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剡旗伝  作者: 司弐紘
第三回 遺言屋の過去
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19/33

漆 流李、急報を届ける

 まず高景こうけい城を抜け出すことが一苦労だった。

 翠燕すいえんはこの城を包み込むための陣図を崩しておいた、とは言っていたが、


「素人じゃ手出しできないような、精密で見事な陣図だったわ。何とか一角に傷を入れることは出来たから、どこからか出ることは出来ると思うけれど、ごめん、場所まではわからない」


 と付け足された。


 しかし、文句を言う気にはならなかった。そう話す翠燕の表情が真っ青だったからだ。

 きっと陣図が精密だったというのは大嘘で、実際はかなりろくでもないものだったのだろうと流李は推測していた。例えばこの城に人間がいない理由を説明できるような。


 流李りゅうりは誰もいない夜の街――結局外に出ると、夜だった――を駆け抜ける。そして城壁に辿り着くと、不思議な力が無いところを探して壁沿いに歩いていく。


 まず入ってきた通用口は駄目だった。その横にある正門も駄目だった。そこから西に向かって歩き続けたが、岸壁に辿りつくまで切れ目がなかった。

 一瞬、上を見上げこの岩肌の向こうに切れ目があるのではないかと疑ってしまう。この崖も城の一部には違いないのだ。


 流李は首を振って、そんな考えを追い払う。翠燕はそこまで間抜けではないだろう。


 再び門があるところまで引き返して、今度は東壁沿いに歩いていく。すると、今度は数歩も行かないうちに手のひらが城壁に触れた。そこが途切れ目らしいが、今度はあまりのあっけなさに天を仰いでしまう。


 気を取り直して先に進もうとするが、まさか城壁を突き崩すわけにも行かない。城の内側からは城壁の上に上るための階段なり梯子なりが設置されているものなのだが、結界の穴はそういう場所には開いていなかった。結局はよじ登るしかないと気付いて、三度空を見上げる。


 いつの間にか、愛用の槍を無くしていた。

 何処で無くしたのか? 何時無くしたのか?

 城壁を上り終えて、一息付いた流李にはもうそんなことはどうでも良くなっていた。


 なにしろ、これからこの城壁を降りなければならないからだ。目眩がしそうになるが、挫けるなどという選択肢は選ぶわけにはいかない状況だ。


 流李は意を決して柵を乗り越えて、ほとんど転がり落ちるようにして城壁を滑り落ちた。高景城がそれほど大きな城でなく城壁が低かったことが幸いだった。何しろ落ちたときに自覚できる怪我は右足首のねんざと、左肩の打撲だけで済んだからだ。


 身体のあちこちに擦り傷や打ち身ができてしまっていることは、間違いないだろうが、これはあまりに多すぎて逆にいちいち考えていられない。


「城から出たら、あの丘を越えて街道沿いの陣幕を目指して。こそこそしなくて良いから。見つけて貰った方が助かるぐらいなのはわかるわね」


 翠燕の言葉を思い出し、流李は足を引きづりながら丘を目指す。正直、丘を登るのはきつかったので、迂回するようにして裾野をぐるりと回っていく。


 ちらりと丘の上の櫓に目を向けると、篝火かがりびを焚いてまっすぐに立った兵士が油断無く警戒している。さすがに緩みはない。この分ならすぐにでも自分に誰何すいかの声がかかるだろう。正直そうしてくれた方が、ありがたさを感じる。


 丘を半ばまで迂回したところで、翠燕が言ったとおりの陣幕が見えた。街道から少し外れたところに幕舎が立っており、埋め込まれた木の柵の中には頑丈そうな馬が身体を休めている。篝火は見張りの櫓以上に灯されており、歩哨にも緊張感が満ちている。


 その隙のない様子に、流李は心の中でほっと安堵の息を漏らしていた。


「そこの娘! 城からの脱出者か?」


 その隙を突くようにして、望んでいた誰何の声がかかる。二人組で巡回しているようで、一人が明かりを持っていた。

 それを頼りに相手の様子を伺うとまだ若い兵士だった。それほど偉そうには見えない。自制という言葉は心得ているようだが、女の姿を見ていささか下卑た感情を持ってしまっているところが見えているのが、いかにも下っ端だ。


