脳神経外科専門医試験
20世紀の終わり頃.某県立の大きな病院に勤めていた頃である.
ドクトルはまだ専門医試験の前.その病院にいる間に、一発目の試験.
筆記試験は、全項目で、A判定.教授に褒められた.
「いや、全項目A 判定、いやよくやってくれました、他の大学の教授たちに自慢できます.私は鼻が高いです」
筆記試験合格のお礼の電話を大学にかけた時、教授にはそのように褒められた、
ような気がする.
一ヶ月後に行われた、口頭試問、上司の先生方が、
「筆記試験が良ければ、、口頭試問なんか楽勝だろ.試験担当の教授と、世間話しておいでよ・・・」という感じで、あまり勉強をしないで、口頭試問に望んだ.
一人当たりの時間が、予想していたのより、やけに長い.
脳血管障害(くも膜下出血とか、血管腫とか、動静脈奇形とか)
脳腫瘍
外傷、小児、感染、脊椎・脊髄
と、三つの部屋で行われた.そのそれぞれが、1時間以上?
あれ、ちょっと様子がおかしいぞ・・・・・
最初の年は、そんな感じだったのだと思う.
血管障害
まず、くも膜下出血の頭部CTを見せられた.
「どこの動脈瘤かね?」
かの、「もやもや病」の命名者である、鈴木二郎先生と、一緒に疾患の概念をまとめた大先生がにこりともしないで聞いてくる.
ちなみにこの先生、ヘビースモーカーだったと思う.
脳腫瘍の勉強会かなんかで他の大学の先生にタバコをやめないことについて説教されていたと思う.
タバコの煙、もやもや、脳の血管も血管撮影でみるともやもや・・・
そういう話を聞かされたような気がする.
ドクトルは自身たっぷりに、「このCTでは、破れた、動脈瘤がどこかなんかわかりません.アンギオをしないと・・・・」
当時はまだ、今のように、3DCTAやら、MRAで動脈瘤は綺麗に写せなかったと思う.
くも膜下出血の原因動脈瘤を見つけるには脳血管撮影が必須だった.
ぎょろっと、大教授の目が光ったように見えた.今から思えば・・・
「いや、よく見てごらん・・・・」
「わかりません」
そこからあっさり、種明かし
「ほら、脳幹の傍から第4脳室の血腫が多いだろ、これは、VA -PICA だろ!」
「はあ・・・」
それから、実際の手術のことを聞かれた.
「手術をしたら、どんな、体位、皮切、開頭でどんなアプローチをするか・・・」
何に気をつけるか、ということをいろいろ聞かれたと思う.
大教授たちがこっちを睨みつけて座っている.受験者との間に、テーブルがあり、その上に、マネキンの頭と、赤色の皮膚ペンが置いてある.
おそらくまともな答えができなかったと思う.
血管障害、撃沈!
(世間話、ではないけどな・・・)もうちょっとどのように試験が行われるのか、そして、手術のこととか勉強しておくのだった、と後悔しても後の祭りである.
続いて、脳腫瘍
グリオーマの教科書を書いたりしていた先生だと思う.
この先生もにこりともしない.提示された画像は、頭蓋咽頭腫だった.
両側前頭開頭で、とってください.頭蓋骨を外して、硬膜が出ました、さあ、ここから硬膜を開ける時に何に注意してどんな処置をしますか?
「・・・・・・」
今ならわかる.SSSを途中で切るのなら結紮しないとダメだったり、嗅神経に気をつける、とか、大脳鎌をどう切断するか、前頭洞が、空いてしまったら、どうするか
そういう問題だったと思う.
当然ドクトルはまともな答えができなかった.
脳腫瘍も撃沈
最後の、外傷、脊髄・脊椎、小児
全てわからない.
後頭骨の頭蓋骨陥没骨折、骨片取って、洗浄して、皮膚、骨、硬膜まで綺麗にデブリして・・・
なんで答えられなかったのか不思議なくらいであるが、その時のドクトルはわからなかった.
脊髄と小児に至っては、どんなことを聞かれたか、ということすらわからなかった.
口頭試問、全項目撃沈で、当然、その年の専門医試験は、不合格.
出張で自分のいない、大学の医局会、教授は激怒されたらしい.
「ドクトル君、一体何をやってんだ!」と
一ヶ月前の、医局会、この時もドクトルは大学医はいない.
筆記試験の、結果を「いやーよくドクトル君やってくれました、他の大学の教授たちにも私は鼻が高いです」と言っておられたのに.
確か教授は電話でもそう言った趣旨のことで褒めてくれた、ような気がするのだが.
気のせいだったかな?
それを聞いた、後輩はドクトルのことに興味を持ったらしい.
「いったい、ドクトル先生とはどんな先生なんだ!」と.
その後大学病院で、一緒に仕事をすることになった先生がそう言っていた.
翌年、二回目の専門医試験.ただしこの時は筆記試験は免除されて、口頭試問だけ.
流石に試験前、「世間話をしておいで」とは言われなかった.
結構勉強した.
朝倉出版の「脳神経外科疾患の手術と適応」
なぜか、腰椎椎間板ヘルニアの項目を勉強して、全然ピンと来なかったという記憶しかない.当時大学からの脳外科の出張病院で、脊椎・脊髄外科を専門とされる先生はあまりいなかったと思う.
欧米の脳外科というか、「神経外科医」の手術の半分以上は脊椎・脊髄、末梢神経の手術らしい.
「神経外科」という学問を、「脳・神経外科」と呼ぶようになったのは、日本のオリジナルらしい.
大学、病院によっては、脳神経外科でも脊椎・脊髄、末梢神経の外科が得意な先生がいるのだが、いまだに少数?
日本の脳外科医の多くは、「脳」の手術がおもで、脊椎脊髄外科をあまりやらない、とされてきた.
最近でこそ、脳外科が、この分野に参入はしてきたとは言え、今でも整形外科の先生が、腰椎のヘルニアとか、頚椎の手術、脊髄の手術の多くをしている.
専門医試験の少し前、小さな病院で、整形外科のそれもなんと手の外科の専門先生が、いともあっさりと、Magealの手術をしていたという話、どっかでしなかったっけ?
その後、大学の医局でも脊椎・脊髄外科を専門とする先生、少しずつ増えていったのではなかったかと思う.
二回目の試験、
脳腫瘍、血管障害、一回目と違って、温厚な先生に当たってよかった.
脳腫瘍は何聞かれたっけ?
そつなく答えたのだろう、覚えていない.
血管障害は鮮明に覚えている.中脳の海面上血管腫だったと思う.脳表に顔を出している形だと思った.
同じような、画像を、出張先病院の検討会で見たことがある.
「さあ、このような患者さん、どうしましょうか?」
ニコニコと試験担当の教授は聞いてこられた
ここでもドクトル節炸裂.
「そうですね、大学に送ります.」
「いや、そう言わずに、先生がやるとして、ぜひやってみてください、ということで・・・」
「はあ、そうですか、側頭開頭、側頭下アプローチで、中脳に到達して・・・」
「側頭葉、引っ張る時、術前に何に気をつけて、どんな処置をしますか?」
「スパイナルドレナージをして、脳をある程度、凹ましてから・・・・」
「いいでしょう!」
小児、外傷、脊椎・脊髄の項目もあったのだろうけど、何を聞かれたか、担当の先生は誰だったっけ、それすらわから覚えていないくらい、本当に何もなく終わった、らしい.
流石に、二回目の試験は合格で、ドクトルは脳神経外科専門医の資格を頂戴することができた.
教授からは、褒められも、叱られもしなかった.




