アトピー性皮膚炎
ドクトルは子供頃から医学部の学生まで、アトピー性皮膚炎で苦労した.というか、まあ、学生の時は自業自得と言って良い.
例によって内科の教科書の記載(朝倉書店の内科学 11版)より.
「アトピー性皮膚炎は、増悪寛解を繰り返す、掻痒のある湿疹を主症状とする疾患であり、患者の多くはアトピー素因を持つ.アトピー素因とは、気管支喘息、アレルギー性鼻炎・結膜炎、アトピー性皮膚炎のいずれかあるいは複数の疾患の家族歴・既往歴を有するか、IgE抗体を産生しやすい素因を言う(日本アレルギー学会 2013年)」ドクトルが読み上げる.
「じゃ、ドクトルは素因があったの?」ルシフェルが聞いてくる.
「弟が、アレルギー性鼻炎?姉や、母は、結膜炎だ、なんだと花粉の時期に言っていたような・・・ただ、今のように花粉症という言葉はあまり持て囃されていなかった気がします.家族に喘息の人は、私を含めて、いないと思います.皮膚のカサカサ、他の兄弟、両親にはなかったと思います」
「昔、 IgEをルーティンで測るなんてことなかったろうしな・・」とルシフェル.
「そお、皮膚科で採血の検査、されたことなんてなかったかな・・・」
「じゃ、素因、というよりも、環境?」海丸くんの質問である.
「部屋が汚かったからな・・・」
大学の3年目、教養から、学部に移るときに、街の中、医学部キャンパスの近くに引っ越した.それから学部の4年間、さらに研修医の1年間を同じところで過ごした.畳敷の部屋.カーペットをしていたかもしれない.あまり掃除機をかけるということはしなかった、となると、アトピー体質の患者、まずひどくなる.
子供の頃は、下腿の前脛骨部は、魚鱗癬のようになっていた.細かい鱗のように皮膚に網目の模様がある.
背中が痒いとき、ざらざらの壁に背中を擦り付けて、自分で掻く.壁の土がざらざらと下に落ちる.壁が剥がれる.
当然、親は子供を皮膚科に連れて行く.国鉄と阪急電車の向こう、市役所とか市民会館のあるところの近く.親父の自転車の後ろに乗っけてもらったのだろうな・・・
最初は、古い日本式住宅をそのまま医院にして感じ.小学生の頃はあまり行かなかったかもしれない.その後、何年かぶりにいったときには、駅ビルのビルの中に引っ越ししていたと思う.
小学生の3年頃?皮膚のただれがひどくなる.ただれたじゅくじゅくは、段々と拡大するし、家にあるステロイド(?だと思う・・・)軟膏塗っても一向に良くならない.海水浴に行く少し前のことだったと思う.これじゃ、海に入れないと、いつもの皮膚科に行った.
その眼鏡をかけた皮膚科の先生、年はいくつくらいだったのだろう?
チラリと見て、「じゃ軟膏出しときますね・・」みたいなことを言って、それで終わりかと思ったが、次にまた病変をじっくり見て
「・・・あ、こら、とびひや・・・・」
ガッツリと包帯やらなんやらを巻かれて、海に入ること、プールに入ること罷りならん、ということになった.
とびひ、伝染性膿痂疹というのだろうか.プールは何日くらい禁止なのだろうか?
内科の教科書によると、黄色ブドウ球菌性の時、まず水泡の形成が起こり、それが潰れてグジュグジュになるとある.連鎖球菌の時は、痂皮の形成がある.
文光堂という会社の出版の「皮膚病アトラス」には、黄色ブドウ球菌性だとだけ書かれていて、連鎖球菌性で腎障害を合併することがあるが本邦では稀であると記載されていた.大体1週間くらいでかひを形成して、ハンコンは残さずに治ると書いてある.そうだったと思う.ちょうど、海水浴の旅行に行った時、が罹患の時期である.
2週間以上治らない時には、天疱瘡を考えるべしと、皮膚病アトラスには書いてあった.もう40年以上前に買った本だ.
海水浴にはついていったが、自分だけ海には入れない.
拗ねて、泣いて親父に石をぶつけようとしている写真が確かあったと思った.
小学生にはきつい経験だったかもしれない.
中学、高校の時は皮膚症状で悩んだような記憶がない.適度に汗をかいて、運動して、何より、あまり自分の部屋にいなかったからかもしれない.
一年浪人してから、
北海道に一年
その後予備校一年、めでたく医学部に入った後、最初、教養の時の部屋はそれほどでもなかったのだろう.
学部の時のアパート.
「掃除をしないから、ハウスダストなんだろうかね・・・」
風呂に入って濡らすと多少は良い.
しかし乾くと痒みがひどい.堪らず、近くの、皮膚科の医院に駆け込んだ.
受診した時、自分以外の患者は見たことがなかった.だから、診察券を出したら、即自分の番で診察してもらえた.
赤外線の光線?なんかあったかい光を当ててもらって、その後、おそらく、尿素の軟膏を出してもらう.軟膏を塗ってもらううちはいいのだが、薬が切れるとまた痒み地獄が待っている.
「あまり行きたくないけどな・・・」病気がこんちしないというのは、患者が、医者に見切りをつける立派な理由になると思う.
「ちょっと大きめの病院に・・・」ということで、皮膚科の外来がある、大きな病院は、なんと県立がんセンター病院!
内服は何を出されたのだろうか?当時医学生だったはずなのに自分が出されたく薬の名前、覚えていない.覚える気もない.(検診センターなんかで、お客さんに内服薬を聞いても大体、わからない、という答えが返ってくる)
しかし、強力な、ステロイドの軟膏を出されたことは確かだと思う.
皮膚炎はたちどころに良くなり、私の生活の質は、劇的に改善した.以後、学生の間、再発はなかったのではないかと思う.がんセンターの皮膚科には、2回くらいしかかかっていないのではないか.
医学部を卒業して、医者になって、冬の間は、家に帰る時間がもったいないので、病院の手術室の風呂に入って、処置室のベットで寝た.看護婦さんが処置室に入ってくるのが、めざましがわりだった.
40を過ぎてから、またアトピーの症状?今度は、顔に皮疹.目の周りが痒くなる.
「あろうことか、私は顔面に、ステロイドを塗ってしまいました・・・・」
ある時、日中、太陽の光が霞むことに気がついた.
「なんだろう・・・」
夜は、霞が軽減する.鏡で自分の目を見ると、なんと瞳孔の中、白濁している
「ええ、白内障?」
それまでに、ステロイドの内服やら、放射線科で、血管撮影をやったり、散々目に悪いことしてきたからな・・・・
眼科の先生の意見は、「ステロイド性の白内障?」だった.
手術をして、良くなった.
目を擦ると、緑内障とか、網膜剥離になるぞとおどされた.
これは単なる脅しではないようで、眼科の教科書、白内障、網膜剥離、アトピー性皮膚炎が危険因子でるとちゃんと書いてある.
近眼は治り、近くが見れなくなり、老眼鏡が手放せない身になった.
視界が鮮明になったのはしかし福音だったのんだろう.
その後、アトピーの再発、少なくとも生活の質が悪くなるようなものはない.
おそらく、カーペットやら、畳の部屋に住まなくなったから、だと思う.
蕁麻疹と、アトピー、全く違う、ということを、医者になって30年以上経って初めて知った.
アトピー性皮膚炎は、皮膚のバリアの破壊が炎症を誘発するのが、発症の大事な機序であるのだということを初めて知った.
内科の教科書には、アトピー性皮膚炎の項、
「ヒスタミンのヒの字も書いてなかったからな・・・」