 流李は慌てず騒がず、こう告げた。


「牙将軍にお目通りを願いたい。我が名は呂流李。“遺言屋”翠燕からの使いだと伝えてくれ」


 とにかく、この場で一番偉い人間の名前を出す。そうすると、判断に迷った下っ端は、


「し……しばし待て。今、上の者に伝えてくる」


 となる。これは確かに知恵の範疇だな、流李は翠燕の言葉を思い出していた。


 巡回二人組は一人が残り、もう一人が何処かへと走り去っていった。すると、さほど待つこともなく聞こえてくる馬の蹄の音。


 そちらに目を向けると、装飾に凝った鎧に身を包んだ馬上の男。そのすぐ後ろにも、やはり馬上で同じように鎧に身を包んだ男がいた。ただ、こちらの男はいささか品がない。

 流李は、まっすぐに一人の男の目を見てこう告げた。


「繰り返しになりますが、私の名は呂流李。翠燕殿の使いの者です。牙将軍にお目通りを願いたいのです」

「……何で俺に言う?」


 流李に目を向けられた、品が欠ける男の方が戸惑い気味に尋ね返してきた。


「牙将軍の出自などは翠燕殿から伺っております。手段を選ばずに牙将軍に会うためなら、この方が近道かと思ったのです」


 正直すぎる翠燕の言葉に、顔を見合わせる馬上の男二人。


「わかりました。けれど将軍は縁故で部下を出世させるような人ではありません。この場での責任者は私ということになります」


 品が欠けてない方が、流李に話しかけてきた。


「流李殿。あなたの真剣さは理解いたしました。ですので、私からも質問宜しいですか?」


 どうも言葉のつながりが不自然なような気がしたが、流李としては頷くしかない。


「あなた方二人が、昼過ぎに城に入ったのは報告が来ています。そして今、お一人だけが出てきて急ぎの用件があるという。恐らくは城で何かあったのでしょう。問題はあなた方二人が城に何か起こっていることを認知して城に入ったのかどうかということです」


「そ、それはどういう……?」


「私の知る“遺言屋”は常に一人で行動しておりました。“没遮娘ぼっしゃにゃん”のあだ名の通り、無人の荒野を行くように」

「え、何……?」


「それが、今回はたまたま二人連れで、そのたまたまの機会に城がおかしくなっているという。あなたが主張しているのはそういう話なんです。そして将軍に会わせろという」


 親切な話だ、と流李は思うことにした。


 疑われているのは間違いない。言われれば確かに都合が良すぎるような話だ。この場で斬り殺されるかも知れない状況からすると、疑っているのを教えてくれたのは、自分の話を五分五分に見ているからなのか。


 どちらにしろ、次の一言が勝負だ。なんと言って切り出したものか、と流李がしばし口を閉じている間に、品のない方が、


「よう。姐さんの使いって言うんなら、それがどんなのか言っちまえばいい。内容によっちゃ……」

「それは駄目だ」


 流李は反射的に応える。


「必ず牙将軍に直接伝えるように翠燕から言われ、約束した。私はそれを破るつもりはない。これ以上は何も言えないが、牙将軍の所へ連れて行ってくれ」


 そう。結局はそう言うしかないのだ。他に方法など思いつかない。真っ正面から体当たり。何が何でも牙偉門にあの包みを届けてみせる。

 左肩と右足首がずきずきと痛みを増した。心臓の鼓動が聞こえそうなほど緊張する。


「……連れて行こう。見たところ武器もないし、こういう奴に間諜は無理だ」

「暗器使いの可能性を忘れていますが、確かのそのようですね。怪我は痛みますか?」


 どうやら事態は好転したらしい。流李は傷は痛むが、耐えられないほどではないと答えると、品のない方が頷いて馬上へと流李の身体を引き上げた。


「お前の言うことが本当なら、火急の用というのも本当になる。公嵯こうさ殿、俺は一足先に兄貴の所に行くぞ」

「兄貴、ではなくて将軍閣下」


 品のある方が、言葉遣いをたしなめるが品のない方はそれを聞き流して馬主を巡らせた。


「俺は馬欧練ばおうれん。あの人がこの部隊の副指揮官の裴敦はいとん殿」


 と言われても、流李には誰が誰なのかさっぱりわからなかったのだが、一つ山場を抜けたことは確信できた。


 欧練に連れられて幕舎の中に入ると、四人の男がいた。吊り下げられた灯籠から立ち上る油の燃える匂いが幕舎中に充満している。そのせいかどうかはわからないが、全員が実に不機嫌そうだ。


 ここに四人の男がいる理由を、流李はすぐに推測できた。だからわざと視線を動かさずに、できるだけ気を落ち着けてこう言った。


「まずはお人払いを願います、牙将軍」

「誰と誰と誰を外に出す?」


 間髪入れずに、傍らの欧練が尋ねてくる。やはりこれも試験だったらしい。


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