参 班等魏礪と邪仙、思惑を外す
班等魏礪の天華侵攻部隊総司令官の名はダヤンという。
班等魏礪の可単つまり王であるロウトクの弟で、栗色の髪に碧眼の持ち主。その涼やかな相貌には猛々しい一族を率いている者の姿にはとても見えない。年齢は三十の半ばほどだが、それよりもずっと年上に見える。
しかし、兄であるロウトクの信頼も厚い、班等魏礪きっての戦上手として知られていた。
その戦上手の表情が曇る。
先行部隊全滅の報せが届いたのだ。
すでに陽も沈み、空には冷え冷えとした大気を切り裂くように星が輝いている。
しかしこの寒さも、彼ら班等魏礪にとっては馴染んだものだ。羊の毛で織られた彼ら特有の衣服が寒さから身を守ってくれる。それと同時のこの分厚い織物は、簡易的な防具にもなり、騎馬隊の軽快な動きを妨げることもない。
ダヤンのそれは、特に細かく文様を織り込んだ上等な物で、それはダヤンに付き従う従者が持つ旗と共に、彼が班等魏礪の王族であることを示していた。
「兄者!」
その時、破鐘のような声が草原にこだました。その服装、さらに従者の持つ旗も特別製。彼もまた班等魏礪の王族で、ダヤンの弟でスルゴンという。
黒髪、黒い瞳でダヤンとは似ても似つかないが、それもそのはずで母親が違う。性格も随分違っており、ダヤンが全軍の後方に位置して手足のように軍を扱うのを好むのに対して、スルゴンの方は自分より前に敵に向かって進む者がいれば、突き殺してでも先頭を譲らないといった性格の男だ。
だから全滅した先行部隊に自分を加えなかった兄の差配には不満を持っていた。
が、事態はそれどころではなくなっている。
「どういう事だ! 全滅だと?」
スルゴンの方も連絡を受けたらしい。
「今聞いた。少し声を抑えろ。休ませている兵が起きる」
そういう二人は未だ馬上にあった。班等魏礪王族としての義務は、二人とも怠ったことはない。弱肉強食を地でいく草原の民を治めるためには、王とは何よりもまず勤勉で強くあらねばならない。
「おのれ、天華人め。いつものごとく土地にしがみついたやり方だ。実に卑怯極まる」
草原の民は土地を耕し、一つの場所に定住する天華人を“土地に縛られている”と考え蔑んでいた。天華人も班等魏礪を文化を解さない夷と言って蔑んでいるのでお互い様である。
「が、そのやり方で負けたのは事実だ。どうするか……」
報告では、敵の兵力さえ掴めていないが高景城を取り囲んでいた兵がいきなり増員される理由がない。
そうとなれば先に知らされていた三千という兵力に大きな違いはないだろう。
おかしな陣を築いていると言うこと自体が、兵力の乏しさを物語っている。
と、すると敵の狙いは時間稼ぎだ。近い内にあの憎き隼王の部隊がやってくるだろう。
「兄者! こうなったらあの小城など放っておいて、どんどん先に行こう。俺は元より天華人との約定など気に入らなかったんだ」
「そして俺を、天華人と同じように言葉を弄び平気で約定を違えるような愚か者にしたいのか?」
ダヤンの碧い瞳がすっと細められる。そこに込められた殺意は、空に輝く星よりも凍てついていた。スルゴンの額に冷や汗が流れる。
「で、ではどうするのだ、兄者?」
愚かな弟だが、確かにその通りだとダヤンは思う。約定は違えられぬ。だから城は救わねばならない。が、救うとなると先発隊を全滅させた妙な陣を突破しなければならない。
時間を掛ければ敵の数は増える。一気に突き崩すには攻城兵器が欲しいところだが、この草原では木材一つ調達するにも、一苦労。つまり時間がかかる。
都合良く森か林でもないものか、と頭を巡らせるが、
「兄者! 何とか言ったらどうだ!!」
返事をしない兄に焦れたスルゴンが、声を荒げて詰め寄ってくる。
「……陣を進めるぞ。何を作ったのかはやはりこの目で確かめねばならん。直に見れば、弱いところも見えてくるだろう。そこを突き崩せば……」
「なるほど、あとはいつも通り蹂躙すればいいわけか。兄者、今度こそ、その先鋒には俺を命じてくれよ!」
そう言うと、スルゴンは大きく口を開いてガハハハと大声で笑う。戦えるとなると、他の悩み事は全て吹き飛んでしまったらしい。
楽な戦いだと思ったから連れてきた弟だったが、相手をするのも面倒になってきた。
が、それほど深刻に考えることもないだろう。戦況が悪くなって、殺したくなった時にはすでに死んでいるに違いないのだから。
そして結果的に偉門の軍が守る形となった高景城の中でも、ダヤンと同じように予定外の事態にいらいらしている者がいた。班等魏礪を天華に招いた郭甚任である。
甚任の予想では、すでに班等魏礪はこの城に入り、傀儡にして生かしてある燦王から正式に依頼されて、この地を割譲されている予定だった。それは天華の民が重んじる形式が整う、という意味以上のものがある。
それは班等魏礪が天華の地で水源を得る事が出来るという、戦略上重要でより実務的な意味合いもあるのだ。
水源を確保させることによって、班等魏礪はさらに天華の奥深くに侵入することが出来る。
このままこの方式で侵攻されれば、双園の官窯に始まって、天華文化の発信地とも言える海西州にまでその牙は届くだろう。
つまり翠燕、そしてその両親が守ろうとした天華の文化は跡形もなく消え失せることになる。
その時にこそ、あの娘の心は無防備になる。こうして気を失っている時でさえ、あの異常に勝ち気な性格は肝心な部分への侵入を許そうとしない。
甚任は翠燕を絶望させるだけで満足だったが、甚任の師である寿無宝にはその先の目的がある。
――つまりは翠燕の師であり、育ての親と言ってもいい陸透洞主の居場所だ。
翠燕という娘は、ここ三百年で唯一確認されている陸透洞主と会ったことのある人間なのである。寿無宝と洞主の間には何かしらの因縁があるらしく、その点で利害が一致したからこそ無寿宝は甚任に手を差し伸べたのだ。
甚任が役目を果たすことが出来ないとなれば、無寿宝は簡単に手を引くだろう。
何とかしなければならない。が、城を動くことも出来ない。
そもそもの問題は、牙偉門の行動だ。甚任の記憶では牙偉門とはそういう武将ではなかったはずだ。二本の呉鉤を逆手に構え、婆娑羅な出で立ちで兵達の先頭に立って戦う戦闘狂。付いたあだ名は“虎牙風”。
あの男が通った後には頸動脈が切り裂かれた、いくつもの死体が転がることになる。
そんな武将が、なぜこれほどの防御作戦を辛抱強く指揮できるのだ?
三年の間に何があった?
その問いかけの答えに、甚任は自分自身で気付いてしまった。
足下に横たわる、一人の娘。
そうか。結局はこの娘か。
――甚任の紅い瞳が憎々しげに翠燕を見つめていた。




