精霊のこと・・・ブラフマーの教えを改めて乞う
ヒマラヤで、体を鍛え、シヴァと色々議論することで、分かったことがある一方,
まだよくわからないこともある.
神は一体どこにいるのだ?
我々は確かに神だが・・・・
自分のうちなる、神とその力・・・
しかしそれだけでは、ベルゼブルの使った、精霊の力、どこから私の中に入り込んだ?
私のうちにある神の他にも神がある?
ソロモンの使った神々は?そもそもソロモンは人間だ.それが、使役する神はどこからきた?何に宿る神々だ?
「なんか、わからなくなってきた.神とは何か・・・」ゼウスが言葉を反芻している.
「まあ、自分のことがわからなくなるのは、大人に近づいた証拠かもしれないな・・」ヴィシュヌが言う.
「まだまだだな、ゼウス.またまだ、痛みが足りないから、神との合一ができないってことなのかもな.これからもういっちょ行くか?ヒマラヤの修行・・・」シヴァが言うのだが、そんなことをしたらわからないことがますますわからなくなりそうだ.
「梵天博士、いったい我々の存在とはなんなのでしょう?神とは、なんでしょうか?」
梵天博士・ブラフマーは、漠然とした理論は難解だが、その言葉には重要な真理を含んでいるような気がする.
「おお、ヘラスの若いの、ワシに質問するとはなかなか修行の効果が出ておるな・・・」
そもそも、神とはどこにいるか?
その力の源は?
それが、そのように人間に利益を及ぼしうるか?
問題は多い.それについてもわしはまだ考察の途中だ、と言いながら、ブラフマーは、今わかっていることは、と言うことで、教えてくれた.
「そもそも、神は全てに宿る・・・」ブラフマーは続けて言うのは、
「人の魂は、ブラフマンである.そして、絶対的現実、普遍の神は生きとし生けるすべての存在の中に宿る.アートマン(魂、我)はブラフマーであることと同等であり、ブラフマーの様々な顕現であることと同等である.つまり、汝はブラフマーである.汝はヴィシュヌである、汝はシヴァである、そして汝はゼウスであり、汝は全てである」
ブラフマーがヴィシュヌもシヴァとともに描写されている最も早い段階の記述は、紀元前10世紀の後半に編纂されたと考えられるマイトリー・ウパニシャッドの5章に見られる.クツァーヤナ賛歌(Kutsāyana)と呼ばれる5章1節にこれら3神が触れられ、その後の5章2節で説明が展開されている.
汎神論をテーマとするクツァーヤナ賛歌は人の魂をブラフマンであると主張し、その絶対的現実、普遍の神は生きとし生けるすべての存在の中に宿るとしている.
「普遍の神は、生きとし生けるものの全ての存在の中に宿る・・・・」ゼウスが呟く.
「梵天博士、それを学ぶのは、生きとし生けるもの全ての存在の中に住まう神々を感じるのは、どうすれば・・・・」
「生きとし生けるもののすべてと、語らうことじゃよ・・・しかし、イスラエルも、ペルシャもヘラスも、そしてこのインドも、全ての存在に住まう、神々は、寡黙じゃ.精霊の神々たちのおしゃべりな声が聞きたければ・・・・」ブラフマーがすこしだけ間を開けた.
「聞きたければ・・・」ゼウスだけでなく、ヴィシュヌとシヴァも、ブラフマーをじっと見て答えを促した.
「東の国のその先の地の果ての、そのまた先の海の上、オケアヌスの入り口に浮かぶ島国に行くしかあるまい・・・・」
「その途中に濁った川の文明、そして、東の地の果ての、島国・・・・」
ブラフマー・梵天博士に教えを乞うた数日後・・・・
インダス川の辺り、二頭のラクダとゼウスは、インドの神々に見送られて、東に向かう旅を続けた.




