東の果ての島国で
若き日のゼウスは、今でいう、ロシア領、ウラジオストクあたりから、日本海を眺めた.荒れた海のむこうに、神々のすまう、精霊の島があるというのだが・・・・
「この海、どうやって渡るか・・・」というのが当座の問題である.
飛行術は、まだ自信がない.
雷やら雨雲はなんとか発生させる方法は、会得しつつあるのだが、まだ自在にできるものではない.
「空を自在に行き来するなんて・・・」彼にはまだ無理だった.
船?地中海のクレタの近海のように穏やかではない.高い波がたち、大陸から島の方に向かって、容赦のない強風が吹いている.春先ですらそうなのだ.
筏を組んでいくか?
木をくり抜いて船を作るか?
当時の船にはおそらく甲板なんてものはなかったから、波を被って、船の底に水が入った途端に、転覆、沈没、という結果はおそらく明らかである.
ロシア際極東、最南端の海沿いの街から、海路日本列島というのは、日本海の一番、幅の広い部分のようである.ロシア領を北上して、そこから対岸、最短距離の北海道に上陸?
「いやー・・・」当時のゼウスにその選択肢はおそらくなかっただろう.
当時は、今のような、世界地図はない.
ならば、陸路で、朝鮮半島を南下して、そこから、
対馬、壱岐を通り、九州の北岸に上陸する経路が最も安全だろう.
少なくとも当時、そこそこの経験で、日本海を渡ろうとした場合、最も安全で成功の確率が高い経路というとそういうことになったのではないだろうか.
しかし、大陸からおいそれと渡ることのできない、この東の列島が、その「神秘」をより際立たせていたかもしれない.カラコルム山脈なら、陸続きだから、なんとか超えることもできるだろうが、この海、相当の難所と見える.
実際に、距離を見てみよう.
ウラジオストクー能登半島の輪島で、
ウラジオストク(ロシア) → 能登半島・輪島約 1200 km 前後
アテネ → レスボス島約 260–270 km
アテネ → クレタ島 約 330–340 km
アテネ → キプロス約 900–920 km
アテネ → アレクサンドリア(エジプト)約 940–950 km
穏やかに地中海で、海路で行くのと、あの荒れた日本海、しかもアテネとクレタの四倍近い距離・・・海路で行き来は当時では不可能であったろう.しかも、有史以来、日本海側の町や村と、大陸の沿岸都市の交易が、起こったという事実が皆無であることが、朝鮮半島南岸、島を伝って、日本海を渡るという経路が最も現実的なものに思わせる.
6度目の航海でようやく日本と功を果たした、奈良時代の鑑真和上、彼は、当時の朝鮮半島の王朝、新羅と日本に国交がなかったことにより、東シナ海経路を取らざるを得なくなり、何度も遭難したとのことである.
ゼウスが、朝鮮半島の南岸で、船をどうやって調達したか、わからない.あるいは、雷で、大きな木を真っ二つに割って中をくり抜いて、船を彼は自分で作ったかもしれないし、筏を買い取ってそれを使ったかもしれない.
彼のことだから、そこら辺はどうにでもなったのではなかろうか・・・
とにかく、青年ゼウスは、初めて日本列島に到達することができた!
大陸の砂漠から、黄砂が飛来する頃.そして、この島国には南からの風が吹き始める頃である.
そして、ゼウスが耳を澄ますと、これまでにどこでも聞いたことのない、歌声が聞こえた.
風に揺れた、鈴が鳴るような音・・・
耳を澄ますと、子供の声のように聞こえる
その声は、ゼウスに語りかけるように歌っていた
歌声?
「誰だい、私に話しかけているのは・・・・」
一つ一つは、小さな、そして弱い、精霊たちの声
そしてその力を結集した時、彼らは、その後の、ゼウスの無二の盟友となる.




