麦酒は黙して育ち、黒船は町を睨む 其ノ拾捌
喜兵寿と直を乗せた小舟は、静かに海へと滑り出した。砂浜では、村の男たちが大きく手を振っている。その後ろで老人は、すでに背を向けていた。
「帰りにまた寄れ」
足を引きずり、背を丸めて歩くその背に、「ありがとなー!じいちゃん!」と直は声を張り上げた。
夜の海は不思議だった。あたりは月明りのみ。真っ暗な中を、さぶん、さぶんと櫂の音だけが響く。
「……なんか怖えな。うっかり落ちちまいそうというか、引きずり込まれそうというか……」
船べりから、直は恐る恐る水面をのぞき込む。堺へ向かう道中、幾度となく船で夜を迎えたが、そのとき乗っていたのは大きな樽廻船だった。いまの船は、それとは比べものにならないほど小さく、頼りない。海との距離が、やけに近い。
不安そうな直をみて、船を漕ぐ男が豪快に笑った。
「なんて顔してんだ。安心しろ、俺がちゃんと連れて行ってやる」
男は空を見上げて、目を細めた。
「この風なら、浦賀まで三刻くらいってとこだな。昼前には着くだろうよ」
「恩に着る。この借りは必ず」
喜兵寿が頭を下げると、男は再び笑った。
「いいってことよ!その代わり、酒の件はよろしく頼むな」
「もちろんだ」
3人を乗せた小舟は、波間をすべるように、浦賀へと向かっていった。
――
黒船での宴は、時刻通り開始した。
乗り込んだ村岡は、目に飛び込んできた内装に、思わず眉をひそめた。悪趣味としか言いようがない。
壁には絵画や地図が隙間なく掛けられ、灯りはやけに明るい。そして足元には見慣れぬ敷物が敷かれていた。それは目が痛くなるような朱色で、踏み込むたびわずかに沈み、足裏の感覚が狂う。なにもかにもが、頭が痛くなるようなものばかりだった。
それに。
村岡は奥歯を噛みしめた。
目の前の男たちは、いったいなんなのだ。やたらに大きな体躯。藁のような髪。耳に馴染まぬ言葉。噂には聞いていたが、これほどまでに異形とは。
こんな奴らのために、自分はあれこれ奔走していたのかと思うと、鳥肌が立った。
やはり、ここはこの国の「武」の力を見せるべきだ。びいるなんて、得体の知れないものを用意しなくて本当によかった。
村岡は姿勢を正すと、宴が行われる広間へと向かった。




