漆 隼王、班等魏礪を圧す
光の正体は武器が陽光を反射する光だった。しかし班等魏礪のものとは違う。星のように瞬く光ではなく、整然と揃えられたその光は、まるで河の流れのようにこちらに押し寄せてくる。
――それも班等魏礪のいるはずのない東から。
あれが待ち望んだ、隼王の援軍ではないのか?
穴の中の兵士達がそう希望を覚えた時、耳に馴染んだ天華の言葉が風に乗ってやって来た。
「殺」
その一字が、泰の兵士達の耳朶を打つ。明らかに不吉な言葉であるのに、泰国兵士達の心に希望が蘇ってきた。
迫り来る光の河の一団に泰の兵士達ばかりでなく、班等魏礪の兵士達までもが目を奪われてしまった。
聞こえる蹄の音、班等魏礪とは違い整然と行進してくる騎馬軍団。
掲げられた旗には、泰の国姓である「潮」の一字。
そして集団の先頭を一騎先駆けする、金色の鎧武者の姿があった。
その男こそ、天華に名高く、班等魏礪にさえ畏怖される希代の驍将――
――潮獅訓その人の姿であった。
遂にやって来た最悪の相手を確認してダヤンは思わず歯ぎしりした。が、その反面間に合った、と胸をなで下ろしてもいた。
すでに味方はややこしいあの陣を無理矢理突破して隼王が助けるべき部隊と混じり合っている。今は勢いよく突っ込んできているが、この状況を悟れば速度を緩めるしか無くなるだろう。
その横腹に痛撃を食らわせるべく、ダヤンは予備兵力の編成を命じようとした。
敵は戦場に辿り着く事を重視した為か、数で言えば一万に満たないだろう。無論、後続軍はあるだろうが、隼王率いるこの部隊を叩いておけば、後は高景城を基地にして泰軍など幾らでも叩ける。
しかしダヤンの目論見は、机上の空論で終わることとなった。隼王の部隊が一向に速度を落とさないからだ。
「馬鹿な!」
味方ごと、圧殺するつもりかと、ダヤンの碧眼が歪められる。自分達ならともかく天華の人間にそこまでのことが出来るとは思えない。だが、その時のダヤンの脳裏に浮かんだのは、「春」「夏」「秋」「冬」のあの旗。
あの旗に何か仕掛けがあったのか?
しかし、奴らに打ち合わせをするような余裕はなかったはずだ。
だが隼王には何処を攻撃すべきか、いや、
――何処を攻撃してはいけないのか、
それが明確に理解できていた。
それは後ろに続く自分の子飼いの兵士達も同じだろう。あの陣地には絶対に攻撃してはいけない部分がある。仕掛けたのは恐らく牙偉門。
その手段に厭味を感じざるを得ないが、今は火急の折。
素直にその智慧を褒め称えよう。
隼王・潮獅訓は抜刀し、高らかに叫ぶ。
「全軍全力突撃!! 夷共を蹴散らせ!!!」
それを合図に獅訓の背後の騎馬隊が三つに分かれ。獅訓を追い越して高景城にとりつこうとしていた班等魏礪の兵士達に襲いかかった。
泰軍騎兵の恐るべき衝突能力が、それを失った班等魏礪の騎兵に襲いかかり、なぎ倒してゆく。多くの班等魏礪の兵士達は目を疑った。
天華人には弱者に哀れみを持つような不抜けた種族であったはずだ。それが今、味方も何もかも委細構わずに突っ込んできている。
――何故だ!?
それは流李にも共通した思いだった。
だが、その思いはすぐにそこから別な疑問へと変わった。
何故攻撃されない? 何故味方はこの穴に落ちてこない?
「流李、胡月元帥を知ってるな?」
突然、偉門が話しかけてきた。胡月元帥は知っていた。次郎真君と同じように軍神で、地方によっては次郎真君よりも厚く信仰されている。
赤い髪に青い瞳という派手な出で立ちで立像も数多く作られていた。
「胡月元帥は元は人間だ。楼の初代にして唯一の大司馬大元帥、楼国軍の全てを率いて天華を平らげた胡想月将軍が神格化されたのが胡月元帥なんだ」
流李は眉をひそめる。なぜ、そんな話を今するのか?
