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思い出のその向こう①「グリオーマ」


はるなの手術をドクトルがした?


ドクトルがまだ医者になって、10年目くらい.

恩師の1人の楠本先生が、レントゲンのフィルムも持って彼を訪ねてきた.

まだ、電子カルテで、画像を見れない時代である.


脳の、CTと、MRI.造影剤を使った画像もあった.

シャーカステンに並べられた、レントゲンフィルム、いまは昔のことになったかもしれない.


病変は、右の頭頂葉に見られる.

約5cmのリング上に造影される.まんまるととか楕円形ではなくて歪な形.

腫瘤の真ん中は、造影されない.壊死組織ということになろう.

腫瘤は、の周囲は、CTでは、低吸収域、MRIのT2強調画像、FLAIRでは、高信号を示す.浮腫のようだ.高信号は、大脳の白質から、脳梁膨大部を介して、左半球の大脳白質にも及んでいる・・・


当時、ぼちぼち普及し始めた、拡散強調画像では、造影される腫瘤の内部は高信号ではないから、膿瘍や、悪性リンパ腫ではないらしい.


「先生、画像を拝見すると、グリオーマでしょうか?それもかなりハイクレードに見えますが・・」ドクトルは、楠本先生に恐る恐る聞いてみた.

「どういった患者さんでしょうか・・・」


先生は、ボソリと、

「10代、女性、右利き・・・何ヶ月か前から左半身のしびれ感みたいなのはあったらしい.本人は何も言わない.最近になって、左半身の軽い麻痺・・・

頭痛や、嘔吐といった、頭蓋内圧亢進症状は、ない.

意識障害は清明と言って良い.

おそらく、非優位半球なのだろう、失語や計算障害もない.

失行のなさそう、だ

さあ、どう治療する?」


ドクトル、は、まだ、専門医の資格を取ったばかりで経験は浅かった.

それまでの、知識と経験を総動員して答えた.

まだ患者が誰かはわからない


「腫瘤の造影される部分を、可及的にとって、T2高信号の部分も、機能障害のない範囲で摘出した後、グリオブラストーマや、アナプラスティック・アストロサイトーマなら、術後化学療法と、放射線治療、でしょうか・・・」


楠本先生も大筋で同意してくれたと思う.

ただ、今から考えるとその意見は、不思議なことをおっしゃられていた気がする.


「そう、今の医療水準で言えばそれが最良の治療だろう.そしてそれはこれから、20年先も恐らくは変わらない.そして、出来うる全ての治療をしても、2年でほぼ半数の患者はなくなっているだろう・・・」


先生がその時点から、20年後も予後は変わらない、という予言めいた発言にはその時は、あまり気にも留めなかったが、「大体、治療成績についてはそのように理解しています」とドクトルは答えた.


「それで、今回相談は、この患者の手術、先生にお願いしたいのですが・・・」

「え?先生、またなんで私なんかに、もっと経験が豊富で、腕の良い先生はたくさんいらっしゃると思いますが・・・・」


「実はね、この患者、私の娘なんだ・・・」


以前に先生のお宅に何度かお邪魔した時に、娘さんには会いしたことがある.大人しい感じ、そして奥さんに似て、可愛い女の子だった.


そのお嬢さん、ドクトルが結構お気に入りで、お宅にお邪魔すると、お茶を注いでくれたり、いろいろ世話を焼いてくれた.


「娘は、先生のことがお気に入りでね・・・」

「だからといって・・・先生、私、自信がありません」


「そう言わずに、頼むよ.私が、助手につくし、結果については私の家族は一切を受け入れる.もちろん、君の責任を追求するなんてことはしない.

妻もぜひ、先生にお願いしたいと願っている・・・」


「はあ、ですが・・・」


任せてください!と言い切れない自分は不甲斐ないと思ったが.

グリオーマ、手術の成否がその後の予後にあまり関係ないのでは?という意見が、当時ないわけではなかった.


手術で可及的に腫瘍を取り除いたとしても、T 2,FLA IRの、高信号、そこにも腫瘍細胞が、無数に流れ込んでいるのだ.


(ガーゼに染み込んだ味噌汁?)


同じ病気の手術標本、あるいは剖検例、大学の研究所には無数にあった.

研修を終えて、医者になって8年目くらいで、大学に戻った.

大学には、2年間在籍した.日雇いの医員である.


その2年のうち、半年間、神経病理学教室で勉強させてもらう機会があった.

週に一回、手術で摘出した、病理組織標本の検討がある.くらい部屋で、ペンライトを持って、教授に指名されたら診断を答えるのだ.前の日に実際のプレパラートを見ていないと絶対に答えられない.初日はそれを知らないで、答えられなかった.その後病理解剖の検討会、午後は、ブレインカッティング.それは毎週木曜日だったと思う.

