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剡旗伝  作者: 司弐紘
第四回 遺言屋は剡く
29/33

捌 翠燕と流李、再会す

「ああ、くそ! 逃げられた!! 何処に行った、郭甚任かくじんにん!!!」


 間違いなく無傷だ。土煙さえ切り裂くような大声で、翠燕すいえんはいきなり叫んだのだから。


翠燕すいえん!!!」


 流李りゅうりもまた大声で叫び返す。


「流李? 呂流李? やっぱりまだここにいたのね。大丈夫? 怪我してない? 偉門いもんの馬鹿に酷いことされなかった?」


 棍を振り回しながら翠燕が駆け寄ってくる。すると、身体は無事のようだが服はぼろぼろだった。翠燕こそ甚任に酷いことを……されてはいたのだろう。現にそれを見ている。


「翠燕! なんだ、そのなりは。俺には何にもさせてくれないくせに、何剥かれてやがる! 俺の乳は×××! あ××××! お前の×××に最初に突×××のは俺だぞ!!」


 同じように翠燕の惨状に気付いたのか、偉門が耳を覆いたくなるような卑猥な言葉を並べ立てながら、翠燕目指して顔を真っ赤に染め上げた流李の横を駆け抜けてゆく。


 限りなく最悪。班等魏礪フラギレ相手の指揮振りを見ていなければ、即座に人間失格の烙印を押してしまうところだ。なるほどこんな調子で迫られては、翠燕ならずとも遠慮したくなる気持ちはよくわかる。


 その翠燕は、近づいてきた偉門に脳天、水月、金的へと華麗な棍の三連撃を決めて、強制的に黙らせると、再び周囲を圧倒するような大声で、


公嵯こうさ! 究志きゅうし! あんた達の大将が馬鹿やる前に着る物持ってきなさい!!」


 公嵯こと裴敦はいとんはこの場にいないが、不幸にも居合わせてしまった究志こと欧練おうれんが班等魏礪の襲来を知った時よりも慌てた様子で、土煙が収まりつつある陣地の中を右往左往。やがて、どこからか一揃いの軍服を持ち出して、翠燕の元へ向かった。


 翠燕は気を失っている偉門を連れて行くように欧練に命じると、流李を手招きする。


「流李、ちょっと壁になってて」

「おい、まさかここで着替えるつもりか? なんて無茶を……」

「今だって、着ていないような物なのよ。すぐ済むから。それにこのままだと傷が……」


 と言われれば、流李にもそれ以上反論のしようがない。それに他に聞きたいこともあった。もちろん突然に城が崩壊した理由だ。


「ああ、それ」


 持ってきて貰った軍服に腕を通しながら、翠燕は面倒そうに答える。


「今のあの状態が、本当の姿だったのよ。甚任を通して、無理矢理あの形を留めてたみたい。あんな風に壊した方法とかは聞かないで。考えたくもないから」


 そう言われて改めて高景城――今はその残骸だが――を見てみると、どう見ても人間の力で破壊できる物とも思えない崩れっぷりだ。


「で、小癪にも偉門の馬鹿の策が図に当たって班等魏礪が蹴散らされたでしょ。それで甚任の気力が萎えたのを見計らって、散々に言い負かしてやったの。少し……そうね、ほんの少し下品になってしまったかしら」


 などと、ことさら上品ぶって微笑みながら、丈の合わない部分をたくし上げて紐で縛ってゆく翠燕。


「で、甚任が泣きながら逃げ出したら、あの通りよ。本気で死ぬかと思ったわ。さすがに死んじゃったら元も子もないし、それで逃げられたわけ」

「な、泣きながらか……」


 ほんの一瞬だったが、甚任に同情してしまう流李。


 そうこうしている間に、翠燕はどこから取り出したのか、いつもの赤い頭巾まで身につけた。さらに行李こうりを背負い、棍を二度三度と振り回し、動きやすさを確かめている。

 まるでこのまま旅に出るようだな――いや戦か?


 などと流李が思っていると翠燕は猫目を細め、笑みを浮かべながら流李をまっすぐに見つめてくる。


「改めて礼を言うわ流李。よく偉門に班等魏礪のことを知らせてくれた。陣に辿り着くのも簡単じゃなかったでしょうに」

「あ、ああ……そうだな」


 確かに思い返せば大変な苦労だった。左肩は今でも痛む。が、遠い過去の話のようにも思える。この二日間、偉門達と共に過ごした時間の方がよほど苦労をした。


 が、考えてみると自分がそれにつきあう必要はなかったのだ。

 何故、つきあったのか。

 それは多分、目の前のこの小柄な娘のせいだ。


「これは私からのお礼。あなたがずっと欲しがっていた物よ」


 翠燕は行李から掛け軸を取り出した。間違いなく「臨江林旗図りんこうりんきず」だろう。確かにずっと欲しがっていた物だ。だが、翠燕の事情を知った今、あの絵の持つ意味はわかる。