「では、杜宣風、あるいは陸透洞主は?」
陸透洞主というのは知らないが、杜宣風というのはよく知っていた。
人々が困ったところに突然現れて、嫌味たっぷりに説教をするが、結局は助けてくれるという偏屈な仙人の名だ。仙人なのに青年の姿でたいそう見目麗しいらしく、子供達はもとより婦人方にもに人気があり、天華でその名を知らない物はまずいないだろう。
「これにも元がある。楼国初代にして唯一の大宰、杜薔のことだ。宣風というのは字だな。班等魏礪をも利用した大戦略を以て国を建てた元勲中の元勲だ。また楼国の法を整備したのもこの人で、これは泰の国法にも多く流用されている」
「あの、それが何か?」
たまらずに流李が問いただすと、偉門はそこで初めて顔を流李へと向けた。
「気付かないか? こんなに有名で、こんなに凄い二人はいずれも臣下なんだ。ある人物のな。誰かわかるか?」
わかるはずもない。が、今までの話からすると名前はわからないまでも、見当はつく。
「楼の太祖ではないのですか?」
「他の国の理屈ではそうだ。が、楼は特殊でな。本来なら血統を残すべき初代皇帝が、さっき言った二人と共に失踪しちまったんだ」
「失踪?」
「理屈はこうだ。古来、先祖の血脈を維持しているだけと言うだけで、それを拠り所に様々な暗君、暴君が生まれた。ならば国を管理する血統に“譲られたのだ”という負い目を背負わせれば、その血統は国を管理することを放棄することはないだろう。さらに建国者とその元勲が行方知れずともなれば、国を乱してしまった時に何時その血統が糺しに現れるか恐れることになる」
そう言えば翠燕が、同じようなことを言っていた。何時だったか……
そうだ「臨江林旗図」の説明をしている時の翠燕だ。それと同時に、あの絵の姿が脳裏に鮮明に浮かび上がってきた。そうだあの絵では……
「胡想月、杜薔、共にこの男に惚れ込んでその才能を縦横無尽に振るった。そしてこの傑物達を自在に使いこなしながらも、欲に執着することなく天華を去ったこの男こそ、天華でもっとも敬意を払われているんだ――その名も夏紅鷹」
そうだ、あの旗にも「夏」の一字が染め抜かれてあった。赤地に白抜きだったか。
「翠燕の本名は、夏翠燕。聖なる血統を受け継ぐ最後の公主だ」
「な……!」
流李が驚きの声を上げた時、耳の受容量を遙かに凌駕した大音量が周囲一体を制圧した。何事かと、耳を押さえながら音の元らしき方向に目を向けると、とんでもない光景がそこに広がっていた。
城が崩壊を始めていたのだ。
城壁は元より、翠燕が城の本体だと言っていた岸壁までもが、地響きを立てて崩れ落ちてゆく。一体何があってこんな事が起きたのか。
ぽかんと口を開けて、その光景を見守るしかない流李の目に、その崩れ落ちる城から飛び立つ小さな雲が見えた。その雲はまっすぐに班等魏礪の本隊がいる方向に進んでいく。
それを追いかけるようにして、流李は思わず穴から出てしまっていたが、咎める者はいない。その頃には偉門も欧練も穴から出ていたからだ。
城の崩壊はほぼ収まっていたが、その代わりに土煙がもうもうと立ち上っている。周囲には「夏」の字が書かれた旗だけが立ちつくしていた。動いている騎馬兵もいるが、今は敵味方などという些末なことにこだわっている事態ではない。
やがて崩落の音も通り過ぎ、静けさが戻ってくる。そして土煙の向こうからやたらに背の高い影が現れた。何だろうと思って目を凝らすと、何のことはない棍を小脇に抱えた翠燕だった。
いや、大したことはあるのか。
あの崩れた城の中から無傷――多分、無傷のまま現れたのだから。




