する立場から、当時のユダヤ教の信仰のありかたや聖典の扱いに対して批判的な態度をとった.
彼は、1656年7月27日、23才の時に、コミュニティから追放された.
狂信的なユダヤ人から暗殺されそうになった、こともあったらしい.
「なんと、日本が江戸時代、わずかに覗き見ることができたヨーロッパ、それはまさにこのオランダという国を窓口として可能だったことだ!」
海丸くんは、叫んでしまった.
「確かに!!」
ドクトルは静かに頷いた.
「考えてみれば不思議な話だね.スピノザを生んだ国が、日本には蘭学を伝え、
日本人が西洋文明を学ぶ唯一の窓にもなった.
文明というものは、一本道で伝わるものじゃない.
人から人へ、国から国へ、言葉から言葉へと姿を変えながら受け継がれていく・・・」
「そして、その日本こそ、汎神論の本家本元、全ては神々によってなっている国である!」キューピーがいうと
「おおお!」海丸くんもドクトルもついつい叫んでしまった.
「まあ、日本の八百万の神がみ、全ての自然がすなわち神である汎神論と、自然の事物の全てに神が宿ると言うアニミズム的な考えと必ずしも同じではないかもしれないのですが・・・」ドクトルは少しだけ歯止めをかけておく.
「しかし、以下のようなことが言えるのではないでしょうかね・・・」
今日の議論のまとめとして、ドクトルはいう
スピノザは、汎神論を唱えることで「無神論」と批判され、
日本人は、身に染み付いた汎神論的な世界観で、「無宗教」だときみ悪がられる.