 翠燕があの絵を手元に置いていたのは、子供の頃の思い出にも似た風景だったからなのではないだろうか。

 それに……

 この絵を受け取ってしまうと、翠燕について行く理由が無くなってしまう。そして、それを残念に思っている自分がいる。


「偉門から私の事情を聞いたの? でも気にしなくていいわ。この絵は間違いなくあなたが私から勝ち取った物よ。それに言っちゃうと、その絵は時代が違うしね」


 そう言うと、翠燕は強引に流李の手に掛け軸を握らせた。


 素直に受け取るべきかどうか流李が悩んでいる内に草原を渡ってきた風が、城崩落に伴って舞い上がった土煙を押し流してしまったらしい。立ちつくす「夏」の旗。横たわる班等魏礪達の屍体と馬。


 そして次々と地面に座り込み、拳を膝の前に押しつけるようにして平伏してゆく兵士達。それは拝跪はいきという貴人を出迎える礼の一つだった。


 皇帝の前だと叩頭という最上級の礼を持って応えなければならない。拝跪はそれに次ぐ礼で、泰帝国においてこの礼を受ける資格のある物はわずかに三人。


 皇太子、潮潤湛ちょうじゅんたん太保たいほ湯道とうどう


 ――そして隼王、潮獅訓ちょうしくん


 黄金の甲冑に身を包んだ男が悠然と歩きながら近づいてくる。

 あの皇帝――潮獅音の弟と言うことだが、随分と年が離れているらしい。


 外見上は三十代に見えた。恰幅の良かった兄とは反対に、切れ味の鋭い刃物のような印象を流李は覚える。


 鍛えられ引き締まった体つき、そして綺麗に手入れされた口髭。

 が、その瞳は一度も血を見たことがないかのように涼しげだった。

 今先ほどまで、班等魏礪達を血刀の下に切り伏せてきたはずなのに。


 この矛盾を難なく内包してしまう潮獅訓。


 流李は“隼王”の恐ろしさを肌で感じた。


 その隼王の背後には二人の男性。一人は見た顔だ。隼王府に班等魏礪来襲を伝えに出た裴敦はいとん。もう片方は裴敦をそのまま年を取らせたような容貌の持ち主。


裴譜はいふ閣下だ。隼王殿下、というよりも泰の軍師様だ。敦はその息子だからな。横車を引かせて無理矢理報せを伝えるには最適ってわけさ」


 いつの間にか復活していた偉門が、流李の疑問に答えてくれた。その偉門もまた拝跪していた。流李も慌ててそれに倣う。

 そんな二人の頭上に、声が降ってきた。


「偉門、よくぞ保たせてくれた。お前に対する恩賞を考えただけで、譜がしかめ面になるぞ。お前には心地よいことだろうな」

「私一人の手柄ではございません。戦い抜いた兵士、そして死んでいった兵士達にも十分な恩賞を。彼らは天華の盾となったのですから」

「無論のことだ。たとえ隼王府の財庫、その底が見えようとも――こちらが呂流李殿か?」

「はい、殿下」


 裴敦の声がする。


「流李殿、顔を見せては下さらぬか。泰の、いや天華の恩人の顔を知らぬままとあっては、隼王の名にすたる」


 流李はおそるおそる顔を上げた。

 隼王の、優しげな瞳がまっすぐに流李を見つめていた。


「よくぞ、危機を知らせてくださった。しかも男でも逃げ出しかねないこのように過酷な戦場にあって、良く踏みとどまられた。この隼王、いかにして貴殿の勇気と行為に報いるべきか、すぐには思いつくことが出来ない」


 その気になれば泰全軍を指揮できる男の声が、自分のためだけに放たれている。しかもその声が自分を賞賛しているのだ。流李は興奮のあまり、気を失いそうになった。


「……も、もったいないお言葉です」


 それでも流李は何とか返事をすることが出来た。隼王はそんな流李を見て笑みを浮かべ、そして翠燕へと目を向ける。


 それにつられて流李もまた翠燕へと目を向けると、そこには棍にもたれかかるようにして立ちつくす、翠燕の姿があった。

 流李の目が驚きに見開かれる。


 なぜ拝跪していない? ここにいるのは隼王という肩書きを除いても、一目で傑物とわかる男なのに。


 が、そこでさらに流李には信じられないことが起こる。


 隼王、そしてその背後の二人までもが一斉に翠燕の――夏翠燕の前で拝跪したのだ。


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