その他の日は?豊富な、病理組織標本と毎日睨めっこである.

図書室には主要なジャーナルが揃っている.結構勉強したかもしれない.


月に一度のCPC:Clinico-Pathological Conferenceで、臨床担当として何度か、あるいは病理担当としても発表をしたこともあるにはあるのだが.


脳外科の教授に与えられたテーマが、浸潤した、グリオーマの細胞は果たして、増殖するかどうか?という問題だった.


手術の前にBrdUを静注して、とった手術切片で腫瘍と思われる、細胞周期S期の細胞の分布を見るとか、病理切片をKi-67(MIB-1)染色といって、細胞周期に入った細胞を検出して、その割合をLI :labelling indexとして算出して、どれだか分裂の盛んな細胞があるかという、ことが盛んに検討されていた.


それには細胞周期のことがわからないとダメかと考えて、色々勉強した.

すでに、何十年前から、そう言ったテーマで腫瘍の増殖能を研究した仕事はたくさんあった.


フローサイトメトリ:FCMという方法を使うと、細胞周期、G0,G1S G2M期の細胞の割合を、算出することができた.しかしこの方法だと、腫瘍細胞を単離して、細胞核のみを取り出した、single cell suspensionを用意しないとダメである.

細胞浮遊えき、二本鎖DNAをPI (プロピジウムヨーダイド)で染色して、細胞核一個あたりのDNA量から、から、細胞周期の各期の細胞の割合を算出するというものである.

PIの発する、蛍光の強度が詰まり、DNA量なので、細胞を特定の周波数の光でスキャンして、発したオレンジ色の光の強さを測定することでDNAの割合がわかるというのが仕組みである.しかしFCMは、単離した細胞を、その都度流してしまうので、細胞がどのような形をしているか、形態学的な検討ができない.


ちょうど当時オリンパス工業から、FCMと同じ原理で、細胞内のDNAの量を検出する装置が販売された.プレパラート上に塗抹した、グリオーマ細胞の単離、単層の裸細胞核をPI染色して、その細胞を一つ一つに特定の周波数の光を当てて、発する蛍光強度から、その細胞の DNA量を測定しようというものである.顕微鏡で見る細胞の形態を見ることもできる.DNA量のヒストグラムの、細胞を選択すると、プレパラートが動き、その細胞の形を観察できるのである.周期のあるphaseの細胞の形態も見ることができるという方法であった.この方法だと、破砕された、核の断片を除外することができるので、なかなか良い方法であったと思う.


結局大学にいた2年で、形になろうはずはなく、データだけ、大学の教官の先生に丸投げして10年以上たってから論文にしていただいたのだが・・・・


いろんなことが分かればわかるほど、わからないことが増える.

そうこうするうちに、これまでの脳腫瘍の診断は、病理組織所見ではなくて、分子診断になり、ドクトルには手の届かないところに行ってしまった感じがあるのだが.


楠本先生にお願いして、一度患者さんに合わせていただくことになった.


四人部屋の病室、右手奥の窓側.彼女は、背もたれを起こして、本を読んでいた.


小さい頃にあった、お嬢さん、大きくなられた.顔を見れば、わかった.

お嬢さんの方も、ドクトルのことを覚えていてくれた.


挨拶をすると、お嬢さんはニコッと笑って、診察に応じてくれた.

右利きで、言語機能に関する異常は見られなかった.

左の麻痺があるのは、おそらく、皮質下から放線冠の方に伸びる、浮腫の影響だろう.麻痺は軽度である.高次機能の障害はなさそうだった.これは先生のおっしゃる通りであった.


「わたし、このまま、死ぬわけにはいかないんだ・・・だってお父さんと、お母さんの面倒みなくちゃ・・・お兄ちゃんたち、ちょっと頼りないしね.

先生、手術してくれるの?だったら嬉しいけど・・・」


その日、家に帰ってからドクトルは、手術書を読み漁り、手術のビデオをいくつもみて、最新の手術の文献を読みあさった.


「私が悩んでも仕方がないか・・・」


翌日、ドクトルは、楠本先生のところに行き、

「お嬢さんの手術、私にやらせてください!」と恩師に申し出ていた.


「ありがとう・・・」恩師はドクトルにそういった.


「手術室の打ち合わせ、麻酔科とか病理の連絡は私がやっておくから.」


「ありがとうございます」

しかし、そうはドクトルは答えたものの病理の迅速の申し込み、永久標本の依頼書等は自らが記載した.










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