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剡旗伝  作者: 司弐紘
第四回 遺言屋は剡く
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25/33

肆 流李、旗を作る

 班等魏礪フラギレの第一次攻撃を防ぎきった偉門いもんの陣だったが浮かれている者は一人もいない。班等魏礪の強さを生で実感し、なおかつ生き残ったこの部隊に気の緩みはなかった。


 今も班等魏礪に夜襲の習慣は無いと全員が知ってはいたが、松明を煌々(こうこう)と焚いて歩哨達は油断無く周囲に目を光らせている。


 それが恐怖からもたらされる緊張感であっても、偉門達将校がきっちりと手綱を握っている限り、生き残るためには有効であろう。計算の上ではあと二日生き残れば何とかなるが、明日には班等魏礪の本隊が来る。


 今日は有効に働いた疑似城壁と落とし穴も何処まで持つかわからない。

 兵士達全員がばくちの大穴に有り金つぎ込んだような状態だ。


 そんな中、流李りゅうりは偉門に言いつけられて布という布に墨痕淋漓と「春」「夏」「秋」「冬」を一文字ずつ書き付けていた。これは多分、旗になるのだろうな、と流李は思っていたが、にしてはあまりにも数が多すぎる。


 幕舎の布はすでに切り裂かれ、果てはどうも下着の類まであるようだ。ここまでするということはよほどの策なのか、それとも必死なのか。ただ、これが旗だとすると根本的な問題がある。


 手が痛くなるほど「春」「夏」「秋」「冬」を書き続け、月が中天に上る頃、ようやくのことで偉門と欧練おうれんが流李の所に帰ってきた。二人とも泥だらけで、またもやあちこちに穴を掘ってきたらしい。


「仲大殿、これは旗ですか?」


 流李は偉門が近くに来るなり単刀直入に切り出した。その勢いに押されるようにして偉門が応じる。


「あ、ああ、そうだが、それがどうした?」

「これを立てるための竿がありませんが……」


 流李はその時、翠燕すいえんが持っていたあの棍を思い出す。そして偉門への手紙を包んできたあの布。もしかすると、翠燕が持っていたのは旗なのではないか?


「どうすんだよ、兄貴。流李殿の言うとおりだぞ。まさか槍にくくれとは言わないよな」

「……櫓を崩して、適当な長さに切ろう」

「本気か? 指揮はどうすんだ?」


「声が届けばそれでいい。どのみち明日は乱戦だ。指揮もへったくれもあるか。流李、お前確か槍を持ってたそうだな。足捌きから見るとそこそこ使えるんだろう? 槍は用意するから自分の身ぐらいは守ってくれ」

「そりゃ無茶だ兄貴。流李殿の腕は認めるけど、今は肩を怪我してるんだぜ」


 まただ、と流李は思っていた。欧練――究志きゅうしには嫌われていると漠然と思っていたが、今の言葉を聞く限り、それはほとんど逆なのかもしれない。


「じゃあどうすんだよ?」

「俺が一緒にいるよ。どうかな流李殿? ……流李殿?」


 返事をしない流李に、欧練が心配そうに声を掛ける。


「……私は究志殿には嫌われているのではないかと思っておりました」

「は?」

「いえ、あまりお話しする機会もありませんでしたし、幕舎にも……」

「そりゃそうだよ流李。こいつ暇なんか無いもの」


 その暇を無くしていた張本人が、笑いながら答える。流李は自分の迂闊うかつさに恥じ入った。暇がなかったのは自分も同じなのに。


「究志殿。明日はよろしくお願いします」


 いつもの自分なら、頑なに男の手助けは拒んでいただろう。しかし自分の武術の腕が認められていることもあり、本当に生死がかかっているこの状況下では意地を張ることの愚かさが身に染みて理解できたのだ。


