肆 翠燕、獅音を褒めそやす
「へ、陛下。それは何故? その仮定の話が私であることは明白。女の身であることが災いでありまするか?」
「ならば問うが、武に自信のある者が何故この双園に現れる? 俺の首を取って、再び乱世を望むが目的か? それならばまだ良い。しかし、その者の本意は武をあてにしての立身出世。で、あるならば訪ねる場所を間違っている」
「それは何処でありますか?」
「知れたこと。戦場だ。残念ながら未だに戦火は消えぬ。その戦場の一つに出かけて行き結果を見せてから仕官を申し出ればよい。立身出世を望むならな。せめてそれほどの機転も利かぬようではいかほどに武に秀でようが、用いようもない。女の身であるかどうかが問題になるのはそれからの話だ」
「それは……」
「立身出世を望んでこの双園を訪れるなら、武よりも文。俺は今も文に長けた者を広く募っておる。ま、このような話はとんだ蛇足だがの」
「わかった流李? つまり伯声殿は――この乱世を収めつつある皇帝陛下は、武力一辺倒の馬鹿はいらないとの仰せよ。もっともこんなこと、いちいち皇帝陛下に説明されるまでもなく、目を開いていればわかる事よ」
散々に詰られて、流李は何とか反撃の糸口を掴もうと、まずこう切り返した。
「そもそも私は立身出世など望んでいない」
「そりゃそうよね。女なんだから。最初からその道がない。でも、女でなければ出世は望むがまま、ぐらいには思っていたでしょう」
これまた思っていた。女の身でなければ父と共に戦うことも考えていた。その果ての栄華も……夢見ていたと認めざるを得ない。現に自分の槍の腕は近隣に敵なしだった。
女の身でなければ。
そう思ったことが何度あったことか。
「でも、そうやって実際に比べられないことがあなたの不幸だったようね。現実は今見たでしょ。あなたは現実から目をそらし、男を卑下することで、満足していた。それで世の中がどうなっているのか気づけなかった」
「だから何だと言うんだ!? ああ、確かに私は愚か者だったかもしれん。それがお前に迷惑を掛けたか!? 私を苛んで何か楽しいか!?」
それは怒りの叫びと言うよりは悲しみの絶叫だった。
万の言葉を紡ぐより、遙かに強く心に響いた。その証拠に翠燕の顔から表情が消え失せている。そのまま翠燕は視線を空へと移し、囁くような声でこう言った。
「悪かったわ。確かにあなた一人がどうこういう話ではないものね」
「……いや」
「そうだな、確かに今のは彷月公主がいかん。珍しく感情的になっていたしな」
二人を仲裁するかのように獅音が口を挟む。
そしてそれは実に効果的だった。朝廷での彼の主な仕事が仲裁であるからかもしれない。
一つ聞き捨てならない言葉を、さりげなく口にすることで、一同の関心をそちらに向けてしまう。
流李は獅音が放った一つの言葉に、きっちりと反応していた。
「……ただの冗談よ、気にしないで」
投げやりに翠燕が言葉を放つ。
「でも今、公主って……」
「“彷徨う月のようなお姫様”。伯声殿が私につけたあだ名よ。天華を彷徨って宝物を集めているから、前半はわからないでもないけれど、後半はね」
そう言って翠燕は肩をすくめる。
「それこそ、私が女だからって勝手に呼んでるだけよ。まさか皇帝陛下が私を“大姐”とは呼べないでしょ」
そう言われてみれば確かにそうだが、そもそもあだ名で呼ばなくてはならない義理もないはずだ。それに公主とは……
「あまり適当なあだ名とも思えないが」
「そうね。この伯声殿にかかると、あんまり冗談では通りそうもないような気がするわね」
珍しいことに流李の意見に翠燕が同意した。
「それはやはり……皇帝陛下だからか? いや、それならば名指しにせずとも『皇帝陛下だから』と言うだろうし……」
「そういう言い方はしないだろうけれど、その推察は正解。伯声殿は世にも希な皇帝陛下なのよ……そういえば、さっきの説明も途中だったわね」
「説明?」
流李が本気で首を捻ると、翠燕は眉を寄せて睨みつける。
「何で忘れてるのよ。私が伯声殿に宝を売り渡してる件よ」
「そ、それは忘れていないが、その話と今の話は結びつくのか?」
「結びつくから、まぁ、聞いてなさい」
そう言って翠燕は、椅子から立ち上がると朗々とした声で解説を始めた。
解説する相手が目の前にいるのにである。流李は思わず肩を縮こまらせた。
潮獅音――
元は崇という国の殿前軍都点検。つまりは近衛軍の最高司令官だった。
先の統一王朝、楼が兵力を各地に分散したために滅んだのを教訓として、崇という国は強力な軍隊を皇帝直属として運営していた。
獅音はそういった部隊の指揮を崇の皇帝、祭宣に任命されていたということになる。
祭宣は乱世期には珍しく英明で知られた君主で、そういった人物に司令官を任されたという事実で、獅音が飛び抜けて有能であるという証明にもなるだろう。
が、その英明な君主が突然薨じてしまった。折しも獅音は殿前軍を率いて北伐に向かうその行軍の途中。祭宣の世継ぎは未だ幼年。この乱世に幼君を仰ぐことに兵士達は不安を覚えた。
そこで兵士達は信頼する総司令官を皇帝として仰ぐことにした――
「そこのところがよくわからない」
説明の腰を流李が折った。だが、翠燕は特に気分を害した風でもなく、
「わからなくて当然。こんな例はほとんど無いわ。しかも担ぎ上げられた当日に、本人がべろべろに酔っぱらっていたなんて話はね」
「よ……酔っぱらうって……何?」
「まぁ、本人が酔っぱらっていただけで、下準備は血気盛んな弟君と、有能な参謀がちゃんとやっていたみたいだけど。これを人々は『錦橋の変』と呼んだの。この人が皇帝に祭り上げられたのが、錦橋っていう場所だったから。うん、そのままだ」
流李はそこまでの話は納得しておいた。よくわからない部分は無論あるが、現状として潮獅音が皇帝であることに間違いはない。
何しろ龍鳳の直垂を着ている。皇帝でない者がこれを着れば、間違いなく郎党もろとも皆殺しだ。ただのお洒落でここまでの危険を冒す者はいないだろう。
それに、他に気になることがあった。
「それで、その崇という国はどうなったんだ? その……前の皇……族は?」
流李は慎重に言葉を選びながら翠燕に尋ねた。尋ねながら、獅音の視線を感じずにはいられない。
何しろ獅音は間違いなく当事者なのだ。その本人を前にして、なぜ部外者に事の次第を尋ねねばならないのか。
決まっている。
――翠燕の言うとおり、自分が世の中に目を向けていなかったからだ。
「いい質問だわ、流李」
しかし翠燕は嬉しそうな笑みを浮かべて、ぱんっと両手を打ち鳴らした。
「そこが、全部の答えになるの。伯声殿はね、前皇族である祭氏をそれはそれは手厚く庇護しているの」
「え?」
流李は全く考えていなかった答えを聞いた。
「そればかりじゃないわ。天華の方々に出来てしまった色んな国の王族も、相手が降伏してきた場合にはそれはそれは丁重に保護してるのよ。だから、伯声殿が“公主”などというと、あまり冗談にはならないわけ。双園にはあちこちにそういった公主様がおいでだから」
なるほど、それはわかった。
「で、陛下に集めた物を売り渡す話は?」
「慌てないで。まず、伯声殿の人柄の穏やかなところを知っておいて欲しかったの。この穏やかな伯声殿は代々武門の家系で、もちろん伯声殿の将器も疑うべくもない。なのに、この人は政治的にはそういった武の色を薄らげようとしてるの。ああ、これは人柄はあんまり関係ないか」
そういって翠燕は視線を獅音へと流す。獅音はそれに対して苦笑を浮かべただけで何も言わなかった。
「そんなわけで、伯声殿は今、天華で一番の文化の庇護者なの。その上、天華で一番偉くて一番強くて一番金持ち。宝物を預けるには一番安全な相手なのよ。天華をふらふらしてる私が持ち歩くよりずっとね」
「し、しかしだな……」
「おまけに大量にお金をふんだくれるから、新しい文化の育成にも役立つ。いい考えでしょ。誰も損してないわ」
「そうかも知れんが、何か釈然としない」
腕を組んで考え込む流李。