「お、おう、任せてくれ」


 そう言う欧練の頬がわずかながら赤く染まっている。もしかすると自分より若いのではないか、と流李の心はさらに和んでゆく。


「そ、そうだ兄貴。一つ聞きたいことがあるんだけど」

「露骨な話のそらし方だが、いいだろう。何なりと聞いてみろ」


 その偉門の言葉に鼻白んだ欧練だったが、ここで黙り込むと本当に話をそらすために、適当に口を開いたのかと思われてしまう。


「つまり班等魏礪は何だって、戦力を小出しにしてきたのかってことだよ。三千じゃなくて三万来たなら、どうやったって防げなかった。“戦力の逐次投入”は愚作の最たるものなんだろ?」

「何だ? 兵法でもかじったみたいな言葉だな」

「囓ったんだよ。翠燕の姐さんに散々に言い負かされたからな」


 こんなところにまで翠燕の影響は及んでいるのか。流李は何だか気恥ずかしさを感じた。


「本当に囓っただけだな。いいか、奴らの兵力は全部騎馬だ。つまり強さを発揮させるためにはある程度広さがいるんだよ」


 そう言いながら、偉門はがりがりと鞘の先で地面に半円を描く。そしてその周囲に、不規則に線を引っ張っていく。察するに半円が高景城で、周りの線が疑似城壁に落とし穴ということなのだろう。


「もともと、ここで俺たちが踏ん張っている事が予想外だったんだろう。踏ん張っていたとしても高景城の周りを取り囲んでいるはずだから、騎馬の動きはこうなる」


 今度は鞘の先で、半円の外に一直線に線を引く。


「歩兵対騎馬はまともにぶつかったら、あっという間に歩兵が負ける。歩兵三千を相手に三千でも三万でも結果は同じだ。それどころか“遊兵を作るな”という。これまた兵法に反することになる。それに……」

「それに?」


「班等魏礪が天華を脅かすようになって、もう五百年に近い。好むと好まざるに関わらず奴らも、天華の影響は受けてるんだ。つまり敵の司令官は大軍を率いて、堂々と城に入城したかったんだよ。三千で露払いさせておいてな」


 確かに、暴れ放題暴れるだけの班等魏礪のやることとは思えない。


「が、そんな風に大人しくしてくれてるのも昨日までだろうな。明日からはがむしゃらに攻めてくるだろう。何しろ抵抗する敵がいるのがわかったからな」

「二日持つでしょうか?」


 思わず流李は尋ねてしまう。


「そこは心配しても仕方がない。保たなきゃ死ぬまでだからな」


 さばさばした口調で偉門は応じる。が、すぐにその表情が曇る。


「問題なのは翠燕だ。あいつは一体何をやってるんだ? とうの昔に城から脱出してくると思っていたんだがなぁ」







 偉門の心配をよそに、朝になっても翠燕は現れず、代わりに現れたのは地を圧倒する二万五千以上の班等魏礪の鉄騎軍団。

 こうなると、偉門達も翠燕どころではない。


 班等魏礪は騎馬部隊を千頭単位の集団に分けて、戦場に空間を作り騎馬の機動力を確保した上で、波状攻撃を繰り出してきた。

 さすがの攻撃力で疑似城壁はいくつも崩され、落とし穴の半分は用をなさなくなった。


 しかも班等魏礪の方はいくらか休息を挟むことが出来るのに対して、偉門達は四六時中攻められっぱなしである。偉門は怪我こそ無かったが、全身を血に染めており、それと同じような拭いがたい疲労にまとわりつかれていた。


 欧練は体中に細かい傷を負い、その中でも致命的なのは利き腕に深い傷を負ったことだ。流李はそんな中、逆に欧練の窮地を幾たびも救い、その代償として本格的に左肩どころか左半身の動きが鈍くなってしまった。


 が、兎にも角にも三人は生き残った。元は高景城の包囲部隊も未だ半数が生き残っている。まともに戦闘できる兵士は千に満たないのだが。


 そして夜になって、班等魏礪が引き返した後、動けるもの全員で昨晩流李が用意した「春」「夏」「秋」「冬」の旗を、蹄に散々に荒らされた陣地に立てていった。


 誰も一言も発しない。まるで自分の墓標を用意しているかのような行為だったが、兵士達の表情に悲壮感はない。それどころか自分たちが生き残ることに確信があるような、そんな笑みを浮かべている。


 ――つまりは、この旗を立てることこそが泰軍必勝の策なのだ。


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